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私自身を見失ってること

最近、会社の近所に詩の本屋さんがある事を知り、私は時々行っては、詩や詩の評論(かな?)を買っている。とはいえ、私は働きが良くないので、節約しながらちびちびと、給料日になると、数冊買っている。欲しい新刊が出るとお金があまりなくても、衝動的に買ってしまう。

お金があまりないと言っても、外食を1、2回我慢する程度の額なのだが。
詩についても、詩論についても、まだまだ読み始めなので、わからないことが多いのだが、詩論は、作者が自分の言葉で強い意志で、書いてることが多いので読むほうも、真剣になった。

そこで気がついたのは、私は、自分の意見を言うとすると、自分を見失ってるんじゃないかという事だった。日常にまみれていると言ってもいい。
日記を綴る事はできる。でも、頭でしっかり考えたり、自分自身と、自分自身の明確な意思を言葉で貫いて発する事を全く意識していなかった。

ただ、それっぽい事を言う事はできるのだが、公然とじゃなくて、自分の意思で考えてこなかったのだと思う。(大学の時は自覚しないで考えていた気がするけど)

それと、そういうのが「知」なのかわからないが、頭がいいと思われたくて、発言してる人にはなりたくないなと思った。

少し本を久しぶりに、真剣に読んだらそんなことに気がついたので、本を読むのって大事なんだなと思った。

色んなことを教えてくれるので、図書館で借りたりして、読書をしなきゃなぁと、イラストばかり書いてきて考えてもこなかった私は、反省したのでした。




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