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「人は中身」と言い続けたい。

毎日新聞の「人生相談+」で、コラムニストのジェーン・スーさんが外見コンプレックスに関する悩みに回答していた。

この手の話は、「外見のことなんて気にしてても仕方ないよね」というところで決着するのだが、「そうはいっても外見コンプレックスから抜け出せないよね」というのが人間の性。スーさんの回答は、あらゆる雑念さえも肯定するような優しさが宿っていた。

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外見のコンプレックス。齢40になって、ほとんど気にならなくなっていたが、昔はけっこう悩んでいた。

目や頬、足の形がちょっと悪い気がする。もみあげの向きが気になる。もう少し背が高かったら。幼少期は「でべそ」が恥ずかしかったっけ。他人よりも髭が濃い気がするなあ。

なんてこと。挙げればキリがない。

そんな外見のコンプレックスに対して、「もっとこうなったら良いのに」を求めていくと、絶対に変えられない「出自」に行き着くとスーさんは語る。

目先の得を甘んじて受け続けていると、自身の成長は望めないのも事実。どんなに容姿がよかろうが、やがて、どう生きてきたかを問われる瞬間がやってくる。

(毎日新聞「人生相談+ ジェーン・スーさん 「人は中身」境地は遠い? 容姿で自分の価値を決めない」

渡された武器で何とかやっていくしかない。でもそれは、ともすれば自己責任論に転化されそうな感じではある。

スーさんは、外見コンプレックスをポジティブな方向にも捉えられると語っている。

(容姿によって)選別され振り落とされた経験は、結果的にすてきな人たちを私の周りに運んできてくれた。私はこっちのほうがおトクだと思っている。

(毎日新聞「人生相談+ ジェーン・スーさん 「人は中身」境地は遠い? 容姿で自分の価値を決めない」)

確かに、そうなのだ。

「選別されて振り落とされた」経験を持つ者同士で集まる話は、とても面白い。「あんなことがあったよね」と笑い飛ばすことができるエピソードは痛快で、しかもかけがえのない連帯を感じさせる。

苦労ばっかりしている。でも、「若いときの苦労は買ってでもせよ」という言葉があるように、自分の持っている武器の豊かさに胡坐をかいてはいけないのだ。

「豊かではない」というスタートが、「豊か」なものを志向するエネルギーになる。「豊か」というスタートから、「さらに豊か」なものへ志向するエネルギーは、けっこう湧きづらいものではないだろうか。

「中身」を豊かにするための工夫は、尽きることがない。好奇心に終わりがないように、いくらでも「まだまだ」を見出すことができるのだ。だからこそ、私も「人は中身」だと言いたいし、これからも言い続けたい。ちょっぴり意固地なスタンスになったとしても、「人は中身」だと信じたいから。

#毎日新聞
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