先へ、先へ、先へ、先へ。(映画「カモン カモン」を観て)
「人生はビギナーズ」のマイク・ミルズ監督の新作。
前評判も良かったが、期待を大きく超える出来だった。「映画」というメディアの価値に気付くような作品で、映画を好きで良かったなあと感じることができた。
映画ジャーナリストの宇野維正さんのツイートは、短くも、この作品の素晴らしさを言い当てている。
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とはいえ、劇場公開したばかりなので、なるべく内容に言及しないように。
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「未来はどう変わるか?」「君の街はどう変わるか?」
ホアキン・フェニックスさん演じるジョニーが、そんな問いを子どもたちに投げ掛ける取材シーンから映画は始まる。(子どもへのインタビューは、シーンごとのブリッジとしてたびたび挿入される)
そこに示唆されている、重要やアティチュードがあったように思う。
それは、未来を志向していこうというもの。家族(主人公と甥っ子)の関係性を描く作品ではあるが、古き良き時代を懐かしむものではないという制作者の姿勢である。明確に宣言されたことによって、観る者はそれぞれの「これから」について考える準備ができたのだ。
子どもと関わるのは親だけではない。
まして、子どもは「面倒を見る」存在でもない。
社会との関わりの中で、社会と共に成長していく。大人だって、社会と共に成熟していくわけで、主人公・ジョニーと甥っ子のジェシーが訪ねる場所ひとつひとつが意味のあるものだったのだ。
子どもとの関わりを「面倒を見る」という、能動的なアクションをベースにしてはいけないということだ。
自らの接し方に悩むジョニーだが、徐々に、ジェシーの話に耳を傾けられるようになっていく。ただ聞くのでなく、時間をかけて。ジェシーに向き合いながら。
「聞く」という行為は、受動的なアクションだ。「聞く」というアプローチを通じて、ジェシーとの関係が深まっていくのは興味深かった。
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「聞く」という態度は、なかなか辛抱強さが求められるものだ。
僕も息子たちと遊んでいるときに感じることだが、彼は、いつまでも遊んでいたいと思っている。強制的に切り上げるのは簡単だ。「もう帰るよ」と親の権力を行使すれば良い。子どもはひとりで生きていくことはできない。彼らは、しぶしぶと大人についていかざるを得ない。
だが、それは子どもの気持ちを無視した行為だと言えるだろう。
辛抱強く、子どもが「自分でやりたい」と思うことに寄り添っていく。子どもの話は的を射ないものも多く、疲れているときに彼らの話を聞き続けるのは結構しんどい。
それでも「聞く」行為を続けることで、だんだんと他者に開いていくようなスペースに発展していく。そこが彼らにとって、いやお互いにとっての心地良い居場所になる。だから「聞く」という行為を侮ってはいけないのだ。
そう考えると、主人公をラジオジャーナリストという、「聞く」が重要な職業に据えたことは意識的だったといえる。
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もしかしたら、マイク・ミルズさんは「映画監督」という職業においても、「聞く」ということを大切にされているのかもしれない。
彼はこれまでの作品においても、自分自身の考えや経験を主人公に投影してきた。自分自身の在り方も自問し、ジョニーの行動の変化を演出した。それは監督なりの答えだったというのは穿った見方だろうか。
もっというと、「聞く」ということの必要性を、社会に訴えているとも言えそうだ。
SNS全盛期において、誰もが発信することを手段にできるようになってきた。それはそれで素晴らしいことなんだけれど、その反動で「聞く」ことができなくなってきた。
その「聞く」の価値に目を向けていけるような、そんな暗喩も込められているように思う。
それを「説教くさい」と捉えてしまうのは、少しもったいない。観る者の感性に、そっと寄り添うような真摯さが、「カモン カモン」にはちゃんと存在するのだから。
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ジェシー役を演じたのは、現在13歳のウッディ・ノーマンさん。
「ジェシー役に適した人がいなければ映画も撮らない」という話もあったようだが、オーディションで選ばれた彼の存在感は、唯一無二。彼がいなければ、ここまで温かい作品にはならなかったのではと。これからの活躍が楽しみだ。
(映画館で観ました)
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