プレステの思い出
「セーブができない」
プレステの思い出は、そんな苦い経験からはじまった。
僕の家にプレステ2がやってきたのは小学3年生のクリスマスだった。
枕元にあった、サンタクロースが届けてくれた大きな包みを開けると、それは姿を現した。
ずっとあこがれていたのに、カタログとかマンガ雑誌の1ページから出てきてくれなかったものが、今目の前にある喜びはほんとに大きかった。
その熱が冷めやらぬうちに、テレビにつなぎ、電源を入れ、ソフトを起動した。
問題が起きたのは、いったんセーブをし電源を落とし、数時間後に再開したときだった。
残したはずのデータが消えていた。
当時の僕にはその原因がわからなかった。
すぐにお母さんにそのことを伝えた。
なんとかしようと色んな店を一緒に回ってくれた。
だけど、どこに行っても解決法は分からなかった。
とりあえず家に戻り、夜にお父さんが帰ってくるのを待つことにした。
その間、何もせずずっと待っているのも退屈だったから、セーブは出来なくてもいいから何回かプレイした。
だけど、ストーリーを進めてセーブしても、データは残らずまた最初に戻ってしまう。
それだけでも満足していたけど、やっぱり続きのストーリーができないのはもどかしかった。
そんな僕の様子を、床に座り壁にもたれながら見ていたお母さん。
どこか寂しそうにみえた。
「セーブできなくても楽しいよ」
と、子どもながらに気を遣った。
そう言うと、お母さんのちょっとだけ口角が上がったように見えた。
だけど、それはそれで哀しさに輪をかけているように思えて、言わなきゃよかったと思った。
けっきょく、原因はささいなことで、すぐセーブができるようになった。
その後何の支障もなくできているけど、お母さんと過ごしたあの時間の心地わるさはずっと忘れられない。
だけど、あとは楽しかった思い出がほとんどだ。
プレステには僕の子ども時代のワクワクやドキドキをつめこまれている。
「プロ野球スピリッツ」をプレイして、お気に入りだった選手のことや、
32ー0でコンピューターをボコボコに負かしたことだって憶えている。
「モンスターハンター」は敵をたおしてストーリーを進めていく爽快感を味合わせてくれた。
「ウイニングイレブン」では、ゴールキーパーをドリブルさせてそのままゴールを狙ってみた。現実ではできないことができる愉快さがあった。
(このソフトは友達から借りパクしたんだけど)
「キングダムハーツ」は暗い森をぬけていくステージのことが忘れられない。
とにかく不気味だった。
そのせいでトイレに行くのも勇気がいったものだ。
プレステは、僕の空想とか想像、感情を豊かにしてくれて、それをこえた、まだ知らなかった世界をも見せてくれた。
「ゲームのやりすぎだ」と言われたこともあるし、たしかにその感は否めなかったけど、そこから得たものを数えてみると、ほんとにたくさんの思い出に溢れている。
ただ、それだけに今、実家のどこかで物音も立てずにひっそりとしている姿を想像すると、胸の奥から何かこみあげてくるものがある。
やりきれなさとか郷愁とかに似ていて、悲しさにも近い感情。
・・・今度帰ったら、ホコリをかぶったプレステに少しだけでも触れてみることにする。
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