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「生きる希望がない」「身動きが取れない」ひきこもり初期段階の脱却方法について

前置き

ごきげんよう。

長期ひきこもり経験者として、そして今もなお当事者の一人として、主に「ひきこもり」という題材で発信を続けているホロ9です。

重度ひきこもり状態に於ける回復方法について、私如きが持ち得る限りの体感、知識はもう大方書き尽くしたような心地の昨今ではございましたが、しかし意外にも、初見の方にも取っつき易く、総括的なテーマで書いているものはあんまり取り揃えられていなかったことに気付きました。

まさに、灯台下暗し。

どうも私は「偏屈なタイプのひきこもり」という職業柄もあってか、ひと度筆を執れば、さて如何にして好事家らに舌鼓を打たせられるか……と息巻いてしまうところがあるようです。

しかし、ご安心ください。今回はなるべく普遍的かつわかりやすい内容を書き出しておきました。

これをひきこもりに成りたての可愛い後輩たち、時は経てどもまだまだ突破口が見えないと苦心されている同志たち、或いは親御さんたちに、苦境打開のきっかけとしてご活用いただければ幸いです。


ひきこもりの意外な原因

「なぜ人は病むのか?」
「なぜひきこもり状態に陥ってしまうのか?」

医学的な分野にも目を光らせながら、これまで情報収集して参りました。

一般論によれば「これは一重に精神的な要因である」とされるところでしょう。しかし実際には、内臓の負傷や免疫力の低下など、物理的かつ肉体的な損傷もまた原因の大部分を占めている可能性が、専門的な知識の累積、そして長年の体感によっても見えてきたのです。

近年の研究では、実験用マウスの腸内環境を悪化させることで、免疫力の低下を引き起こし、それによって意図的に「自閉症のマウス」を作成できることが判明してきました。お察しいただける通り、自閉症となったマウスは群れとのコミュニケーションが苦手となり、自ら離れ、隅の方に縮まって一人で過ごすようになります。

ちなみに「自閉症マウス」に善玉菌を投与し、腸内環境を改善したところ、再び群れに戻ってコミュニケーションを取り始めます。このように、コミュニケーションへの態度は腸内環境、つまり免疫力が握っている部分が大きいということです。

所謂コミュ障や対人恐怖も含め、社会システムを有する種族の個体にしばしば見られる「コミュニケーションの回避行動」というものが、免疫力と密接な関係にある自己防衛機能だということも示唆する事例です。

なにせ我々社会的な種族は、コミュニケーションを回避させることによって、免疫力が低下している状態での病原菌感染を手前段階から防ぐことが可能になります。

人の行動は全て、体内に住まう常在菌らの分泌物によって決定づけられており、更にその影響力は個々人の性格から趣味嗜好にまで幅広く及ぶため、「人体の事実上の支配者は彼ら細菌たちである」という話もまことしやかに囁かれるようになってきています。

脳腸相関という言葉がある通り、人体は様々な神経物質やホルモンが「脳と腸を往来する」仕組みに出来ているのも、細菌たちが私たちの行動に深く関与できてしまう理由でしょう。

この項でお伝えしたかった結論としては以下となります。

  • 「ひきこもり」は物理的な損傷(主に内臓)も大きな原因である。

  • 免疫力の状態によってコミュニケーションへの態度が変わる。

  • ひきこもり改善には「免疫力の向上」という物理的な策が効く。

やってはいけない食事

1.大衆的でジャンクな食事

ひきこもりで「食生活を気にしている」という方はほとんど見掛けたことがありません。

何を隠そう私自身も、かつては人には言いたくないくらい杜撰な食生活を送っていました。

毎日砂糖たっぷりの清涼飲料水(ジュース)は欠かさず一本以上は飲み、間食には板チョコや菓子パン、ガム、スナック菓子。間食どころか「そもそも朝食が菓子パン」「昼食がカップラーメン」という日も多く、昔から親からそういう風に用意してもらっていたのを何の疑いもなく胃に流し込んでおりました。基本の食事までジャンクフードだったとなると、いったい一日に何回ジャンクフードを摂取していたのやら……。

まさに暴飲暴食で、間食用にお菓子を3日分のつもりで買ってきたのを1日で食べきるなんてこともザラでした。良くも悪くも太らない体質だったこともあり、正気に戻るきっかけが無かったのでしょう。物事を冷静に見て対処するような判断能力もとうの昔に失っていたと思われます。

