ありのままの愛

「ありのままの愛というが、そのままじゃダメだ」という言葉を聞いたことがあります。どういうことだろうか?恐らく、「イエスキリストは、信じる者の罪をゆるしたが、それは、その信じる者が罪から離れ、きよい生活をするためであって、罪をいいよいいよにはしてない」という意図からの言葉だと思います。

もしくは、ありのままの愛というと、まるで「信じる者も信じない者も全員愛してるから、罪とかそういう固いこといわないで、いいよいいよ」という印象があるのかもしれないですね。

そういう意味での「ありのままの愛」なら私も誤った愛の捉え方だと言わざるを得ません。しかし、やはり「ありのままの愛」は確かに聖書のメッセージであり、すべての人に注がれているものであることは事実です。今回はそのことを改めて聖書から確認していきたいと思います。

イエスキリストは私たち罪人すべてを愛されている

まず、イエスキリストは誰のために死なれたのか、というところから見ていきます。

"実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。"
ローマ人への手紙 5章6〜7節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

聖書には、義人は一人もいないと明記されています。つまり、人間すべてが罪人なのです。例外はありません。この聖句では、イエスキリストは、正しい人や敬虔な信仰者のために死んだとは書かれていません。むしろ、「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれた」と書かれています。この聖句は明らかに「信じない者、罪人」のためにイエスキリストは死なれたと言っています。

また、この聖句もお読みください。

"私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。"
ヨハネの手紙 第一 4章10節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

「私たちが神を愛したのではなく」とあります。これは条件付きの愛ではないことが明らかです。条件付きというのは、「あなたが私を愛してくれたら愛するよ」とか「あなたが私を信じてくれたら愛するよ」とかいったものです。しかし、神の愛には条件はありませんでした。まず「神が私たちを愛し」てくださいました。

以上のことから導き出される答えは、イエスキリストの愛はすべての人に注がれているということです。善人や敬虔で信心深い人に限定される者ではありません。人間であれば、無条件に神の愛は注がれています。まず、この事実が確認できました。

そのままではいられない

もし、神の愛を知り、それを味わい、その救いの恵みにあずかったとしたら、私たちはどうなるでしょうか。「ありのまま愛されてるし、もうそのままでいいではないか」となるでしょうか。

パウロはこう表現しています。

"敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。
それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。"
ローマ人への手紙 5章10~11節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

そうです。「私たちは神を喜」ぶのです。神との和解を味わい、楽しむようになるのです。それだけではありません。

"律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。
それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。"
ローマ人への手紙 5章20~21節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちは罪に満ち溢れていました。しかし、その罪の満ちたところにさえ、神は「恵みも満ちあふれ」させてくださいました。その恵みは「義によって支配」され、「永遠のいのちに導」かれていきます。これは要するに、罪の中にいた不敬虔な私たちが「ありのままで愛された」恵みを受けて変えられた、ということです。

この「ありのままの愛」がなければ、私たちは変えられることはありませんでした。また、敵対していた神と和解することもありませんでした。イエスキリストの広げられた両手を見なければ、私たちの固くなった心は溶けることはありませんでした。

そうです。私たちは「ありのままの愛」によって変えられるのです。そして、もう2度と、愛してくださった神が憎む罪に逆戻りしようなどとは思わなくなります。「そのまま」ではいられなくなります。

まとめ

神は私たちを、ありのまま愛してくださっています。信じる者も、信じない者もです。また、この愛を知り、神と和解した人たちは「そのまま」ではいられなくなります。「ありのままで愛されてる愛」を受け取ったからです。

ここでは、信じない者がどうなるか、ということはあえて書いてはいません。それは、本テーマとは別の話だからです。ただ一言いうとするなら、たとえ、滅ぼされる結果になっていても、神は最後の最後までその伸ばした手を引っ込めたりはなさいません。彼らを最後の最後まで諦めず愛しておられるからです。

あなたは、確かに「ありのまま愛されています」。

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