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日本学術会議への外部からの民主的なコントロールはどのように行われているの?

はじめに - 日本学術会議の独立性

 前回の記事はそれなりに大勢の方に読んでいただけたようです。これについて

「日本学術会議は国の機関である以上、民主主義的な観点からのコントロールがまったく及ばなくてもいいのか?」
「国民の税金を使っているのだから、何らかの外部からのチェックが必要ではないか」
「総理が会員の任命拒否もまったくできないとなると、国民に選ばれたはずの政府が何も言えないことになってしまうのでは?」

・・などという意見もいただきました。

 まず整理すると、内閣の指揮監督を受けることなく、内閣から独立して職務を行う日本学術会議の位置づけを踏まえていうならば、時の政権の方針で日本学術会議の組織がむやみに左右されるべきではないことから、総理は、推薦された会員の任命を原則として拒否できないと考えるべきである…という考えは、前回説明したとおりです。

外部のチェックが必要なのは事実

 ただ逆に、政府などの外部のチェックがまったく及ばず、日本学術会議がまるで治外法権や閉鎖された聖域のようになって、ほしいままに経費を使って好き勝手な活動をするようになってしまってはならないのも事実です。

 そこで今回の記事では、前回の続編というか補足として、実際問題として現在の制度では、日本学術会議に対して、民主主義的な観点などからの外部のコントロールがどの程度及んでいるのか、仕組みの概要を確認することにしましょう。

大切なのは「ヒト」と「カネ」

 どのような業務を行う組織にとっても重要なのは「ヒト」と「カネ」、つまり人事と予算です。どのように人員を揃えて組織化し、どのように資金を調達して使うかが、組織を順調に動かしていくうえで死活問題であることは言うまでもありません。

予算はどうなっている?

 日本学術会議の場合は具体的にどうなっているでしょうか。まず予算の面で見てみましょう。

 日本学術会議法の第1条3項では、「日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。」とされており、その経費は国の予算から支出されるという当然のことが決められています。

 日本学術会議は内閣総理大臣の所轄であることは前回説明しましたが、実務を行う行政官庁は内閣府とされているので(内閣府設置法第40条3項で明記されています)、予算も内閣府が取り扱っています。

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(リンク先も参照)

予算は内閣府が管理し国会が審議する

 つまり内閣府が日本学術会議の予算案を取りまとめ、内閣府の扱う他の分野の予算とあわせて、内閣が国会に提出し、審議を受けて成立するわけです。国民が国会議員を選んでいるわけですから、ここで民主主義の原理による外部からのチェックが一応入るわけです。

 常識的な話ではありますが、憲法の規定も挙げておきます。

第86条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

 このように日本学術会議は、よくわからない財源の中から好き勝手に税金を使っているというわけではなく、他の省庁の経費と同じように、内閣府が予算を作成し、それを国会に提出して審議を受けることになっています。その限りにおいては民主主義の原理に基づくコントロールが行われていることになります。

 さらに国の予算であるからには、その使い道について、会計検査院の検査の対象となり、検査を受けることにもなります。

第90条1項 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。

人事はどうなっているか

 これで日本学術会議の「カネ」の管理についてはわかりました。次に「ヒト」の管理はどうなっているでしょうか。

 日本学術会議の会員(学者)が推薦と任命によって決まることは前回説明したとおりです。このプロセスだけを見れば、「民主主義的なコントロール」が及んでいないとは言えますが、これは民意ではなく専門性に基づいて人選を行うことから、日本学術会議という組織の目的や使命のためにはやむを得ないと割り切るしかないでしょう。

 (私の見解では、推薦された人物が重大犯罪を犯したとか、実は研究論文が盗作だったとか、極限的な場合は例外的に総理が任命拒否できると考えられるということも前回述べました。
  このような場合は、日本学術会議の目的自体に適していないことが明らかだったり、肝心の専門性自体が否定されたりするわけですから、総理による任命拒否が正当化されると考えます。
  もちろんその総理大臣の介入が正当であったのかどうかということについても民主的コントロールを及ぼす必要がありますから、総理には任命拒否の理由についての説明責任があります。)

事務局の職員は公務員人事

 ただし、日本学術会議の運営に関与する人員は、学者である会員だけではありません。これとは別に事務局が存在し、運営上の各種実務を担当しています。

 この事務局については、日本学術会議法で

 第16条1項 日本学術会議に、事務局を置き、日本学術会議に関する事務を処理させる。
     2項 事務局に、局長その他所要の職員を置く。
     3項 前項の職員の任免は、会長の申出を考慮して内閣総理大臣が行う。

…と定められています。この局長以下の事務局職員が、日本学術会議の各種事務の管理を行うわけです。(ちなみに、新聞の官庁人事欄などを見ればわかりますが、通常、日本学術会議の事務局は内閣府のキャリア公務員が任命されて、内閣府の人事ローテーションの中で任命されたり転出したりしています。)

事務局職員は総理大臣の広い裁量で決められる

 ここで、先ほどの条文の最後の「前項の職員の任免は、会長の申出を考慮して内閣総理大臣が行う。」という部分に注目してください。これらの事務局の職員の任命や罷免は、日本学術会議会長からの申出を考慮したうえで、内閣総理大臣が行うことになっています。
 例えば会長が「事務局長のA氏は使えない人だから交代させてほしい」とか「内閣府のBさんは優秀だという評判なので、事務局長をやらせていただきたい」などというと、それを考慮したうえで、総理大臣が人事を決めるわけです。
 ここで「考慮して」というのは、総理は会長からの申出を考慮はするものの、必ずしもその通りの人事にしなくても良いということを意味します。
 事務局職員の人事は、内閣総理大臣の広い裁量に基づいて決めることができると考えるべきであり、その意味で時の政権の意思が反映するといえるでしょう。民意の多数派に支えられるのが良くも悪くも時の政権だとすれば、この範囲では民意が間接的に反映されているということになります。

会員と事務局職員の規定の違い

 ここで、会員と事務局職員の人事についての考え方の違いがよくわかるように、両方の条文を改めて並べてみましょう。

第7条2項 会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
第16条3項 …職員の任免は、会長の申出を考慮して内閣総理大臣が行う。

 学者である会員については「推薦に基づいて」総理が任命し、官僚である事務局職員については「申出を考慮して」総理が任免を行うわけです。
 この条文の表現の違いから考えると、少なくとも事務局職員よりは会員の任命の方が、内閣総理大臣が自分で判断して決める裁量の余地がはるかに狭いということが想定されていると言えるのではないでしょうか。

 会員は学問の実績がある研究者であることが前提なので、その適性の問題は総理大臣の判断には本来なじまないのに対して、事務局職員は管理業務を行う公務員ですから、その人事は総理大臣の判断になじみやすいという点で、大きな違いがあるのです。

まとめ

 以上見てきたとおり、日本学術会議は、少なくとも予算については、内閣府の予算の一部として内閣が国会に提出して審議を受けるなどで、民主主義的なチェックが一応行われ、また学者ではない事務局職員の人事については内閣の意向が反映されるということがわかります。

 この現状が良いのかという議論はもちろんありえますが、制度を改正すべきかどうかはともかく、まずは今どういう仕組みになっているかを把握することが大切なのです。

 

 

 

 

 



  

 

 

 

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