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コロナウイルス危機と憲法(5)

「すべての事態」を想定した準備は無理だが…

 前回までいろいろと検討してきましたが、非常事態や緊急事態というものについて想定していくと、実はきりがありません。どのように想定しても想定外の事態というのは必ずありうるからです。「すべての事態を想定した法律作り」は無理ですが、同時に「すべての事態を想定した憲法作り」も無理です。

 従って「すべての事態を想定すること」は現実にできることではありませんが、「可能な限り様々な事態を想定すること」ならできるはずです。
 可能な限りいろいろな事態を想定したうえで、総合的な国民の生命・健康・安全の保護を図るための制度づくりを作っておいた方が良いことについては、争いはないでしょう。

法律で対応するか、憲法で対応するか?

 これについては、「法律を制定(改正)する方法」「憲法を改正する方法」の二つがあります。

 どのように違ってくるかと言えば、法律を制定する場合は、憲法に反することはできないので、あくまでも憲法の許容する範囲内での法律作りということになります。(憲法は法律より上位であることを思い出してください。)
  今回のコロナ特別措置法のような個別法で対応する場合もあれば、いざという時にあわてないように「国民緊急事態基本法」(仮称)とでもいうような基本的で包括的な法律をあらかじめ作っておくことも可能でしょう。 

法律でできることとできないこと

 具体的に、法律で対応する場合と憲法で対応する場合の違いはどのようなものでしょうか。

 例えば、法律によって対応する場合、国民の憲法上の自由や権利を一定程度規制することはできますが、国民のその自由や権利そのものを全面的に剥奪したり廃止することはできません。(繰り返しになりますが、憲法上の権利を制限すること自体は不可能というわけではないのです。「今の憲法では私権制限ができない」というたぐいのデマには惑わされないようにして下さい。)

 また、法律によって内閣のもとにある行政組織や担当分野を見直して、業務を効率化したり意思決定を迅速にすることはできますが、内閣に国会抜きで法律を作ったり裁判を行ったりする権限を与えることはできないのです。

法律は憲法に反することはできない

 一般的に、法律の改正ではできないことといえば、基本的人権を剥奪・廃止することや、三権分立を無視して巨大な権限を特定の者に与えることなどがまず挙げられます。これらは憲法の基本構造にかかわることであり、このようなことは法律で変えることはさすがに不可能です。(例えば奴隷制や拷問を認める法律や、裁判の終審の権限を内閣に与える法律は、明確に違憲です。)

 法律によってできることは、憲法の規定を前提としたうえで、憲法の保障する権利や自由を制限したり、憲法の規定する国家の組織の機能を憲法の範囲内で改革することです。

「法律のいきすぎ」に対する歯止めとしての憲法

 つまり、憲法は法律のいきすぎの歯止めになっているわけです。これに対して、憲法そのものを変えてしまうなら、そこには何の歯止めもなくなってしまいます。(厳密にいうと「憲法改正の限界」という議論がありますが、ここでは触れません。興味のある方は、私の著書『13歳からの天皇制』の第4章、特に67頁以下をお読みください。)


憲法は原則(=権利の保障)、法律は例外(=権利の制限)

 憲法の人権規定は、国民の権利・自由を保障するという「原則」を定めたものです。但し権利や自由が絶対無制限でないことは、前回まで何度も説明してきました。
 今でも憲法の保障する人権は無制限というわけではなく、生命や健康や安全その他の重要な目的のため、必要な範囲では法律による制限が現在も行われているのです。

 つまり憲法は人権保障の「原則」を定めたものであり、それに対する「例外」としてのやむを得ない制限が法律ということになります。(そのうえで、例外扱いが行き過ぎれば「違憲」となるわけです。憲法の方が法律より上位ですから。)

原則=憲法はむやみに変えるべきでない

 そうだとすると、緊急事態を想定するとしても、原則(憲法)そのものは安易には手をつけず、例外(法律)の部分での対応にとどめる方が適切ではないでしょうか。

「憲法の方を変えて辻褄を合わせる」という発想は危険

 これに対して「憲法で保障される人権を、法律で制限しすぎるのはおかしい。やりすぎると憲法の重みがなくなる。ちゃんと憲法で緊急事態に応じた条項を作るべきだ」という主張もあります

 これは一見筋が通っているように見えますが、辻褄合わせ的な部分にとらわれて、そもそも何のために憲法があるのかという基本を忘れた発想になりかねない危険があります。

 憲法(原則=権利の保障)VS法律(例外=権利の制限)という図式で考えるなら、上記の改憲論は、「原則そのものを変えて弱くしてしまえば、例外の扱いに悩まなくても済む」という発想です。
  確かに辻褄は合っているかも知れませんが、結局は憲法による権利保障そのものを弱くしろということであり、本末転倒の主張です。「今の憲法では、権利の保障が強い。この保障を弱めるべきだ」「もっと国民の人権を制限しやすい憲法にするべきだ。」と言っているわけですから。 

 このように考えるなら、憲法の改正は、絶対にすべきでないとまでは言いませんが、変えてはならない原則を破壊することになりかねないので、非常に慎重に考えるべきだということになるでしょう。

憲法の中の技術的・手続的な項目は?

 なお、憲法の条項の中には、人権保障や三権分立の原理原則とはあまり関係のない、技術的・手続的な事項もあります。例えば参議院議員の任期が6年で3年ごとに半数改選とされているような部分です。このような部分は、場合によっては見直しても良いかも知れません。

 一例として、国会の召集は天皇(実質的には内閣)が行うこととされていて、国会自身が自主的に開催を決定することにはなっていませんが、緊急時のことも考えると、天皇(内閣)とは無関係に、国会議員たちによる自主開催権を国会に認めるという改正は考えてよさそうです。これは内閣の権力を強大化するのではなく、民主的に選ばれた国会の機能を強化する方向での改正です。

 ★なお憲法の基本的な考え方を初歩から知りたいという方には、次の本をお勧めします。私の『13歳からの天皇制』と同じかもがわ出版から刊行されています。





よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。