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彼をHeと言いたくはないけれど。

フォローしているmakicooさんのnoteに触発されて、He/Sheの使用について思うところを書く。

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僕は現在勤めている会社で、人事の仕事を行なっている。

人事は「採用」「労務」「制度設計・運用」「教育」が主な仕事と言われているが、これはあくまで機能としての仕事であり、業務範囲を説明しているに過ぎない。

経営における「ひと」領域に携わる以上、その会社のバリューを体現する存在でなくてはならないし、「ひと」に対する考え方も世間の価値観に寄り添いながらアップデートしていかないと話にならない。

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そんな中で、僕はこの春、ささやかな「アップデート」を試みた。

社内の労務資料に必須項目だった「性別欄」を外したのだ。

社員の生物学的性は把握しているが、本人が自認する性と一致しない可能性もある。「考えすぎ」かもしれないが、今回だけでなく、先々を見据えたフォーマットに変えたかった。

だが、その試行はあえなく頓挫する。

そのフォーマットで社労士に連絡したところ、すぐに「性別を教えてくれ」と返信があったのだ。

「まじか」と思ったけれど、社労士を咎めることはできない。

例えば、雇用保険被保険者資格取得届を提出する場合、性別(1 男、2 女)を選択する必要がある。

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実際の提出は社労士にお願いしているので、入力が必須なのか任意なのかは分からない。

ただ、こういった便宜的なフォーマットが、世の中にたくさん存在しているのは事実だ。そのたびに僕たちは「彼をHeと言いたくはないけれど」、彼をHeと見做して業務遂行をしなければならない。

言わずもがなだが、社員に確認せず「この人は男性だろう」と判断するわけにはいかない。人事が勝手に判断して提出した結果、「実は女性だったんです」となったら取り返しがつかないからだ。

便宜的なフォーマットが機能している以上、本人とも、性別の確認をしなくてはならないし、それはイコール、「男性なのか女性なのか」を強制的に決めさせていることに他ならない。

「ひと」を大切にすべき会社が、「ひと」を傷つける可能性があるわけだ。

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持論だが、価値観を点として認識するのは間違っている。

「あの時代は〜〜だった」というのは単なる言い訳であり、その人が「正しい」と思っていたことが、その時点でも大いに間違っていたに過ぎない。

僕が中学生の頃、教師が体罰を振るう現場をたびたび目撃してきた。

ゲンコツ、平手打ち、罰走、廊下に立たせる、屈辱的な暴言、理不尽な評価……。それが「教育」として教師と親が同意関係にあったとしても、生徒は恐怖に怯え、道から外れることを極端に恐れるようになった。

価値観の話をすると、「考えすぎだ」と言われることもある。

だけど、「その言動は100年後、200年後も支持されることか」を考えるのは、至極当たり前のことだ。価値観は点ではなく、線や面として、時間軸・空間軸を超えて機能するスタンスであるべきだ。(「〜〜べきだ」というのも、将来的には消えていく概念かもしれない)

価値観の変化についていけない領域というのは、確かに存在する。

だけど、それを「仕方ない」と諦めるのでなく、定期的に声をあげていきたい。「わきまえろ」という無言の圧に挫けそうな仲間がいたら、「一緒に頑張ろう」と声を掛けられる存在になりたい。

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。