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批評の対象になること

2022年の年始に、宇野維正さん、柴那典さんの配信イベントを視聴した。

クローズドなイベントなので語られたことの詳細は伏せるが、自分の中でモヤモヤしていたことの一部が、言語化された感覚があった。お二人の知見が基になり、今に至るまでの思考のレファレンスになっている。

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お笑いだけが批評の対象になっている

トークの中で出てきた話題のひとつが「お笑いだけが批評の対象になっている」というもの。

「M-1グランプリ」や「キングオブコント」など、「お笑い」には勝敗を決するコンテスト(「賞レース」といわれるもの)がある。テレビでも生中継され、芸人たちのネタや審査員評価の善し悪しについて、あーだこーだと議論されている。

これは、広い意味での批評といえるだろう。

音楽や映画にもコンテストはあるが、そこに批評性は感じられない。業界による馴れ合い、ないし権威づけに留まっている。

露骨に優劣をつけることが正解とは限らない。しかし一部のメディアを除き、「駄作を、駄作だ」という正直な評価を下す行為は見られない。

お笑いに比べると、音楽や映画に対して、自由な批評が広く行なわれていないという状況につながっている。業界の馴れ合いが直接影響しているかは定かでないけれど。

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批評でなく、コミュニケーションが是とされる時代

もちろん音楽や映画に関しても、「批評」という行為は行なわれてきた。

ひと昔前は、雑誌メディアを中心に。今では批評家だけでなく、SNSを中心に音楽や映画が好きな人によって、作品の善し悪しについて語れるようになった。

だが、その善し悪しの語られ方は、お笑いのような広がりには至っていない。

音楽や映画は、「批評する人=アーティストやファンの敵」という構図になりやすい。批評されることに慣れていないアーティストも増え、「褒める(もてはやす)」ことを中心としたコミュニケーションが是とされるようになっている

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スピッツの音楽性を言語化できるか

批評の定義を語れるほど、僕は批評に精通しているわけではない。

ただ考えてみたいのは、現在の日本において「お笑い」のポジショニングのこと。メディア露出を鑑みたとき、日本ではお笑いがかなり優位な位置にいるのは疑いようがない。

(グラデーションはあるものの)日本人は、お笑いのことにやたら詳しい。「この芸人はなぜ面白いのか」を言語化できている

例えば、なぜ霜降り明星やミルクボーイが面白いのか。普段から言語化している人は少数だろうが、他の芸人と何が違うのか、感覚的に理解している人は多いだろう。

一方で、音楽について。例えば、スピッツというロックバンドを語ってみる。せいぜい歌詞や草野マサムネさんの歌唱について話すことはできそうだ。

だが、

・演奏についてはどうだろう?
・スピッツが日本を代表するロックバンドになった時代的な背景は?
・彼らが影響を受けていた「パンク」は、現在のスピッツの楽曲にどう反映されているのか?

この辺りの言語化は、かなり難しい。よほどのファンか、音楽好きに限られる。

音楽もお笑いも、エクスクルーシブなジャンルではないはずだ。であれば、どちらも同じように言語化できたり、感覚的に理解できたりするはずだ。何が違っているのだろうか。

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いま、周りで批評は生まれているだろうか

僕が言いたいことは2つ。

ひとつは「批評の対象になることを恐れるべきではない」ということ。

批評とは、作り手に対する攻撃や否定ではない。たとえ「駄作を、駄作」と評価が下されたとしても、それは必ずしも悲嘆するものとは限らない。

批評に正しい / 間違っているというのは存在しない。「筋の良さ」があるだけだ。(筋が悪い批評は「トンチンカン」ということになるが、批評そのものが間違いだとは言えない)

もうひとつは「批評が生まれる業界や分野は活性化する」ということ。

作り手から離れ、無責任にあーだこーだ言い合うことは、実はとても楽しい。ときに喧嘩に発展することもあるほど熱中できる。

受け手の批評は、直接的にせよ間接的にせよ、作り手に還元される。「ここが上手く伝わらなかったかもしれない」といった気付きは、次の作品作りへの参考になる。

僕が以前インタビューをした、俳優・黒澤リカさんは「観てもらって初めて、作品は『作品』として完成すると思っています。作品を作っても、公開されずに終わってしまったら何にもなりません」と話していた。

「見てもらうこと」の意義が、端的に伝わってくる。

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作品とは、作り手の「創る」という行為がなければ始まらない。しかし、作り手のクリエイティビティだけが作品に生かされるのではない。

きっと、作り手と受け手の間の相互作用、交換のようなものが肝要になるはずで。そのために、批評(+あーだこーだと言い合える状況)は重要な役割を担っている / 担っていくはずだ。

いま、周りで批評は生まれているだろうか。

そのことを、僕は、ずっと考えている。

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