いつまで続くか分からないけれど、兄弟のケンカにも寛容でありたい。
ちょうど3年前、こんなnoteを書いていた。
あらゆることに少しずつ「折り合い」をつけられるようになった、6歳と3歳の息子たちだけど、やっぱり、ささいなことでケンカになる。
今日は、長男が小学校で借りてきた本をめぐって争いが勃発した。
自分が初めて借りた本だから、ひとりでじっくり読みたい。でも本の面白さを家族にもシェアしたいという長男。
兄が楽しそうに読んでいる本を、自分でも読みたい次男。兄主導でなく、自分でページをめくながら楽しみたい。
当然、お互いの利害は衝突し、本を引き裂かんばかりに奪い合う始末になった。そもそも、母は「ご飯だよ〜」と呼んでいるタイミング。たまらず「ご飯食べるんだから、本はおあずけだよ!」と介入し、本を取り上げてしまった。
気を抜くとケンカをしている。数秒前まで爆笑し合っていたふたりがいきなりケンカを始めている。
気持ちに余裕があるときは落ち着いて対処できるのだが、そうでないときは過剰に介入してしまう僕。怒ってはいないのだ。だけど声がうわずり、彼らには怒っているように聞こえてしまうらしい。
だめだなあと思う。
ケンカができるというのは、お互いが自分の主張をアピールできるということだ。ケンカができない大人は多い。ケンカなんてしなくてもいいけれど、時にはケンカをしないと相手の言い分を全部飲んでしまうことになりかねない。だから、ケンカはしなくてもいいけれど、自らの意思を主張することは大事なのだ。(部下や下請けなど、組織やエコシステムで弱い立場にいるとしても)
「ケンカができる」ことの良い面にまるっと蓋をしてはいけない。もちろん手を出したらある程度介入しなければならないだろうが、そんなときでも理をもって対応したい。できれば笑顔で。
兄弟ゲンカは、いつまで続くか分からない。でも続いている限りにおいては、僕自身が成長できる機会が強制的に与えられているともいえよう。
僕という未熟な人間が変わるチャンスでもあるわけで、ただひたすら精進を祈るしかないような気がしている。
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