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転勤について思うこと。

転勤ありだった会社から、転勤なしの会社に転職したのは4年前のこと。

それまでは教育大手の企業で、5年間企画やマーケティングの仕事をしていた。僕は社内の新規事業の部署に属していたが、ライン部門と呼ばれていた社員の多くは、全国転勤がバリバリあり得る仕事に従事していた。

その企業の最終面接において「うちは転勤があるけど大丈夫?」という意思確認があった。そして僕は「はい、むしろ地方で行ってみたいところもたくさんあります!」と答えていた。実際のところ、それは本心だった。

9年前の話だ。

当時は結婚もしていなかったし、そもそも恋人もいなかった。旅をするのが好きで、色々な土地を巡っては優しい人たちの親切を受けてきた。だから「転勤はアリ」だと心から思っていた。

だけど家族ができて、転勤というものがリアルになってきた中で、安心して働くことが難しくなってきた。もちろん転職理由はそれだけではないけれど、全国転勤という縛りが、重荷になっていたことは事実だ。

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最近は「働き方改革」という言葉の中で、単身赴任や転居を伴う異動というものが見直されるようになってきた。

そんな中で、

転勤経験者は未経験者と比べて業務経験の幅も広く、スキルの習熟度も高く、時間当たり賃金も10%程度高かった。賃金の上昇は転居を伴わない人事異動でもみられたが、課長以上への昇進確率はそれを上回る効果があった。「転勤にはパフォーマンスを高める一定の役割が認められる」

という日本経済新聞の記事を読んだ。転勤が、スキルや経験値にも影響が出るという。そんな発想を持ったことがないので正直驚いた。

いくつかのnoteを辿ってみると、記事同様に、キャリア形成にある程度メリットになるという意見も見られた。

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今は20人規模の会社に勤めているので、セクショナリズムのカケラもない組織で、日々できること / できないことの間で悩み、動き、藻搔いている。

そういった環境に慣れてしまっているが、確かに、大きな組織規模で働いていたときの閉塞感のようなものは存在していたように思う。その閉塞感を組織のせいにしていた、いわゆる他責思考は今思えば恥ずかしいスタンスだった。

環境は大事だというのは疑いようはない。だが、転勤というものが孕む心理的安全性の毀損はかなり大きく、失うものも多いのでは?というのが僕の意見だ。

従業員側が機会を求めるために「大→小」へ志向するのは自由だけど、そのために会社側が環境として全国転勤という手段しか用意できないのはちょっとマネジメントとしてイケていない。人事組織という観点から、小さく機動力のあるチームをアメーバ的に用意することは不可能ではないはずだし、実際に少なくない大企業がそういったチームで利益をあげることに成功している。

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誤解を招きたくないのだが、これは前職に対する批判や否定ではない。

DXが叫ばれている中でも、業種や業態によって、全国転勤が避けられないものもあるだろう。

マザーハウスの山口さんは、転勤の是非以前に、個人と企業の関係について「働く個人はいつでも「ノー」という権利を持っています。個人の意思に反する仕事を組織として頼んでおきながら、最大のアウトプットを期待することは間違っていると思う」と書いている。

僕自身も転勤は否定しない。

あらゆる土地で「サービスの提供を受けたい」と思う人たちがいる限り、実際に足を運んで価値提供することが圧倒的に喜んでもらえることは想像に難くない。

それは、個人と企業を結んでいる信頼関係が機能していることが前提だ。

個人は危なっかしいほど、信念や価値観がコロコロ変わったりするものだ。それに対して企業の「あるべき論」をぶつけるのは、あまり健全な関係とは言えないだろう。密なコミュニケーションが欠かせない。

転勤について思うこと。思わぬ方向に脱線したけれど、そんな観点をきっかけにして、理想の組織やチームを考えるのも悪くない。

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