見出し画像

【志賀信夫『貧困理論入門』】「まえがき」を試し読みできます!

今月刊行された志賀信夫『貧困理論入門―連帯による自由の平等』の「まえがき」を公開します。


まえがき

志賀信夫

現代の日本に住んでいるならば、ほとんどの人が「貧困」ということばを耳にしたことがあるだろう。そして、本書を手に取っている人ならば、現代の日本では貧困が社会問題となっていることも理解しているだろう。

あらかじめことわっておきたいが、本書は貧困問題の現状を告発する類の書ではない。本書は「貧困をどのように理解するか」「貧困とは何か」に関する整理、この一点に集中する

貧困を論じることと、貧困問題を論じることは異なる。貧困を論じるというのは、「貧困とは何か」および貧困対策の理論的核となる原理について論じるということであり、貧困問題を論じるというのは、現象した貧困を論じるということである。両者を区別せずひとまとめにして「貧困論」とすることもあるが、あえて前者に焦点化したものを私は「貧困理論」と呼ぶことにしたい。

「貧困」とは、人間生活において何かが剝奪されている状態にあるということである。ただし、生活における何かの剝奪状態の全てが「貧困である」といえるわけではない。生活における何らかの剝奪状態が、「貧困である」とされるためには、そうした剝奪状態に対する「放置しておくことができない(それほど悪いものである)」という社会判断を経る必要がある。そうでなければ、その剝奪状態は解決すべき問題として社会化(社会問題化)できないのである(注1)。

貧困が社会問題化されるためには、それを社会的な問題にするための主体が必要である。その主体は、人数が多ければ多いほど、より大きな社会問題となる傾向がある。だが、もし、人びとが相互の生活状態に無関心であるならば、貧困が社会問題化するのはより困難となるだろう。一方で、より寛容な社会や連帯がより強固な社会では、貧困が重要な社会問題として取り扱われることになる。

簡潔にいうと、「貧困」とは「あってはならない状態」(岩田 2007)、「許容できない状態・事態(an unacceptable state of affairs)」(Alcock 2006)のことを指している(注2, 3)。拙著(2016)においては、若干の解釈を加えて「あってはならない生活状態」として論じている。この「あってはならない生活状態」をどのような水準から理解するかによって、理論的に提示すべき貧困対策や政策のかたちと中身が変わってくる。たとえば、貧困(=あってはならない生活状態)を動物的生存ができないほどの所得の欠如であると考える場合、貧困対策は人びとが動物としてギリギリ生きていける程度の消費が可能となる所得の保障だけをおこなえばそれでよいことになる。もっと高い水準から貧困を定義づけるならば、貧困対策はより充実した生活のための保障を要請されるだろう。

貧困を議論する際に難しいのは、大抵の場合、「あってはならない生活状態」に関する理解が個々人で異なっているということである。これが原因の一つとなって、貧困対策や政策に対し、あるいは貧困状態を余儀なくされている者に対し、バッシングや擁護が生じたりする。「あってはならない生活状態」の水準をめぐる理解は、常に〈論争的〉なのである。

では、そのような〈論争的〉である諸個人の貧困観に対して、本書はどのような立場をとるのか。

本書では、「貧困理論」をめぐる学説史を整理し、さらにこれを批判的に検討していくという立場をとる。私個人の貧困観を開示するのではないということは強調しておきたい。貧困理論をめぐる学説史とは、貧困(=あってはならない生活状態)に関する社会規範を直接的に、ときには間接的に記述したものである(注4)。

本書では具体的に三つの貧困理論(「絶対的貧困理論」「相対的貧困理論」「社会的排除理論」)を取り上げて説明するが、少なくとも前の二つについては、定説となっているものがある。定説となっている貧困理論は、先進資本主義諸国における貧困を説明するものとして、概ね社会的合意が得られており、政策的対応もこれらの理論に依拠して展開されている。最後の「社会的排除理論」については、EU諸国およびイギリスにおいて政策形成に大きな影響を与えているものの、現在進行形で理論的彫琢がなされているところである。

このように、本書の基本的な立場は、貧困理論に関する学説史に依拠するものである。ただし、現在進行形で理論的彫琢がなされている社会的排除理論については、従来の貧困理論を批判的にかつ学術的に検討することで、本書なりの見解を打ち出している箇所がある。従来の貧困理論の再検討については、拙著(2016)『貧困理論の再検討─相対的貧困から社会的排除へ』で詳論したものをできるだけわかりやすく整理している。

