新聞を読んで、怒りを表明する。
ライターの和田静香さんへのインタビュー記事。
ご自身の経験をもとに自己責任論に一石を投じており、説得力が高い。
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と同時に僕が頷いたのは、以下の部分だ。
日本人は、政治の話をあまり公な場でしないという。「お国柄」や「国民性」といった理由で語られることもあるが、和田さんはリテラシーの問題だと主張する。
どんなことでも、知識や好奇心(関心)を持っていなければ言語化に至らない。
僕は幼少期にポケモンをプレイしていたので、ポケモンの話を息子とすることはできる。だけど魚や水辺の生き物には全く興味がなかったので、お魚トークを息子と共有することができない。
政治だって同じことだ。
「政治にはお金がかかるもの」と政治家やインフルエンサーが口にした言葉を真に受けて、裏金問題を“もっと他に取り上げるニュースがあるだろ!”なんて、議論をすり替えようとしたりする。
でも間違ったことを言うのは怖い、だけど怒りはある。その表現/表明方法として、和田さんが始めたのは新聞記事の朗読だ。先に紹介した記事のOGP画像をよくみると、和田さんが新聞片手に街中でマイクを持っている姿であることが分かるだろう。
同じことをしよう、と言いたいわけではない。
でも、何かを表現/表明したいと思ったとき、絶対に言葉が必要である。ただの言葉ではない、人の心を動かすための言葉だ。
健全で、根拠と誠意を持つ言葉をどのように身につければ良いのか。
ひとついえるのは、Xのタイムラインには、そのような言葉やヒントは落ちていないということ。新聞でなくていい。でも、言葉を味方につけるための手段とインプットの時間を確保しておくことは、「いざ」というときの備えになるはずだ。
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インタビュイーの和田静香さんの書籍はこちら。
『50代で〜』の方は、話題になっていたのは知っていたのだが、まだ未読の状態。近々読んでみようと思う。
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