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「りんごをかじる」という行為が意味することは?(映画「林檎とポラロイド」を観て)

「林檎とポラロイド」
(監督: クリストス・ニク、2020年)

壁に頭をゴンゴンと打ち付ける男。

そのシーンだけで、人生が大きく変わるような挫折や悲しみを経験したことが分かる。と同時にラジオから流れてくるのが、「ある日突然、記憶喪失になってしまう奇病」についての報道で。偶然か必然か、その夜、男は記憶喪失者として認定され、病院 兼 保護施設に収容されることになった。

しかし彼は実は記憶喪失を装っているだけ。

記憶喪失者として残りの人生を生きることを決め、渡りに船といった感じで、施設側が提供する「新しい人生プログラム」を受講することに。そのプログラムでは「自転車に乗ってください」「仮装パーティで友達をつくってください」「ホラー映画を観てください」など、毎日送られてくるカセットテープに吹き込まれた課題をこなすことが求められている。指示のままに課題遂行のたびにポラロイド写真を撮り、男は新しい人生へのリフレッシュを進めていくことになる。

*

過去からの決別。
言葉にするほど簡単なことではない。

「記憶」というものは厄介で、自分の意思で記憶を消すことはほとんど困難だ。喜びも悲しみも、時間の経過によって薄れていくもの。逆にいうと、記憶を薄れさせるためには、ある程度の時間を要することになる。記憶とは、そういった不都合さを伴うが、記憶喪失はある意味で時間をスキップできる「手段」にもなり得るのだと本作は示している。

記憶喪失という奇病のせいにして、記憶がなくなったということにした主人公。周囲は彼に同情し、おまけに国は矯正プログラムを用意してくれている。あとは自分次第。自分を偽って、過去との訣別を断行することができれば晴れて新しい自分に生まれ変われる。(実際、男は順調にプログラムをこなし、おまけにガールフレンドもできそうになる)

だが、本作の演出で一貫しているのが、主人公の迷いを「揺らぎ」として表現すること。登場人物の所作や、プロダクション・デザインに細かな配慮がなされ、「こういう世界だと、こんなことが起こりそうだよね」という観客の想像力と掛け合わさり、なんとも洗練された映画ができあがった。

今月Apple TV+で配信された、同監督の「フィンガーネイルズ」にも通ずるのは、会話の少なさだ。言葉であれこれ内容を説明することを徹底的に避けている。

そういう意味で、「林檎とポラロイド」は実に映画的だ。

哀しいときに「哀しい」というのでなく、場末のバーで静かに酒を飲む。
パートナーの死を悼むときは花を手向ける。

まさに、映像だからできる表現だといえよう。

林檎、ポラロイド、オレンジ、自転車、墓、鍵。

これらが静かに示唆するメッセージを丁寧に紐解いていくと、監督が思い描いている深淵なる世界にアクセスすることができるだろう。

主人公はラストシーンで、りんごをかじる。
りんごをかじるという行為が何を意味しているのか。

それが「今を生きる」ということだとしたら。「人生とは甘酸っぱく、健全である」という監督の揺るぎない信念が込められているのだと、僕はポジティブに受け取りたい。

過去と現在と未来は、厳密に区切られているものではない。時にそれぞれを越境しながら、新旧の道をつなげていくファクターなのである。

──

ということで「林檎とポラロイド」、とてもお勧めです。

Amazon Prime Videoレンタルで鑑賞することができます。Apple TV+の「フィンガーネイルズ」もとても良く、こちらも別の機会に感想を記したいと思います。

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