最近の記事

罪を認めたくない

こんにちは、角笛です。今日は証です。 最近、自分自身に失望することが多くありました。自分のミスや、悪い思いを抱いて人を傷つけたり、不当に扱ったり、心にも思っていないことを言ってしまったり、大きなことを言ってしまったり。このみことばを思い出しました。 私は本当に罪深いなと、思わされる日々です。今はそう思います。神様が私をなだめ、また心優しく教えてくださったからです。実はというと、自分の非を認めたくなくて、正当化をずっとしていました。あることで、明らかに自分が悪いことをしてし

    • まず自分から変われ

      私はどちらかというと脳筋思考が嫌いです。「自分から率先して動け」「やれ、ただやれ」「理由など考えるな」などの、思考よりもまず行動、ひたすらに筋肉を動かせ、というのがどうも性格的に合わないようです。 今回のタイトルは、まるで脳筋っぽくなっていて、個人的にはあまり好きではないフレーズです。しかし、今回お話するのは、脳筋というよりも、どちらかというとお花畑に近いイメージなのかなぁ、と個人的には思います。 「なぜ自分から変わらなければならないのか」について、今回も聖書から語りたい

      • ありのままの愛

        「ありのままの愛というが、そのままじゃダメだ」という言葉を聞いたことがあります。どういうことだろうか?恐らく、「イエスキリストは、信じる者の罪をゆるしたが、それは、その信じる者が罪から離れ、きよい生活をするためであって、罪をいいよいいよにはしてない」という意図からの言葉だと思います。 もしくは、ありのままの愛というと、まるで「信じる者も信じない者も全員愛してるから、罪とかそういう固いこといわないで、いいよいいよ」という印象があるのかもしれないですね。 そういう意味での「あ

      罪を認めたくない