そんな生活を続けていた結果、異常な頭痛や不眠症を筆頭に様々な病的症状の盛り合わせを味わい、死を覚悟する瞬間さえ何度も訪れました。

ある時ネットで「要注意!添加物はこんなに危険!!」といった風な記事が偶然目に留まり、正直、半信半疑ではあったものの、そこで挙げられていたあまりものリスクの多さに少し怖くなりました。

2.ガム

中でも特に危険だと紹介されていた人工甘味料のアセスルファムカリウム、アスパルテームが、自分が毎日1セット食べてきっていたガム菓子に含まれていたことに気付きました。

「歯に良い」という謳い文句が印刷されたパッケージや、お馴染みのテレビCMなどによる印象によって、その手のガムは「健康食品である」という認識をしていただけに、かなり意外でした。

その頃の私にはガムを食べることはもはや日課だったので口惜しさはありましたが、「発癌性」「脳腫瘍の誘発」という文字も目にしていたこともあり、どうもそのまま食べ続ける気にもなれず、代わりにスルメを噛むようにしました。

その結果、いつも舌にあった不快感が消えた(薬品っぽい妙な甘み、苦み)、腹痛に陥る頻度が減った、慢性的に起きていた薄い頭痛が消えたなど、二週間ほどで明らかな変化を感じられたのです。その後、「もう二度とガムは買わない」という判断には自然に行き着くことになりました。

意識して成分表の「人工甘味料」の項目を見るようになってからは、調味料やスナック菓子まで色々なものにこれが含まれていることを知ります。流石にその時は全部断ち切るだけの気力はなかったので、最も危険とされている人工甘味料だけを避けて、他は惰性で摂取していました。

危険だと指摘されている人工甘味料についての擁護意見としては「バケツ一杯分くらい食べなければ影響はない」「科学的に安全性が確認されているので大丈夫」といったものを目にしていたのですが、私はその時「あいつらは大ウソつきじゃないか!」「危険性があるならもっと早く知らせろよ!」と憤ったものです。

そうした実生活上の経験によって、「表に出ている情報だけが全てではない」というこの社会の構造を、だいぶ遅れて思い知ったような気がしました。

  • ガムには「発癌性」「脳腫瘍」が指摘されているアセスルファムK、アスパルテームが入っていることが多い。

  • 「悪影響は無い」というのはあくまでもデータ上の話に過ぎず、現実問題として個人に悪影響が出ている場合もある。

3.ジュース

コーラやライフガードやヤクルトまで、甘い飲料水はどれも大好きでした。

気分が落ち込んだりイライラした時は、感情を紛らわせるためにいつも口にしていたものです。日常的に自己否定と自責を続けており、導き出される結論といえば毎度ながら「自死」ばかり。そんな中での、私の唯一の楽しみだった気もします。

今になって思えば、あれはアルコール依存症患者が飲む酒と大差無いか、どこでも手軽に飲めてしまう点ではより悪質だったかも知れません。

ところがガムに引き続き、ジュースもまた「極度に健康に悪い」という情報をある時ネットで知ってしまいます。ガムの一件で健康に対する興味が増したこともきっかけだったのでしょう。

曰く、清涼飲料水(いわゆるジュース)には通常の食事では摂取できない量の糖類が使われており、砂糖を液体化させたようなもの。また砂糖はカルシウムを消費させることから骨をスカスカにさせ、虫歯や骨粗鬆症を誘発する。血糖値の乱高下を引き起こすため"キレ症"やうつ病の原因にもなり、大量のインシュリンの分泌させることによって体の怠さを引き起こす。日常的に清涼飲料水を飲んでいる人は人生のパフォーマンスを下げ続けている、というようなものでした。

百歩譲ってガムは手放せるとしても、ジュースだけは手放せる気がしませんでした。暴飲暴食の快楽の内でも大部分を占めており、いつでも飲める手軽さと、胸にガツンと来る甘さ、清涼感は荒んだ心の救世主だったからです。

遂に私はジュースの害について"見て見ぬふり"を決め込むことにしました。

そして再び、アレがやってきたのです。

「雷が直撃した」とも比喩されるべき強烈な頭痛。あまりもの激痛から歩行不可能となり、足以外の部位でも少し動かすと頭部を激痛が駆け抜けてゆきます。収まるまでは微動だにせずベッドに寝そべっておくのが基本で、鼻をかむためにティッシュを取ることさえ怖くてたまりませんでした。更に恐ろしいことに「貴様に逃げ場は無い」と言わんばかりに、全く動かない場合であっても定期的に激痛が走るのです。後に知ったのですが、そうした頭痛を群発頭痛、またの名を自殺頭痛というそうです。

