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シンプルとは何か。余白とは何か。

『MAKING TRUCK』という本のデザインが素晴らしい。

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『MAKING TRUCK』には、大阪でオリジナル家具屋「TRUCK」を営む黄瀬徳彦さん、唐津裕美さんの柔らかくてナチュラルな日常が描かれている。

エッセイ集のような、ライフスタイル誌のような、写真集のような。一言で表せない不思議なコンセプト。

懐かしい同級生に、地元のコーヒーショップで再開したときのような緩い空気感。どのページを繰っても、自分の気持ちを本に寄り添えることができる。

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本書を構成しているのは、言葉と写真だ。

面白いのは、どの言葉も並列で語られているということ。見出しや言葉の節々に、強調や装飾が一切行なわれていない。

新聞や雑誌などの活字メディアでは、全てのコンテンツが読まれることは想定されていない。読者は無意識でスキミング(拾い読み)をするため、作り手は「ここだけは読ませたい」ポイントに、強調や装飾を施していく。

フォントサイズが大きくなっていたり、フォント種類が変わっていたり。

シンプルなUIであるnoteでさえ、幾つかのルールに基づき、強調や装飾ができる仕様になっている。

本書は全く同一のフォントサイズ、フォントスタイルが適用されている。それは裏を返すと「読みやすさ」を放棄することを意味し得る。「どこを読めば良いのか」と読書は迷ってしまうかもしれない。

実際のところ、この本は読みやすいわけではない。

だが、ページを進めてしまいたくなるような魅力があり、まさにデザインの力と言えるだろう。

「どんな写真を見せてくれるのだろう」という好奇心だったり、写真が微妙に細かく違ってレイアウトされている工夫だったり、ふとした発見が込められたエッセイだったり。

例えば、こんなことが書かれている。

まぁちょっとした、日常の中でみなが頓着なく使う、ほんとうにちょっとした日用品。
延長コードだとか、風呂の掃除用に履くゴム靴だとか、
洗濯物を干すフックだとかの、おもにゴム製、プラスチック製のもの。
ヒリとトリは、こうしたたぐいのものが、どうしても選べなくて困っている。
その原因はいろいろあるが、一番は色遣い。
ふたりにとって、パステルカラーがもっとも苦手とするところで、
サーモンピンクやエメラルドグリーンなどは、恐ろしく考えられないのだが、
日本では、ものの見事にそういった色ばかりが、堂々と鎮座ましましている。
たまにグレーがあったりするが、少し青みがかっていて、
惜しいけれど微妙に違う。

それに対して、アメリカのホームセンターなどに行くと、
ふつうに茶色のものとかが売られている。
グレーもちょっとベージュがかったグレーで、いい感じだったりする。

べつだん、船来ものだから好きというわけではない。
しかし実際には、海外でないと選べないものがたくさんあるのだ。
(TRUCK FURNITURE『MAKING TRUCK』P85より引用)

日常に追われるように生きていると、つい見逃してしまう / 許容してしまう視点。違和感への気付きを大切にしながら、二人はお店を経営してきたのかもしれない。

二人は、つくりたいものや漠然と頭に浮かぶイメージを「なんでもノート」にスケッチする。

共有し、振り返り、試行錯誤をしながら。時間をかけてアイデアに向き合い、家具をつくり店をつくり毎日をつくっていく。

そんなクリエイションを伴いながら「お店」に向き合う。その過程が本に詰まっている。ブックデザインに込められた思考の数々を、ぜひ手に取ってみてほしい。

──

コーヒーを飲みながらゆっくりと本書を眺めていると「シンプルって何だろう」という問いが頭に浮かんでくる。

一般的に想起されている「シンプル」と、TRUCK FURNITUREの二人が志向している「シンプル」とは何が違うのだろう。

そもそも二人は「シンプル」という概念で生活を組み立てているのだろうか。考えてみれば本書で「シンプル」という言葉を見かけていない。

でも僕には、二人はシンプルを体現したような生き方をしているように感じる。そんな風に感じるのは何故だろう。

無印良品とも、バルミューダとも、Appleとも違う。共通点はあるかもしれないけれど、二人が生んでいる「余白」の正体はいったい何だろう。

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グラフィックデザイナーの原研哉さんは『なぜデザインなのか。』という本で以下のように記している。

──ヨーロッパのシンプルと日本のシンプルの違いという話は興味深いですね。
原:豪華さ、稠密さの違いはもちろんあるんだけれども、日本とヨーロッパのシンプルは違いますね。「間」とか「余白」とか言いますけど……。若い学生がすぐ「先生、余白です!」とか言ったりしますが、「馬鹿野郎、おまえらのは間が抜けているんだ!」と(笑)。日本の余白というのは意識がためられて、ためられて、それが止揚されるようにして生まれる空間なんです。(中略)余白というのは、詰めて詰めていくものなんですね。すかすかの空間ではなく、内容物はわずかでも、その周辺の緊張した空間に拮抗する存在感を持ってそこにある。バランスがいいから空けておくとか、カッコいい空隙をつくろうとかいうことではない。
(原研哉、阿部雅世『なぜデザインなのか。』P55〜56より引用、太字は私)

これを読んで思わず笑ってしまった。確かに何も考えていない(or 考えが十分でない)間抜けという人も、見方によってはシンプルと形容できる。

だが、本当のシンプルとは、足し算と引き算を繰り返しながら、結果的に無駄な贅肉が削ぎ落とされたがごとく体現された姿なのだと思う。

つまり「シンプルな生き方をしたい」と思ったとして(その問いが正しいかどうかは別だ)、シンプルな生き方に行き着くには相当の時間を要する。一朝一夕に成り立つわけがなく、表面的にシンプリシティを纏ったように見えても、それは「見せかけ」に過ぎないわけだ。

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シンプルとは何か。余白は何か。

その答えを僕は持たないけれど、少なくとも、時間をかけて体現された姿であることは間違いなさそうだ。

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