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それでも、「毎日noteを書くこと」を薦めたい。

昨日書いたnoteの反省を。

もともと自らの達成や強みを認識することが苦手だ。

だから昨日のnoteは本心なのだけど、「特に文章が上手くなったわけでもない」というのは、ちょっとネガティブ過ぎたかもしれない。

365日連続更新を続けたことで発見したこと、獲得したことも間違いなくある。

昨日と正反対な内容のようで恐縮だが、僕は、多くの人に「良いこともたくさんあるから、毎日noteを書いてみたら?」と薦めたい。実利的なメリットを中心に、今日は駄文を重ねてみよう。

書くことで得られること

1. 言語化能力が向上する

面白い映画を観たとき「ヤバかった!」という感想を持つとする。友人やパートナーがそばにいれば「どんな点がヤバかったのか?」を深掘りして尋ねてくれるだろう。しかし、そのような存在が常にそばにいるわけではない。

人間は「楽をしたがる」生き物。物事を単純化して理解しようとする。思考や感情を、本能に委ねていると、たちまち自分の「言葉」を失ってしまう。

論理的思考でも、デザイン思考でも、直観でも、なんでも構わない。

とにかく自分の頭の中にあることを、自分の「言葉」で表現する。noteを毎日書くのは、言語化能力を伸ばすための良いトレーニングになる。

2. 本や映画に触れる機会が増え、情報感度が上がる

毎日書くということは、書くためのネタが必要になるということだ。

いくら毎日仕事をしていても、仕事に関するネタを365日分は用意できない。となると、普段接しているもの以外のインプットが必要になって。本や映画などの感想は良い材料になる。

本や映画のことを定期的に書こうとすると、本や映画に関する情報に敏感でなくてはならない。「あの人がnoteで書いていた本って、どんな内容なんだろう」と思えたらしめたもの。noteを書くことで、徐々に情報感度も上がっていくはずだ。

3. 仲間が増える

ここでいう「仲間が増える」とはフォロワー数の増減を指しているわけではない。

・定期的にリアクションをくれる方
・自分と同じように毎日noteを更新している方
・同じようなテーマでnoteを書いた方
・感嘆するほど面白いnoteを書いている方

など。

noteのエコシステムは、ユーザー同士の関係性 / つながりを可視化してくれる。コロナ禍でなかなか対面で会うことはできないけれど、いつかどこかで会うことができれば、すぐに打ち解けた関係を築けるはずだ。そんな「仲間」を得ることができたのも、noteを続けて良かったことだ。

インプットとアウトプットのバランス

稀にどちらかで良いという人もいるが、インプットとアウトプットのバランスは極めて重要だ。

これからは、本業のみの単線的なキャリアでなく、「人生の複線化」が常識となる。仕事だけで得られる知見だけでは不十分だ。副業、育児休暇、ボランティア、プロボノ活動などによる学び。自分がリアルで所属している場所だけでは獲得できない情報も、noteには、たくさんアーカイブされている。

noteの情報をきっかけに、関連書籍を読んだり、何かのコミュニティに参加したりというネクストアクションにつながったら最高だ。そこでも当然ながら学ぶことはあるし、それらを発信することで、別の人の学びにもつなげることができる。ペイフォワード、そんな良質な循環がnoteにはある。

ということで、インプットとアウトプットのバランスを意識したい人は、「noteを毎日書く」ことをやってほしいと思う。

書く時間を、どのように捻出するか

僕は短いもので10分、長いもので2〜3時間程度、1本のnoteを書くのに費やしている。平均すれば30分〜1時間程度だ。

僕は、書く時間を固定していない。

早く目覚めた朝に書くときもあれば、ランチタイムに書くこともある。仕事で疲れてしまったときの気分転換に書くときもあれば、日が変わりそうな深夜に急いで書くこともある。(だいたい夜に書くことが多い)

ネタをゼロから考えるのは結構しんどいので、僕は、ある程度書くテーマを決めている。

土曜日は1週間の仕事の振り返りを、日曜日は映画感想文を書いている。本を読んだら、なるべく書評も書くようにしている。こんなふうに週7日のうち、3〜4本くらいは書くネタを決めている。

この他に「ふつうエッセイ」というものも、僕は毎日書いている。

毎日ゼロからネタを作るのはしんどいので、週末ノートに気になるトピックスをざーっと書き出すようにしている。「4/6(水)はあれを書こう」というのが決まっているだけで、ずいぶん書くハードルは下がるものだ。

noteとともに、ノートを携える。

ネタに迷わないためにお勧めしたいTipsだ。

noteの理念

「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」

noteの理念であり、僕がnoteを続けたいと思う理由だ。

「「ああ、なんで俺はこんなに知識がないんだ、教養がないんだ」と絶望しながら文章を書いている」と、昨日のnoteに書いた。本音である。

だけど、そんな自分もクリエイターであるとnoteは認めてくれる。僕が書くnoteは誰の役にも立たないかもしれないけれど、1年後の自分にとって「書いて良かった」と思える内容かもしれない。

はじめること。
つづけること。

そのふたつを、温かく肯定してくれるnoteに甘えられるから、僕は今日も駄文を書いていられるのだ。

恥ずかしさを感じる必要はない。創作とは、誰でもできる行為なのだから。

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。