病気に関する知識など碌に無かった当時、自身の脳や体が修復不可能なまでに壊れており、死が近いことが原因なのだろうとばかり思っていましたが、必ずしもそういうわけでは無いようです。

無間地獄に閉じ込められたかのような1~2時間が過ぎ、剛腕の鬼どもが打ち鳴らすあの銅鑼の振動が収まった後、「頭痛が無い状態とは、なんて穏やかのだろう」「あのまま死ぬかと思ったが、今回も生き延びられた」「でもまたアレはやってくる」「もうこんな苦痛の繰り返しは御免だ」という気分になって、その時はやけにしみじみとしていました。

私のように理論でわからないタイプの馬鹿は、体感で思い知らされる以外にないのかもしれません。いよいよ私は「ジュースも辞めてやろう」と覚悟を決めました。

基本的にはネットゲーム(当時はテキストチャットも怖かった)や、その他のオフラインゲームを遊んで気を紛らわしつつ、ジュースの代わりに飲料を「お茶」と「水」だけに制限しました。

何度もジュースが飲みたくて仕方がなくなりましたが、そもそも買わないように自制していた為、今すぐ喉に流し込もうにも手元にありません。糖分の過剰摂取が常態化していた私は衝動を抑えきれず、結局板チョコをバリバリと食べながら水やお茶を飲むという元も子もない過ごし方をしていました。

それでも一か月ほどジュース禁止を続けてからというものの、何となく体が楽になった心地がしました。チョコレートやスナックなど菓子類は相変わらず無尽蔵に食べていましたが、ジュースを飲まないだけで確かに、何かが違うのです。

体が少し楽になった他にも、集中力が以前よりも増したことや、感情の乱高下が起きにくくなったことにも気が付きました。

ジュースの糖分量は、お菓子などまだまだ可愛いくらい山盛りで、液体である分吸収も早いという点で、次元が違う存在だったのかも知れません。

  • ジュースに含まれる糖分量ははっきり言って異常。

  • 砂糖の過剰摂取がキレ症やうつ病を誘発する。

  • 液体である点吸収が早く、血糖値の乱高下を引き起こす。

  • ジュースによって人体から大量のカルシウムが奪われる。

4.その他菓子類

「ジュース=生き甲斐」と言えるほどだった大きな悪習を、自主的に断ち切れたことは確かな自信に繋がり、チョコレートやスナック菓子、ついでにアイスクリーム等々その他の菓子類も引退しようという気になってきました。

ずっと頭ではわかっていた筈の「体に悪い食べ物」。それらを実際に絶つことで心身の改善がちゃんと体感できたことも、やる気に繋がった要因です。

ジュース以降の"引退"は、意外にも簡単でした。欲しくて仕方なくなる日はあったものの「是即ち修行である」と耐え忍び、代わりに毎食の肉や野菜、ご飯をしっかりと食べるようにしました。

どれを断つにもかつてのジュースほどの辛さは無く、順調に止めてゆけました。

全ての菓子類を引退した後は、まるで自身に「知能の向上」が起きたかのような感覚が起きました。物事に深く向き合い、集中することが格段に得意になったのです。言葉も以前よりスラスラ出てきます。

もっとも私の場合、元々が致命的に頭が悪かったというのもありますが、体感で知能が3~5倍ほどに向上したのです。

単なる錯覚であった可能性もありますが、それだけ意識状態や気分が良くなったという証左には違いないでしょう。これは本当に「砂糖断ち」をやってみて良かったと思えた点です。

  • 「砂糖断ち」で頭がスッキリするのは本当。

  • 「砂糖断ち」の結果、集中力や思慮深さが増大し、頭が良くなったという体感が起きた。

5.小麦

そもそも小麦は日本人のほとんどが耐性を持たない食品であり、肌荒れや腸荒れ、便秘、更には自己免疫疾患の原因になるといったリスクが指摘されています。

逆に「日本人が小麦を食べたことで健康になった」という事例を今のところ私は聞いたことがありません。

厄介なのが小麦に含まれる「グルテン」という物質の依存性の高さであり、それによって腸が荒れ続けるにも関わらずもっと欲しくなり、肉体に慢性的な炎症状態を作り上げると言われています。

