見出し画像

観客は「クソバカ」ではないし、感じたことに「不正解」なんてない。

映画「月」を批判するnoteが読まれている。

2023年12月7日21時現在で、5,000を超える「スキ」が押されている。この勢いはもっと続いていくだろう。

このnoteは、書き手のnoteに対して「スキ」を押した5,000人に向けて書いている。彼らの中には実際に「月」を観た人もいると思うし、「月」を観ていない人もいるだろう。「月」を観た方はぜひご自身の感じたことを大切にしてほしいし、「月」を観ていない方には批判noteを読んだだけで作品のことを理解した気にならないでいただきたい

*

映画に限らず、カルチャー全般において「批判」というのは重要な行為だ。

誹謗中傷は論外だが、「面白かった」「つまらなかった」という感想も含め、批判や評価が広く行き渡ることによって映画文化は支えられてきた。だから(一部書き手の事実誤認もあるようだけれど)、note作者の見解を僕は否定しない。

・「月」という作品がつまらなかった
・「月」という作品は絶対に観る価値がない

このふたつの表現は、似ているようで、かなり大きな差がある。

前者の場合は、「つまらなかったのか。じゃあ観なくていいや」、もしくは「つまらなかったのか。逆に気になるから観に行こう」と解釈の余地を相手に委ねることができる

批判という表現を行なうにあたって、どちらを使うのも自由だ。しかし後者(「観るな」というメッセージ)を用いるのであれば、相応の覚悟が求められることは念頭に置いた方がいい。後者のメッセージ性は強く、相手の言動を縛る可能性があるからだ。

*

話題のnoteは、「「月」という作品は絶対に観る価値がない」と表現している。ご丁寧に「観に行く人を減らしたい」と目的まで記している。

実際に書き手の思いは伝わってくるし、作品を観たひとりとして、趣旨は理解できなくもない。ただ、僕の気持ちは真逆だ。「月」は素晴らしい作品であり、できるだけ多くの人に観てほしいと考えている

でも、このnoteではカウンター的に「月」の感想を記したいわけではない。冒頭にも記した通り、「『月』を観た方はぜひご自身の感じたことを大切にしてほしいし、『月』を観ていない方には批判noteを読んだだけで作品のことを理解した気にならないでいただきたい」という思いを伝えたいだけだ。

実際に映画館に足を運んだ方は、「月」という作品を語る権利がある。映画を観ていない方だって作品を語っても良いけれど、僕としては、やはり映画を観て初めて「まっとうな」語りを持てるようになると思うのだ。乱暴な言い方をすると、批判noteは二次情報に過ぎない。どんな優れた書き手であっても、書き手のフィルターを通して作品は語られる。たとえそれが公式ウェブサイトのイントロダクションだったとしても、作品のことを正確にトランスレートできるわけではない。だから僕は、「作品を観た人が作品を語ることができる」と主張したい。

批判noteの書き手は、観客のことを「クソバカ観客」と記した。これには明確に「違う」と言いたい。仮にどんなに「クソバカな作品」だったとしても、作品の性質と受け手の人間性はイコールで結ばれるはずがない。

観客は、観客である。
クソバカな観客なんて、どこにもいない。
僕たちの解釈は自由であるべきだし、誰にも介入されず自由であるはずだ。

僕の知人は「月」を観て、「優生思想が助長されやしないか」と懸念の声をあげていた。「僕はそうは思わないけれど」といって意見を交わした。対話は僕にとって非常に有意義で、新鮮な気付きを得ることができた。

僕の解釈も正解だし、知人の解釈も正解だ。いや、もっと言葉を尽くすならば、僕も知人も正解の解釈なんて持ち合わせていない。不正解の解釈が存在しないように。たったひとつの、自分だけの解釈。類型化できるとはいえ、観客の数だけ解釈というものは存在するのだ。

ちょっとだけ、クサいことを言いたい。

「月」を観たあなたの解釈は、絶対に間違っていない。
批判noteを読んで、「自分の解釈は間違っていたかも」なんて思う必要なんて全くない。(「こういう解釈もあるんだ」と思うくらいでちょうどいい)

そして「月」を観ずに「スキ」を押してしまったあなたへ。

その「スキ」には色々な意味があるだろう。だけど批判noteを読んだだけで「月」を理解した気持ちになっていたとしたら、あなたは早計な判断をしているといえよう。もしあなたが優れた芸術を愛する人間であれば、映画館で「月」を観てもらいたい。その上で良し悪しを評価すべきではないだろうか。(↓のスレッドでは、批判noteの書き手が一部誤認している点を記しています)

*

ここまで僕が書いたことは、「月」という作品に照らし合わせるのならば、「きれいごと」なのかもしれない。

でも僕は(少なくとも僕は)、その「きれいごと」を携えて、これからもたくさんの映画に向き合っていくつもりだ。

正直なところ、批判noteを書いた方の解釈に共感できるところも多い。おそらくそれは作り手にも届いているし、きっと彼らは次回作で批判を超えたいと思いを強くしているはずだ。(これも「きれいごと」ですね)

「月」は観る価値のある作品だ。まだ観ていない方がひとりでも多く、自分の目で「月」という作品に触れていただきたいと強く願っている。

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。