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立憲主義についてのとんでもない勘違いについて

「権利の制限も憲法に書かなきゃ」という勘違い

 前回までで、コロナウイルス危機における憲法上の自由や権利の保障の制限の問題について整理してきました。

 この記事では、前回までの記事と若干重複はしますが、この種の議論でありがちな勘違いについて改めて補足をしておきます。

 それは
「感染症や災害などの緊急事態の中で、生命や安全を守るため、やむなく国民の自由や権利を制限する必要があるのだとすれば、そのことも憲法に『緊急事態条項』として明記しておかねばならないのではないか。」
という類の主張です。

憲法に書きこみさえすれば「立憲主義」なの?

 これは「非常時に憲法上の権利をやむを得ず制限するのなら、そのことも憲法に最初からきちんと書いておくべきだ。これで憲法に書いてある通りのことが行われるようになる。それこそが、立憲主義なのではないか」という主張でもあります。

 これは一見、筋がとおっているように見えるだけに厄介な問題でもあります。この考え方が妥当なのかどうか、少し例を変えて検討してみましょう。

公害や火災防止のための自由制限も憲法に書くのか?

上記の主張を
「大気汚染や薬害や火災を防ぐため、憲法上の権利をやむを得ず制限するのなら、そのことも憲法に最初からきちんと書いておくべきだ。」
と言い換えたらどうでしょうか。

 現状は、もちろんそのような構成にはなっていません。大気汚染防止は大気汚染防止法、薬害防止は薬事法、火災防止は消防法の役割であり、これらの法律(憲法ではなく)が憲法上の権利である営業の自由や財産権に対して、人の生命や安全や健康を守るための制限を加えています。
 憲法でいちいち「大気汚染防止のため自由を制限することがある」とか「火災などの防止のために権利の制限を行う」などと書いているわけではありません

 それでは、憲法ではなく大気汚染防止法や薬事法や消防法によって営業の自由に制限を加えている現状は、立憲主義に反するのでしょうか。
 例えば「大気汚染や薬害や火災を防ぐため、営業の自由を制限することがある」のような条項をいちいち憲法に入れて、辻褄をあわせるのが立憲主義なのでしょうか。

立憲主義とは?

 そもそも立憲主義とは何でしょうか。論者によってニュアンスの違いはありますが、基本的には「公権力を憲法によって制限し、国民の権利や自由を保障する考え方」ということができるでしょう。

 公権力は法律によって根拠づけられ、一定の目的のために国民の権利や自由を制限することがあります。つまり法律によって国民の権利や自由が制限されるのです。(もちろんすべての法律がそうだというのではありません。)

 しかしながら、法律による権利や自由の制限がどこまでも際限なくできるかどうかは別問題です。(この点については過去記事をご覧ください。)

法律による権利制限(例外)と憲法による権利保障(原則)

 その法律による制限(侵害)の「いきすぎ」を防ぎ、国民の権利や自由を保障するのが、憲法の役目なのです

 前の記事でも述べましたが、憲法は原則としての「権利や自由の保障」を定めており、それに対する例外として「権利や自由の制限」を定めるのが法律なのです。そして憲法は法律よりも上位の法規範であり、法律は憲法に違反することはできません。

何のための立憲主義なのか?

 立憲主義とは、「法律による自由や権利の制限のいきすぎを憲法によって防ぎ、国民の自由や権利を保障する」というものであり、「権利の制限をするなら憲法に明確に記載して、形式的に言葉の上で辻褄を合わせるべき」という考え方ではありません
 (ちなみに「権利の制限をするなら、法律に明確に記載するべき」というなら、わかります。権利を制限するのに法律の根拠がなければそもそも法治主義とはいえません。)

 なお「大気汚染防止や火災防止と違って、緊急事態は非常時なのだから、特別の権利制限を憲法に明確に記載しておくべき」という主張をする人もいますが、これもおかしな考え方といえるでしょう
 憲法(権利の保障)はあくまで原則で、法律(権利の制限)がこれに対する例外です。ところが上述の考え方によれば、原則の方を弱めて辻褄を合わせてしまおうということであり、非常に危険な考え方と言わざるを得ません。

憲法による権利の保障の「原則」は変えるべきでない

 緊急事態でやむなく平時よりも権利を強く制限するとすれば、それは、権利保障の例外である権利の制限の必要性が大きくなるということです。
 (生命や健康を守るために、自由(原則)をやむを得ない範囲で制限するのですから、生命や健康に対する危険が大きくなるなら、その危険を防ぐため、それだけ、必要な自由の制限(例外)も大きくなるというわけです。)

 ですから、あくまで「例外」である法律による制限を拡大することで対応すべきであり、「原則」(憲法による権利の保障)の方は、平時だろうと非常時だろうと、極力変えない方が望ましいのです。

勘違いの根源

 これまで見てきたことから明らかでしょう。

 「憲法に緊急事態での権利制限をちゃんと書いておくことこそが、立憲主義である」という発想は、「立憲主義=単なる言葉のうえの辻褄あわせ」だと勘違いしているのです。
  
この種の主張は、憲法が権利保障の原則を決めるもので、法律がその例外としての権利制限を決めるものだという構造を理解しておらず、権利保障の原則を弱めることで、言葉のうえで形式的な辻褄をあわせようという勘違いに基づいているのではないでしょうか。

「例外」を許さない規定もある

 最後に若干話題がはずれますが、「例外」を許さない規定も憲法には存在することを確認しておきましょう。

第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

 「絶対にこれを禁ずる」としていることから、拷問や残虐な刑罰は、一切の例外を認めず、原則を徹底して禁止していることになります。
 (ちなみに「死刑はどうなのか」ということも当然問題になりうるところですが、最高裁の判例では、「死刑は、憲法の残虐刑禁止の原則の例外」ではなく「死刑は、そもそも憲法が禁止している残虐刑にはあたらない」とされています。この点については議論があります。)


 

 

 

 

 

 


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