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ヘルベチカ

「──時に、何事も条件やルールがあってですね、」

頬を切る秋風が遮られ、車内にはバカ天気のいいひだまりだけが残り、妙にあたたかく、眠たくなってしまう、日曜の昼間の、電車。
しかしこの電車は人がごった返すことはない。とある県境に位置する、いわゆる辺境の地へと誘なう、まさしく赤字路線である。
しかしながら地域住民もそこを利用しなければ死んでしまうので、廃線というわけにもいかず管轄では問題視されている路線だ。

私はとある取材でこの電車に乗っている。
その目的地は終点の『へるべちか』である。
実際の駅名はもっと別な名前であるが、何故だか地元の住民はみんな『へるべちか』と呼んでいるのだ。

「──それに従うことは向っ腹の、はらただしいことかもしれません」

先ほどから聞こえているこの声は、山々しか見えぬ両車窓に向きあう形でつけられた長い座席の、まったく向かいに座る、男のものだ。

この男、私がこの電車に乗る時にはおらず、それでいてそこから一度だって停止してはいないのに、いつのまにか現れていた。

私の他に、乗客はいなかったはずなのに、だ。

この男、どこから現れたというのだ。
そしてなぜ、こんなに広々とした車内で私の真向かいに座るのか、気まずさとかないのか。
募る疑問は往々にであるが、何をされるかわかったものではないので、それをぶつける気にはなれず、ぶつぶつ、ぶつくさ言っている彼を、俺は無視し続けている。
服装は、こんな辺境には似合わない灰色一色の、フォーマルなコート姿、頭にはチャップリンのそれのような丸くて少し小さいハットを被っている。顔は組んだ腕と長い襟、そしてつばに隠されてよく見えない。席がちょうど逆光というのもよくない。

しかしこの男、先ほどから何の話をしているのだろう。少しだけ、ほんのちょっぴりだけ気になっている。

「特に、我々の意思と真逆だったり、そぐわなかったりすればよっぽどでしょう」

その物腰は、インターネットで見るような、いわゆるヤバい迷惑客などとは、何だか違う様な、

いうなれば、すごく丁寧だ。

私はそれに気が付いた時、何故だかすごく寒気を感じた。こんなにあたたかいのにだ。
この男は、いわゆるとは、なにか違う。

「しかし、そのルールの中に、細分化すればその収縮的小宇宙に、我々の意思は、意味はあるのです」

話していることは、途中からしか聞いていないのでまるで訳がわからないけれど、現代、若者の言語が粗暴になりつつあるなか、こんなにも丁寧に話されると、何かもっともらしいことを言っているのだなという様な気になってしまう。

がたがたという音と揺れは、ごおうとなりを変えてトンネルに入った。車内は電力節約のため、真っ暗になった。

「──へるべちか」

暗い車内の、がたがたとうるさい中で、はっきりそう聞こえた。トンネルはすぐに抜けた。
明るくなった。
一瞬処理できなかった情報を整理した。

この男、へるべちかについて何か知っている。
私の仕事は、何故へるべちかと呼ばれているのかを調べることだ。この向かいの男が、それについて何か知っているのなら、話は早いだろう。さっそく私は男に話しかけた。

話しかけたつもりだった。

おかしい、

声が、全く出ないのだ。

当たり前に出来る、出来たことが、途端に出来なくなることに、私は少しパニックになり、がたり立ち上がり、喉を触っては悶えた。
しかし、どれだけ喋ろうとしても、喉仏は動こうとする気配もなくただそこに鎮座している。

「──時に、何事も条件やルールがあってですね、」

男は、私がこれほど悶絶しているのに呆気からんとしている。それどころか、私など最初からいないかのような対応だ。
ルール、条件?
一体何の話をしているんだ。
嫌な脂汗が背中を這っている。

「──それに従うことは向っ腹の、はらただしいことかもしれません」

はらただしい?
少し日本語に、違和感を感じた。
普通そこには、はらだたしいと入るだろう。
しかし、男はいま、はらただしいと言った。
濁点の位置がおかしい。
さらにそれだけでなく、発音、いやそもそもの音が、そこだけ変だった。まるで機械音声が、間違えた日本語を読み上げたかのような。
少しづつ、正体が掴めている気がする。

「特に、我々の意思と真逆だったり、そぐわなかったりすればよっぽどでしょう」

意思…。
私はへるべちかのことを調べにここまでやってきた。

「しかし、そのルールの中に、細分化すればその収縮的小宇宙に、我々の意思は、意味はあるのです」

──まさか、
考えたくもないことが頭をよぎった。
そして、だとしたらよぎる事自体、ここではタブーかもしれない。

へるべちかとは、ヘルベチカ、つまり、書体、フォントのことだ。
駅名標にも採用されている、世界で一番使われたサンセリフの欧文書体だ。

やつの言っているルールとは、たとえば書体のように、ある一定の決められた基準と角度で行われることのようだ。
やつの喋り方、妙に丁寧だと思ったが、おそらく、それがルールのひとつなんだ。

そしてあのトンネル、おそらく私はあそこですでにへるべちかに足を踏み入れていた。
書体というルールの幅はとっくに超えているが、ここがへるべちかと呼ばれる所以は、多分このルールがあるからだ。へるべちかでは、ヘルベチカに従わなくてはならない。そういうものなんだろう。

私はへるべちかにて、それを無視して喋ろうとした。しかしそれは発声のルールの外で組んでしまったから、表現されなかった。
ヘルベチカは、日本語を組むことはできない。できたとしても、専用のフォントを取り入れなくてはならない。

やつの、はらただしいという音、それはヘルベチカでは表現できなかった。だから違和感があったんだ。

へるべちかの正体とは、超常的なベクトルでの、ルールの強制だったのだ。
だとしたら、このまま駅に向かうのはすごくまずい気がする。嫌な予感がする。

すると、体からみしみしというような音がした。私は席を立っていた。どんな体制で?

喉を触っては悶えたままの体制。
指先がぼろぼろと崩れていくのが分かった。

「うおおおおおおお………ッ!!!!!」

体験したことなどあるわけのない、とんでもない激痛だ。
私の指は、体制は、ヘルベチカで表現できないものだったのだ。
しかし、カスケード的に亀裂は走りつづけている。先ほどまでは何ともなかったのに、おそらくルールがどんどん厳しくなっているのだ。

このままでは、確実に、死ぬ。
存在が表現されずに、なくなってしまう。

嫌だ、死にたくない。
パニックで、思わず足を滑らせてしまっ縺溘?

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「──へるべちか」

まだ中学生です