私も例に漏れずグルテン中毒に陥っており、特にお腹が減っておらずともパンやパスタが食べたくて仕方がなくなるようなことがよくありました。

しかし、これもかつてのジュース依存と比べれば大したことではありませんでした。パンやパスタなど小麦が占める食品を一か月間食べない生活を続けたところ、そもそも「小麦を食べたい」という欲求が全く起きなくなったのです。

つまり、単に依存症に陥っていただけだという証拠ではないでしょうか。

結果としては、お腹を壊す(下痢をする)ということがほぼ無くなりました。小麦をよく食べていた時、いつも週の半分くらいはお腹を壊していたような状態でした。

  • 小麦に含まれるグルテンは肌荒れ、腸荒れ、便秘、最悪は免疫疾患を引き起こす。

  • 小麦には依存性があり、食べ続けていると止まらなくなる。

  • ホロ9の場合、「一か月」の小麦断ちによって小麦への欲求が消失した。

6.牛乳

小麦に並ぶアレルギー食品として有名な牛乳ですが、そもそも日本人の多くが乳糖不耐症(乳糖を分解できない)だという話があります。

日本は古来から乳製品を使った食文化がないので、肉体の性質や細菌叢が対応してしないであろうことは素人でも理解できる部分です。

また、牛乳に含まれる「カゼイン」という物質も日本人では消化できず、腸に停滞して腸内を炎症させ、傷付けてしまうと言います。内臓の損傷は体表にも表れてくる為、見た目にもわかる肌荒れに繋がる恐れもあります。

一般的には「牛乳=カルシウムが豊富で骨に良い」というイメージが定着していますが、実際には牛乳を摂取することによって「カルシウムが減る」という働きが起きるそうです。これは急に入ってきたカルシウムに人体が反応し、むしろカルシウムを排出させる働きを起こすことが原因とされています。結果的に自分自身の骨などをも分解してしまい、却って骨がスカスカになってしまう危険性(骨粗鬆症)があるそうです。

私の場合、「牛乳」といえば小学校の給食で嫌々慣らされた食文化でした。初めは「血生臭くてマズい」と思いつつも、習慣的に飲まされていたこと。テレビ番組などで「牛乳は健康に良い」というアピールが頻りにされていた影響で、強制される場が無くなった後でも何となく自主的に飲み続けていました。

ですから、牛乳に関するリスクの話を、ある時インターネットで見付けられたのはむしろ好都合でした。やはり依存性もあったのか、一週間くらいは「牛乳が飲みたい」という欲求に駆られましたが、その後は小麦同様に後引くものは無くなりました。

牛乳を止めた結果、日常的に腹痛が起きることが無くなりました。

牛乳→ヨーグルト→チーズと発酵の段階が進むに連れて無害化されてゆくという俗説があります。体感としてもチーズに近づくに連れて腹痛、体の怠さを引き起こす率が下がる気がしています。

  • 牛乳で骨がスカスカになる危険性がある。

  • 含まれているカゼインが腸内を荒らす。

  • そもそも日本人の肉体が乳製品に対応していない。

食事改善の結果

ガムを止めた後に体に起きた変化から「食事」による思っていた以上の影響力に驚き、その後は最も依存していた清涼飲料水(ジュース)との戦いを経て「依存を断ち切る」ことのコツを掴み、更に長い時間を掛けて体に悪いとされている食品をほぼ全て断ち切ることが叶いました。こればかりは自分の薄っぺらい人生の中でも「頑張ったこと」として誇れそうです(笑)

気付いた頃にはあれだけ苦しまされていた群発頭痛が起きなくなっており、地獄で長い戒めを受けた後、ようやく許されて人間界に戻してもらえたような開放感がありました。何か月経っても群発頭痛がやってこないのを確信した時、思わず泣きそうになった程です。

今になって思えば、私に起きていた様々な身体的苦痛とはそれ自体が地獄の鬼や悪霊の仕業ではなく、「気付いてくれ」「助けてくれ」という他でもない我が身から発されているメッセージだったのではないでしょうか。

私はこれらの経験によって「苦痛に向き合い、真意を知る」という人生に於ける重要な体感を学べた気でいます。

生活改善の中でも「食事」とは目に見えて管理できる最も確実な方法です。苦しい場面もありますが、自殺をするよりもよっぽど簡単、かつ安全です。

おまけに過去の自分と比べて明らかに知能が向上しており、物事に集中したり、深く考えたり思い出すことが、自分の頭だとは思えないほどすんなり行えるようになりました。本当にやってみて良かったです。

