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Twitter(現X)を利用して私が味わったSNSの危険性について

Twitterアカウントを開設して"2年7ヵ月"が経ちました。

当初の目的は「ネットで繋がった知人らへの生存報告」これ一点でしたが、いつしか「短文を投稿する、短文投稿を読む」というTwitterそのものの魅力にめり込むようになり、今では1500ツイートを達成してしまっていたようです。

Twitterでは"ドレスコード"を意識してポップなアイコンに。

元々私は健康情報への興味関心が強かったことから、Twitterやインスタグラム、Facebookなど、SNSの危険性について再三見聞きしてはいたものの、ある時、好奇心に抗えなくなって手を出してしまいました。それについては、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の精神だったとでも言い訳を並べておきたいところです。

それからもう一つ、「SNSというある種の危険物に手を出して、果たして自分は正気を保っていられるのか?」という自己試練の感覚も秘められていたのでした。

その結果…

そして、2年7ヵ月Twitterを使ってみた感想としましては
「脳からのアラームが聞こえた」
「勝てそうになかった」
となります。

Twitterは短文専用のメディアということもあり、手を出して早々、私の頭の中で「PC、スマホで行える、最もハードルが低い行為」へと位置するようになりました。長文傾向のここnoteやブログサービスらを開くよりも遥かに楽で、楽だからこそつい手が出てしまうわけです。例えるならば、作業机の上でいつもパッケージを破いて放置されている、個別包装の小粒チョコレートです。

そんなこんなで日々お手軽にTwitter啄んでいる内に、自分の意識が「140文字以内の文章こそ普通」「140文字以上は読むのが億劫だ」「140文字以内でしか物事を考えたくない」という風にだんだんとなってくるのを実感しました。アホを必死で是正してきた人生でしたが、高速のエレベーターに乗ってまた元の地点までで戻っているような感覚なるので恐ろしいのです。
更に、日常で他人とやり取りするごく短いメッセージに於いても、以前よりも誤字脱字を犯してしまうこと明らかに増えたように感じられるのです。Twitterの標準である140字以内でさえ誤字が起き始めているということで、それだけ私の脳がせっかち化、インスタント嗜好化している兆しが伺えます。

また、SNSとは自分の投稿にいつ「いいね」や「返信」といった反応が付くかわからないものなので、直接利用していない時間でさえも、それを気にして少しソワソワしてしまう気持ちが起きていることも発見しました。新しい投稿をしたタイミングでは勿論、昔の投稿に反応が付くことだってあるので尚更です。言うなれば、「Twitterを閉じている時でも、それはバックグラウンドで起動して意識を消耗させている」というような感覚です。意識ではダメだと思って、振り払おうにも呪われた汚泥の如く再度纏わりついてきます。これはだいぶ一般的にも周知されている「SNSのリスク」でもありますが、実際に体験してみて、その一筋縄ではいかぬ厄介さを思い知りました。

Twitterを開いて観ている際でも、「何だか脳が苦悶している気がする」「見過ぎてしまっては危ない」とよく感じはすれども、直接の知り合い以外の情報までが「トレンド」や「オススメ」として次々と表示されてくる仕様なので、つい必要以上に見てしまうことが多いです。フォローしている人々の投稿を見るだけならば私は大丈夫そうなのですが、フォローの有無に関係なく遠方からのツイートや話題が次々飛び込んでくる仕様というわけで、それらを非表示にする機能なども搭載されていない現状、これらを全て意識の力を以て制限し続けるというのは、常に「知りたい」という欲求に突き動かされている脳の性質上、そして私自身の低い自制心ではほぼ不可能なのではないかと思います。

もう一つ加えて思い付いたのですが、Twitterは本やnoteのように「タイトル」が存在しないので、自分に興味があるものか、ないものかを判断するだけにしても、目に付いた全ての文章を最後まで読み切ることが必須です。つまりここに、短文媒体でありながら、長文媒体以上に多く読むことを強いられるという奇妙な逆転現象を引き起こしているのではないでしょうか? それも断片的で、テーマがバラバラであるが故に脳内での整理に膨大なエネルギーを使う、高負荷の情報で……。

結論

SNSとは自分にとって思っていた以上に悪影響が大きく、思考の"短文化"や、"インスタント嗜好"、そして脳裏での強制的な"バックグラウンド起動"など、様々な脅威を味わわせてくれました。

以上、Twitterの習慣的な利用が自身へ及ぼした悪影響と、想定していたよりも数段回上だった"手強さ"についてを書いてみました。もうだいぶ「参りました」という状態の私ですが、辛うじて、このように自省するだけの正気が残っていた点は幸いです。

「SNSの脅威」というものを身を以て体験してしまった以上、私も今後の付き合い方について真剣に考えなければなりません。普通に使っている以上は理性の力で勝てない……となれば、自分の中で「厳密な使用ルール」を設ける必要がありそうです。若しくは、デフォルトモードネットワーク(無意識時に活性化する脳神経)を鍛えるなどして、情報消化能力そのものを強化し、Twitter程度の情報過多を物ともしない肉体になるというのも一つの手かも知れません。とりあえずは、その両方を試してみようと思っています。

不思議なことに、私はここnoteではTwitterを利用している時のような「危ない感じ」が起きず、悪い意味での自己変化も全く観測出来ません。むしろnoteを使っていない時よりも、物事をよく考えるようになったなと有難がれるほどです。「noteを利用する」という行為は私の中では適度にハードルが高いところに位置し続けており、よってダラダラ見続けるということも起きづらくなっています。根本的には、「長文前提の媒体」であることが幸いしているのでしょうか? Twitterが寝そべってスナック菓子を食べ続けることだとすれば、noteは食卓に向き合ってきちんとした食事を摂ること、これくらい大きな差があるように感じられているのです。

おわりに

今回の記事では、とあるひきこもりが2年と7ヵ月間、Twitter(現X)を利用してみて味わったデメリットついてを書きまとめてみました。一方でメリットとしては「生存報告が出来る」「知り合いの様子を知れる」「宣伝が出来る」「ネットワーク障害や事故などのリアルタイム性に強い」といったところでしょうか。

デメリット要素に負けずに有効活用し続けるには、やはり相応の覚悟と技術が必要なことを痛感しています。短文SNSを常用されていない方にとっては辺境の地の奇譚として。常用され、同じように苦しまれている方にとっては共感と対策の機会などとして、如何様にかお楽しみいただければ幸いです。


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