本書の構成を概説しておくと以下のようになる。

まず第1章で、貧困を理解するための基礎となる諸概念の意味について整理する。具体的には、貧困の「概念」「定義」「基準」ということばの整理、そして「貧困」「格差」「不平等」「階級」「階層」等の諸概念の整理をおこなう。さらに、分析方法としての「階級論」と「階層論」の違いと相互補完性についても整理しておく。

続く第2章、第3章、第4章は、それぞれ、貧困理解の歴史的変遷について学説史に基づく整理をしていく。具体的には、「絶対的貧困理論」、「相対的貧困理論」、「社会的排除理論」が登場する。各理論の発展段階をみていくことで、現代の貧困理解の特徴やその意義についてより深い理解を得ることができるだろうと私は考えている。

第5章は、現代の貧困に関する理解をさらに深めるための章となっている。現代の貧困は、「自由の欠如」という理解がより重要なものとなってきているという事実(第4章で論じる)に対し、第5章では「自由の欠如」という理解の有効性やその射程について、具体的な例を示しながら説明していく。
最終章となる第6章は、「階層論的貧困理論」と「階級論的貧困理論」の違いと相互補完性がテーマとなる。また、ここでは「貧困=あってはならない生活状態」という理解における「あってはならない」をめぐる価値判断の主体とは誰なのか、ということについて理論的整理をおこなっている。ここでおこなった理論的整理は、拙著(2016)においてほとんど手つかずのまま残されていた課題に対応するものとして試みられている。本章における理論的整理の試みは、従来の貧困研究ではあまり論じられてこなかったような視点を含むものとなっており、挑戦的な説展開を含んでいる。そのため、独善的な主張となっていないことや、学術的意義が欠如していないことを確証しておく必要があった。この必要に対応するため、当該章は日本社会福祉学会査読論文として掲載された後(志賀 2020)、改めてわかりやすく執筆した。

この続きは、本をご覧ください!


注釈

【注1】 この点については、ジョエル・ベストの的確な整理を参考にしている。彼は次のように論じている。「主観的な見方では、あることを社会問題にするのは社会状態の客観的な性質ではなく、その状態への主観的な反応である。したがって社会問題は社会状態の類型の一つとしてではなく、社会の状態に対する反応の過程と考えられるべきなのである。このように社会問題とは、社会に内在する状態について関心を喚起する取り組みだと定義することができる。〔中略〕一見すると、主観主義アプローチは間違っているように見えるかもしれない。たとえば貧困問題に関心を持つならば、貧困を状態ととらえて研究すべきではないか。貧困の人びとの数を測定する、貧困の原因を決定する、といったことを試みてもよい。いいかえれば客観主義的アプローチを採用して、貧困についてのクレイムよりも、貧困の状態に焦点をあてるべきではないか、と。〔中略〕しかしそうした研究方法は、貧困を『社会問題として』研究することとは何ら関係がないのである。社会問題としての貧困研究では、人びとがいかにして、なぜ貧困を問題と考えるに至ったのかと問うことが必要である。〔中略〕貧困を『社会問題として』研究するためには、いかにして貧困についての考えが現れ、広まっていったのかを検討する必要がある」(ベスト 2020, 23-24)。私は、本書において、社会が「問題である」と判断した生活状態について追究しようとしており、貧困がどれくらい深刻であるのか、あるいは貧困者がどの程度存在するのかということを明らかにしようとしているのではない。ある生活状態をめぐる「問題である」という判断は、別の表現をすれば、そのような生活状態を「あってはならない」「許容できない」と判断しているということである。

【注2】 ピート・オルコックは「社会的排除(social exclusion)は、貧困(poverty)と同様に、規範的概念であり、政策的対応を要請する、あってはならない状態(an unacceptable state of affairs)である」(Alcock 2006, 7)と論じている。

【注3】 金子充は、『現代社会福祉学辞典』(秋元・柴野・森本・大島・藤村・山県 編 2003)を参照しつつ、「貧困ということばには『そのままにしておくわけにはいかない』という道徳や規範がすでに織り込み済みになっている」(金子 2017, 59)と整理している。

【注4】 記述者が同時代の社会規範を直接的に記述することが困難な場合は、社会政策にどのような社会規範が埋め込まれているのかを分析するという手法が有効である。なぜならば、貧困理解に関する一定の社会的合意がなければ、貧困対策にかかわる社会政策は形成されないからである。

参考文献

岩田正美(2007)『現代の貧困─ワーキングプア/ホームレス/生活保護』筑摩書房。
Alcock, P. (2006)Understanding Poverty, Red Globe Press; 3rd edition.
志賀信夫(2016)『貧困理論の再検討─相対的貧困から社会的排除へ』法律文化社。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?