地頭の悪い私でもそうだったので、他の方では更に大きな効果を実感出来るのではないでしょうか。「食事改善」は初期段階で身悶えしている他のひきこもりの方にも是非最初に試していただきたい方法です。

依存症・中毒の治し方

知人から教わった話で「依存症」に関する非常に面白いものがあるので、ご紹介しておきます。

ネットの「画像検索」から引用させていただきます。

ラットパーク(ネズミの楽園)実験と呼ばれるものです。

ここでは「仲間が居るネズミは薬物(モルヒネ)の強力な依存性にさえ打ち勝つ」という驚愕の実験結果が示されています。

同時に、我々社会的生物の「孤立によって依存症が起きる」という恐ろしい事実を浮き彫りにした研究でもあります。

思えば私がジャンクフード依存との熾烈な戦いを繰り広げていた頃。怖くて碌に会話も出来なかったながらも、ネットゲームの世界に辛うじて他者との繋がりを見出していました。「代替品を食べていた」ことに加えて、こうした「他者との繋がり」という要素があったことも、私が依存から脱却する為の強力な後押しとなってくれていたのでしょう。

そもそも「孤独な人ほど依存症に陥っている」という光景は一般的であり、専門分野の話を交えずとも、皆心のどこかで理解している構造だと思います。

しかしネズミの事例を見てみることで、これをより深く体感できました。かつての私のように何らかの依存症や、所謂「〇〇中毒」に悩まされている同志は、「仲間を作る」という方面から今一度脱却に挑戦されてみてはいかがでしょう。

ちなみに、「仲間を作る」というのは今の時代はネットでも十分だと思っています。むしろ肉体で触れ合うことが出来ない分、お互いの精神面から交流が始まるのがネットの世界なので、より深い関係を築けるかも知れません。

「ひきこもりがネットで友達を作る方法」について、過去の記事で幾つかご提案させていただきました。私が書き出したものはあくまでも一例に過ぎませんが、よければ参考にしてみてください。

不眠症の治し方

睡眠とは、ご存じ人間にとっての重要なメンテナンスです。

「日中の気分やパフォーマンスは、全て睡眠の質に懸かっている」と言っても過言ではなく、もし長期に渡って不眠症が続いた場合、肉体の病気はもちろん、治しづらい精神疾患にまで発展してしまう恐れがあります。

私の不眠症状としては、夜になっても眠気が来ず、ネットやゲームなどで画面を見続け、朝方になって限界を迎えて気絶するしか方法がない。運よく眠れた時でも高確率で悪夢を見てしまい、3時間ほどで目が覚めてしまう。幾ら寝てもすっきりせず頭が重い、というものでした。

不眠症には長期間悩まされており、その影響か「外で携帯電話を触っている人たちは、自分の悪口を書き込んでいる」「皆が自分のことを知っていて、監視されている」という有名な類の被害妄想が生じており危うい状態でした。しかし、食事の改善に伴って睡眠の問題が徐々に減ってゆき、いつしか被害妄想も含めて改善されていました。

日中に光を浴びて生成したセロトニンが、暗所でメラトニン(睡眠ホルモン)へ変換されるという仕組みを知ったこと。また、ジュースやお菓子などによる糖分の過剰摂取が「腸を荒らして悪夢を引き起こす」「寝つきを悪くする」という話を知ったのは、不眠症が治っただいぶ後のことでした。

ゲームやPCの点灯した画面を見続けていたことで、自律神経が「朝が来た」という判定を出し、メラトニンの産生を阻害していたことも私の不眠症の大きな悪因だったのでしょう。

あとは自身がひきこもりという状況もあり、体はいつも基本的に怠かったのですが、「脳のエネルギーが余って眠れない」という部分も大きいのではないかと疑っていました。ですから、なるべく何か一つのことに熱中して過ごすこと、「頭を使わない選択肢」と「頭を使う選択肢」の二択がある場合、あえて「頭を使う選択肢」を選び続ける心構えを持つようにしていたのですが、これも幾らか効いてくれた気がしています。

