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凡庸な人間に愛は務まらない。(映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」を観て)

2024年、映画館で最初に観た作品はマーティン・スコセッシ監督の206分の大作映画。こんなにも魂がこもった映画を、年始から観れて幸せでした。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」
(監督:マーティン・スコセッシ、2023年)

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アメリカ中西部、ネイティブ・アメリカンのオセージ族が石油の発掘によって莫大な富を得ることから悲劇は始まる。財産目当ての白人たちが、ありとあらゆる策略を企て、彼らの財産と人命を剥奪するに至る物語だ。

本作の主要人物(前半)は、3名いる。

・戦争帰りの凡庸な青年アーネスト・バークハート(演:レオナルド・ディカプリオ)
・人的、物的ネットワークを駆使してガチガチなシステムを作り上げた“通称キング”ことヘイル(演:ロバート・デ・ニーロ)
・オセージ族で、アーネストと結婚したモーリー・カイル(演:リリー・グラッドストーン)

この三者三様のパワーバランスが歪に傾いたとき、愛はいとも簡単に崩壊してしまう。否、愛が存在しながらも命を奪うという蛮行に至るという、にわかには信じ難いような悲劇が成立してしまうのだ。

ハンナ・アーレントが語った「悪の凡庸さ」を持ち出すまでもなく、悪とは往々にして「そんなことがきっかけなのか」と驚くような些細なエピソードから始まるものだ。裕福な叔父を持つアーネストにとって、労働とはちんけな営みで。強盗でダイヤモンドを奪い、それらを賭けで失うという刹那的な生活を続けることで彼なりの野心を満たそうと努めていた。それでも金は貯まらない、自尊心は削られていく。そこで出会った裕福なオセージ族のモーリーは、さぞ金鉱のように映ったのではないだろうか。これもまた凡庸な人物の発想である。(不運というべきだろう、アーネストはルックスの良さによってモーリーといとも簡単に付き合うことができた)

アーネストは「そこに愛があった」と力説するも、それを信じる人間がどれだけいるだろう。インスリン投与が必要な妻に、毒薬を混ぜ、少しずつ衰えさせていく。幸いモーリーは寸前のところで救出されたが、しばらくは夫の愛を信じようとした。面白いのは、アーネスト自身も妻への愛を告白したこと。そこに嘘はなかっただろうが、なぜ言動が伴わなかったのだろう……というのは、206分という長尺の中で明らかになっている。

確かにヘイルは悪魔のような存在で、じわじわとアーネストを追い詰めていった。しかし本当の悪魔は、アーネストのような凡庸な人間の中にこそ存在している。平気で最愛の妻を死に至らしめようとする、その行動様式は凡庸ゆえに「これこそ正しい手段なのだ」と疑わない思考にあったのだろう。

僕は、自分自身のことを凡庸な人間だとたびたび認めるけれど、アーネストのような凡庸さは御免である。他者に嫌われてもいいから、社会の「当たり前」を疑っていたい。万人に呆れられようとも、そのスタンスこそが、妻への愛を確かなものに維持できるように思うのだ。

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アメリカのネイティブ・アメリカンへの搾取を扱ったセンシティブな作品である一方で、サスペンスの要素も孕む本作。脚本の方向性も何度か変わった中、ひとつのエンターテインメントとして見事な出来栄えになっている。

いずれApple TV+で見放題配信されるようになるだろうが、できれば映画館で狂乱のリアルを目撃してほしい。

「My wife is sick!」と叫び続けたディカプリオの哀れさは、映画館の大きなスクリーンでこそ伝わるものだと思うから。

特別捜査官のトム・ホワイトを主人公に据えた原作も、機会があれば読んでみたい。

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