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意見は「異見」とも書く

毎日新聞で掲載されていた社会学者・上野千鶴子さんのインタビューが面白かった。

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今年も大学入学共通テスト(旧:センター試験)の開催があり、もはや風物詩のように「リスニング機器が不調だった」「試験時間のカウントを間違った」などが報じられている。もう少し突っ込んで記事などを読んでみると、「英語が難化した」など科目ごとの特徴の考察が記されていることもあるが、こうした問いに対していつも僕はモヤモヤを感じていた。

つまりは、こういうことだ。

仮に大学入学共通テストで満点を取ったとして、その人は優秀だといえるのか

大学入学共通テストとは、問題に対して「ひとつの絶対的な回答がある」という前提で組まれている。だが、今や絶対的な回答がある社会課題なんてひとつもないわけで、正しい答えを四択から選んだり、適切な数値を当てはめることができただけで、本当に優秀さを見極めることができるのだろうか。

別の観点から考えてみよう。

企業の就職活動において。例えば全ての選考を「ペーパーテスト」だけで完遂する企業はあるだろうか。企業の数は多いので、ごく稀に「ペーパーテスト」のみの選別ということはあるかもしれない。しかしだいたいが、ペーパーテストに組み合わせて、面接やグループワークなどを実施することが多いだろう。それは当然ながら、「ペーパーテスト」だけで優秀さ(便宜上、「優秀さ」という言葉で表現します)を見極めることができないからだ。

大学入学共通テストとは、高等教育を実施する大学が「入試(選別)」のために利用することが多い。もちろん文科省が決める側面はあるだろうが、高等教育を実施する(しようとしている)大学が「ペーパーテスト」のみに頼ろうとするなんてことが、この国の多くの元凶につながっているといえやしないか。(もちろん大学だけの問題と言いたいわけではない。公平さをめぐり、国民の合意形成がなされないのもポイントのひとつである)

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やや持論が長くなったが、本題のインタビュー記事の感想へ。

長らく東京大学でゼミを受け持ってきた上野さんは、東大生に対して嫌がらせの一言を浴びせることがあるらしい。「あんたたち、せいぜいクイズ王にしかなれないよ」と。おそらくこれまで秀才と評価されてきた東大生に向かって、なんたる強烈な皮肉であろうか。

上野さんはこのように記す。

私の祝辞を聞いた教育学部の女子学生が、東大男子がやっている「東大女子、お断り」のインカレ(インターカレッジの略称。複数の大学から学生が集まる)サークルを題材に卒論を書きました。この卒論がめちゃくちゃに面白い。サークルでクイズゲームをやると、東大生は正解のある問いが得意なので、東大男子が勝つ。そこで他大学女子のメンバーを「君たち、おバカだね」といじると、「私たち、おバカだから~」といった反応をしてくれるのだそうです。
東大男子はそういうやり取りに対して「他大の女子は優しくて、何を言っても笑ってくれる」と。それに比べて東大女子は「厳しい」というんです。

(毎日新聞「田原総一朗の日本の教育問題は何だ!?|社会学者・上野千鶴子さんインタビュー/上 新たな「問い」を求める」より引用)

エリートが自分では気付けない、無意識の偏見。

マイケル・サンデルが『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という自著で記した通り(あるいはこういった書籍を引用するまでもなく)、東大生の多くが家庭環境に恵まれている。同級生よりも豊かな教育に関する環境を与えられ、親の望むままに育つだけでエリートコースに進む確率は高くなるというのだ。

東大生の多くは「(自分は)努力したから東大に入れたのだ」と言い張るが、「そうではない」と上野さんは手厳しい。

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また上野さんは、「日本人は意見を述べることが苦手だ」と説く。

政治家が国際会議などに出席した際、ろくに意見を述べることができないと指摘する。それは「英語が喋れないから」ではなく、「意見を述べることができないから」だというのだ。

その背景を、上野さんはこのように述べている。

小中高校の授業で、先生から「意見はありますか」と尋ねられても、生徒が手を挙げにくい雰囲気があったからでしょう。みんなと違うことを言ってしまったら「ハブられる」(仲間はずれにされる)ような環境で育ってきて、違うことを言ったら「君は面白いことを考えるね」と褒められた経験がないからです。意見は「異見」とも書きます。人の言うことに100%同意することなどありえないからこそ、「異見」なのです。

(毎日新聞「田原総一朗の日本の教育問題は何だ!?|社会学者・上野千鶴子さんインタビュー/下 「異才」が生まれる環境を」より引用)

一時期、「空気を読む」という言葉が流行った。

同じような意見をざっくりと共有できないやつは、「空気が読めない」といって排除されるのだという。しかし、「意見=異見」と捉えるのであれば、「空気を読む」やつだけいるような同質性が高い組織で異見などが生まれる余地はないだろう。

誰も立てたことのない問いを立てること。
誰も答えたことのない視点で異見を述べること。

そういった具体的な行動を僕自身も努めて実践したいと思うし、ふたりの息子には「異質である」ことに何ら恥じることなく、のびのびと育ってほしいと願う。

その先に、昭和でも平成でもない、新しい日本の枠組みが生まれるような気がしてならないのだ。

#毎日新聞
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#マイケル・サンデル

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