  • 日中に得てきたセロトニンが暗所でメラトニン(睡眠ホルモン)へと変換される。せめて画面光は暗めに設定しておきたい。

  • ジュースやお菓子に含まれる大量の糖分も睡眠障害を引き起こす。

  • 「寝ないといけない」と気を張るよりも、「別に寝なくても良い、自分無職だし」と構えておく方がむしろ眠りやすい。

ネガティブの治し方

常態化したネガティブ思考は己の心身をも蝕んでゆきます。

人間はネガティブな気分の時は免疫力が低下し、ポジティブな気分の時には免疫力が上昇するという性質を持っています。そもそも気分と免疫力は相関しているものだと考えられますが、生物学の観点に立ってみれば、ポジティブ思考こそが生物にとって普通の状態だと言えてくるのです。

様々な雑菌が蠢く過酷な自然環境の中、人間という種族が今日まで「免疫力を低下させた状態」で生き残ってこられたとはとても考え難いです。人以外にも知性が発達した身近な動物、たとえば犬や猫、豚や牛なども標準状態が前向きで活き活きしているところを思い返していただきたいのですが、そうしたところからも生物にとっては「ポジティブな気分が標準」であることが伺えてきます。

つまり道徳や倫理といった議論は抜きにしても、人体のパフォーマンス、病気の予防、生産性といった効率の観点からも「我々は標準がポジティブ思考であるべき」という一種の真理が見えてくるのです。

また私の経験上、ネガティブ思考に囚われる時はいつも決まって「現代社会」という文脈の内に自分を配置する時でした。

テレビやネットのニュースで繰り返し宣伝される、健全な一般人という人間像。市販の書籍やドラマ、映画によって示される普通の生き方。それに能力の優劣の判断基準や、幸不幸といった基準さえも、よくよく考えてみれば発達の過程で自然に獲得したものではなく、政治やメディアの意図によって刷り込まれたものに過ぎないということにある時気が付きました。

自身が一般のレールから外れてしまった境遇もあり、「自分には価値は無い」と責める気持ちは収まりませんでしたが、「では、社会にそれほどの価値はあるのか?」とひっくり返して考えてみます。「自分は無能だ」と責める気持ちに対して「では、社会はそれほど有能なのか?」と。するとだんだん持ち前の確固たるネガティブにも自信が無くなってきたのです。

私としては「世界と自分」という絶対の二項で対比させていつもりが、その実態は「時の権力者が宣伝する社会と自分」という極めて限定的な対比に過ぎないと気付いた時は、まさに目から鱗が落ちた心地になります。これは「権力に洗脳されていた」または「カルト的な態度で権力を盲信していた」とも言い換えられるでしょう。

宇宙があり、地球があり、地上があり、そこに小さく我々は「社会」という概念的な道具を設立しました。端から「社会=世界」だなんて言える規模では到底なかったのです。そして社会とは時代と共に様々に様相を変え、時に全員で過ちを犯し、そこに参加していた沢山の命まで含めて滅んでしまうことがあります。極めて脆弱な道具です。これまでに、「世のため人のため」という名目の下で沢山の虐殺がありました。政府が民間人を襲ったことや、実験体として命を利用することもありました。かつて「天が回っているのではなく、地球が回っている」という説を支持していた人が、"陰謀論者"として糾弾され続けた時代がありました。人を殺すことで賞賛される時代もありました。

社会とは一体何なのでしょう?

色々な視点から考えてゆく内に、少なくとも以前の視野狭窄に陥っていた私のように「社会=絶対の神」という風にはもはや微塵も感じられなくなっていたのです。

「標準がポジティブ」の状態にまで回復するには、やはり価値観の根っこの部分に温かなポジティブを敷き詰めておく必要があります。

その為には、社会的な立場や成果といった変動的な要素に左右されず、いつも絶対的に誇れるもの、大切に思える何かを自己の内側に見出さなければなりません。

やや理屈めいた話になってしまいますが、個人的には「生物学」や「免疫学」などといった分野から、まずは物理的な「人体」に対する知見を深めてみることをおすすめしています。

人体について知れば知るほど、その複雑な仕組みと機能の多さに驚かされることは必至でしょう。更に人間の場合はその他の生物と比較して、ここに緻密な精神構造まで見どころとして加わってくるので、かなり贅沢な肉体です。

自分自身がどれだけ無能だとしても、人体は確実に有能であること。これは大自然が生み出した比類なき傑作であり、搭乗できた己はとてつもなく幸運な者で、勝ち組であるということ。ではこれを少しでも活かしてみよう、たとえ活かせなくとも、人間というこの優れた肉体に乗って、限定的な体験を出来たことには至上の価値がある。それまでは空っぽだった心の底に、こうした認識を少しずつ底に敷いていったことで、今となっては私も「標準がポジティブ」という状態を概ね達成出来ている自覚があります。

