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ほんの単純なことで胃の消化力が上がりました。

それは無意識で行っていた「水分の過剰摂取」を止めたことがきっかけでした。

社会と繋がれずに自室で過ごすひきこもり生活による物理的なストレスの継続か、またはやや不健全な家庭事情や、日々の自責や無力感による精神的なストレスに因るものか、ここ最近の私は食欲というものをほとんど感じることが無く、何かものを食べても体が重くなるばかりのような感覚がありました。

出来れば何も食べずに過ごしたい気持ちがあり、「丸一日食べない」ということを試したりもしてみましたが、飲み物さえ飲めばいとも容易くそれが出来てしまいます。二日目の朝になってもまだ食欲は起きません。昼になっても。夜になっても。しかし全身から力が抜けていくような感覚はハッキリと起きてきました。そのまま流れに身を任せていれば楽になれるような、それで良いような気もしましたが、幾らか残っていた正気によって「まだ死ぬわけにはいかない」と気を引き締めて、食べ物を胃に詰め込む始末でした。こんな経験もあり、人が衰弱死することは案外簡単なのかも知れないと思わされたりもしました。

このようにして、栄養を摂らねば尚のこと肉体が弱り再起不能になるだろうと、食事に関しては「仕方なく食べなければならない」という惰性的な義務感があったことは確かです。

ところがある日、これら自覚できる程の消化力の低下と、食欲の減退の原因が、実は無意識的に行っていた「水分の過剰摂取」だったのではないかと目星が付いて、試しに意識的に水分の摂取量を制限してみたところ、ここ最近の私では考えられない程「食べたものを消化出来ている」実感が戻ってきてくれました。なんとも可笑しい話です。恐らく、飲み物の飲み過ぎ(それも栄養素が少なく、濃度も薄いただの水が主でした)によって、胃酸が薄まり、同時に消化力も大幅に落ちていたことが予想されます。現時点では実践し始めてまだ数日しか経っておらず、ハッキリとした「食欲」を感じられる域にはまだ治れていませんが、お陰様で食べることへの負担感はかなり大きく減ってくれました。

「ストレスを発端とした過飲」という現象は普遍的にあるそうです。しかしそれで消化力が弱まってしまえば本末転倒で、増々不調の連鎖が起きてしまう羽目に。心当たりのある方は、良ければ今後意識されてみてください。

おわりに

私はやはり多方面で未熟な人間であるせいか、これまで心身共に様々な不調や、明らかに病気と呼べる域の苦痛を味わってきましたが、今回の件でもまた一つ大切な学びを得られた気がしています。

殊に生活習慣に於きましては、撒いた原因に対する結果というものが我々の身に容赦なく表れてくるものだと思います。ならば不調の続く最中でこそ、自分の中での常識を疑ったり、時には正しいと信じ切っていることさえも疑ってみることが突破口になり得るのではないでしょうか。

9割の不調は一般に考えられているよりも簡単に解決可能であり、そして人体の側は常に治ろうとしてくれている。このことは、どんなに暗い視界にも差し続ける一筋の光のように思います。思い返せば私も多飲の際には、飲み物を飲むことに僅かな「不快感」を覚えてもいたものでした。

日夜、世間で喧伝される大音量の絶望や欲望に気を取られずに、いつでも傍にある我が身の小さな声や、または知人らの助言にこそ耳を澄ますことが一番の健康のコツなのではないか。人はいつでも自然に治ろうとしているのを、余計な刺激物を盛り込んで阻害し続けてしまっているのではないか。改めて、そんな風に思わされる機会でもありました。

このサポートという機能を使い、所謂"投げ銭"が行えるようです。「あり得ないお金の使い方をしてみたい!」という物好きな方にオススメです(笑)