「上虚下実(じょうこかじつ)」という言葉があります。これは上半身は力が抜けており柔らかく、一方で下半身にはぎっしり詰まっていて力強い、という人体の理想姿勢を表します。また、東洋思想でも頭は冷えており、内臓は温かいのが理想とされます。こうした事例を参考に、「根っこの部分はポジティブ」で、「表面的な技術としてネガティブを使いこなす、楽しむ」というあり方が人として最も健康的なのではないかと思えてきました。

  • 免疫力の観点からも、生物は「ポジティブが普通」。

  • 慢性的なネガティブに囚われている人は「社会=世界」という視野狭窄に陥っている場合がある。

  • 自分に自信がない場合でも、「人体の価値」という観点から知識を仕入れるとポジティブになれやすい。

我々人間が存在する価値について、過去にYouTube動画を作成していました。

「そうはいってもまだまだ自信がない」という方は、併せてこちらもご覧になってみてはいかがでしょうか。

(補足)コンテンツを取捨選択する必要性

マスメディア製のコンテンツは、例え明るい題材が選ばれたものであっても結局は「生き方の押し付け」「視野狭窄」「自己否定」へと向かわせてくるものが多いです。多くのスポンサーの存在や、政府の目があるという構造上の問題もあって、どうしても権威側の目線でしか物事を語れないのだと思います。

自己啓発系のコンテンツであっても、ただ明るい言葉を並べるばかりで筋が通っていないものは避けた方が良いです。

質の悪いコンテンツを避けながら、なるべく繰り返し「良質なポジティブ」に触れて、芯にまで染み込ませることもコツの一つになりそうです。

一方で、「洗練されたネガティブは人の心を浄化する」という音楽家・土取利行さんの名言もあります。たしかに、何かを嘆いたり不満を表明するコンテンツにしても、丹精込めて練り上げられたものは視聴者の気分をスカッと爽快にさせ、むしろポジティブな気分に昇華してくれます。

最後に少しややこしい話になってしまいましたが、種類を問わず「マスメディア的ではない、質の高いコンテンツ」を選んで触れてゆくことがポジティブに生きるためのコツだと言えそうです。これは「ジャンクフードを止めて、きちんと食事を摂りましょう」という話に繋がってくるのかも知れませんね。

死にたくなった時は……

ひきこもりに降りかかってくる症状のうち、最も厄介なものが希死念慮です。

突発的に命を失い兼ねないという危険もありますし、一度陥ると何をしようにも心が重くて仕方がありません。

「死のうとしなくても時間経過で死ぬようになっている」
「世の中どんな身分の人であれ、将来的にみんな死ぬ」

私の場合、希死念慮が湧き出してきた時、こういう当たり前のことを胸中でゆっくり転がしている内に幾らか楽になれる部分はありました。

今でもたまに希死念慮が頭を出すことはありますが、そういう時こそただ静かに当たり前のことを一つずつ思い出していって浸るようにしています。「困った時こそ楽観的に」「余裕がある時こそ悲観的に」どうも、これが人生のコツのような気がしています。

それから、ここまで書いてきた様々な改善策の内でも「食事」に関する改善が概ね完了した後は、それ以前と比べて格段に希死念慮が起きる頻度が減ってくれました。

希死念慮の原因は「精神的な要因である」といする言説が主流だとは思いますが、病気による「肉体的な苦痛」、それから自覚が難しいであろう「内臓の悲鳴」というものも、実は大きな要因になっているのではないかと私は推測しています。

しかし実際、いざ希死念慮に染まっている時というのは、他者からどんなに前向きな言葉を掛けられたところで、それらはただ虚しく宙を木霊するばかり。なかなか「心」という深みにまでは到達してくれません。何せ、私自身がそうでした。

いっそのこと、「死」という要素に思い切り浸ってみるのも良いかも知れません。ひと気の無い湖畔にひっそりと佇んでみたり、夕焼けの海峡をフラフラと歩いたり、夜の公園で星空を気が済むまで眺め続けてみたり。そんな風に、半ば幽霊になった心地で過ごすことで見えてくるものも多いと思うのです。

希死念慮とはどこか、そうした極度の精神的な暗さ、静けさの中で、己に強制的な「内省」を突き付ける狙いで起きている部分もあるのではないかと疑っています。

たとえば私はそうした"半ば幽霊のような"過ごし方をする中で、一つ気付いてハッとしたことがあります。それは、「死にたい」という感情の奥底に隠れているものが、「別の環境で生きたい」という切実な願いだったということです。

試しに頭の中で思考実験もしてみたのですが、自分が今から異世界にでも飛ばされて、今とは違った立場で、今とは違った人々の中で、今とは違った生き方で、例えば本物の妖怪やモンスターなどにも遭遇しながら生きる状況になった場合、自分は自殺しようとするだろうか? ……などと考えてみました。

すると想像上の私は自殺をしようとするどころか、ようやく重い腰を上げて、現実世界よりもよっぽど真っ当に「生きよう」とし始めたのです。驚きました。これは何より、希死念慮とは自覚しつつも、私のそれは「純粋な死への欲求」ではなかったことの証明でしょう。

正確には「死にたい」のではない。「違った環境で生きたい」というのが本当の心の叫びだった。私はそうだったようです。

皆さんはいかがでしょうか?

生きていれば苦難は尽きず、時には「生まれてこない方がマシだった」と嘆くこともあります。何故か自分にばかりとんでもない理不尽が押し寄せてきて、世界全体を恨むような気持ちになることだってあります。今ではこうして前向きな発信をしている私でも、「くだらない世界だ」と毒づいてきた回数はもはや数え切れない程です。目の前の社会なんて、もう取り返しのつかない程に腐りきっています。

この項では「対処法」という明確なものを提示出来ず、ただ同じく苦しんできた人間として、そっと寄り添うくらいのことしか出来ませんでした。

我々が感じる「死にたさ」というものの奥には、まだ何か隠されているのではないか? 

本当にただ死にたいだけなのか?

他にも可能性が残されてないか? 

死ぬ前にやりたいことは残っていないか? 

色々な物事を複雑に考えすぎて

最も単純で大事なことを忘れていないか?

この部分を改めて問いかけさせていただこうと思います。

最後には景気よく「自殺志願」をテーマにしたおすすめ動画で締めておきます。一見して物騒なテーマですが、その真意は動画を最後まで再生していただけた方には必ずご理解いただける筈です。

船瀬俊介先生、本当にありがとうございます。

お陰様で「私も死ぬ時は餓死にしよう」と前向きな気持ちになれました。

おわりに

以上、自身の体験談を挟んだせいで少し長くなってしまいましたが、いずれの項でも知って本当に衝撃を受けたり、実践してみて「人生が変わった」という実感のあった、選りすぐりの話を書き出してみました。

今の時代、「心身がおかしくなって人生に希望が見えない」「医者に掛かっても良くなる気配が無い」と絶望されている方はかなり多いと存じております。

それでも身近なところから一つ一つ生き方を見直してゆく内に、かつての私のように「ずっと治らなかった症状が治った」「しかも知能が元の3~5倍に増えた……」といった得も言われぬ感動を、皆さんにも味わっていただけることを私は確信しています。

まずは、精神的な地盤を固める為に「孤立を解消する」という意識を持ちなながら、ジャンクフードや悪習などへの依存を一つずつ絶つべく挑戦されてみてください。特に「食事の改善」という分野は、精神や気分という目に見えない分野とは違い、確実に目で見えて自己管理ができるものなので、初めに手を付けるには最良だと思います。

孤独解消の為の「仲間づくり」に関しましては、例えば特定の誰かと仲良くなれずとも「単にコミュニティへの所属数を増やす」という方法でも脳の幸福感が増すようです。手詰まりだと感じていても、探せば意外と色々な方法があるものなので、諦めずに、しぶとく生きてみることが最大のコツです。

また、ここに書いてある情報は「もっと早く知れていれば」「もっと早く試しておけば……」と私自身が後悔しているものばかりでもあります。どうか他のひきこもりの方には意識が飛ぶような激痛を味わったり、死にかける思いをする前に心身の健康を取り戻し、実は世で考えられている以上に高い「人間本来の能力」の一端を味わっていただきたいところです。

全ての苦痛には必ず理由がある。

人間はそれに対処できるだけの能力を有している。

また、「大疑ありて大悟あり」。
(深く悩み続けた者こそ、やがて大きな悟りへと至る)

同志たちの健闘を祈っています。







このサポートという機能を使い、所謂"投げ銭"が行えるようです。「あり得ないお金の使い方をしてみたい!」という物好きな方にオススメです(笑)