母子手帳を見たら、懐かしい母の字があった。
結婚式に生まれた時の体重の人形あげる風習があるらしく(なんていうんだっけ)そのために母子手帳を見て体重を調べた。
僕の体重は母子手帳に載っていた。3660g。へえ、生まれた時からでかい。
母子手帳をあらためて見返す
母子手帳というのは面白い。
生まれたばかりの自分のことが書いてあり、その全てを僕自身が知らないのだから。
僕が逆子で生まれて6時間出産にかかったとか生後1ヶ月でキンタマが膨らむなんとか水痘というのになったらしいとか非常に読んでいて面白かった。
母子手帳の表紙、僕の名前があった。
うまいなあ。。。と思った。
僕の母は習字の段持ちだったらしく、字がめちゃくちゃ綺麗だった。おそらく世界で初めて僕の名前を書いたのはお母さんだろうな〜
母の最も憧れるところで、幼いころは母のようなかっこいい字を書きたいと思っていた。文字を見て、そんなことを思い出した。
母は僕が14歳の時に亡くなっていて、今の僕に多大な影響を与えた人です
今改めてみてみると、字が僕のと似ている。
それもそのはず。今も僕は母の字を真似して書いているからだ。「高堀健太」はバランスが難しい。
書き初めで母の力を借りた
僕が小学3年生の時、書き初めのコンクールが学校であって「雪どけ」という文字の横に「小三 高ほりけん太」と書いた。
堀と健は難しいからひらがなでいいよ、先生に言われ、その通り書いた。
とはいえ、高ほりけん太 でも難しかった。いや、逆に難しかったというべきか。高が本来は「髙」なので、そっちのがかっこいいじゃん、と思い、途中から髙ほりけん太にした。何度もかいたけど、全然かっこよく書けなくて僕は母にお手本を書いてもらった。それを真似したのが今の髙の書き方の右肩上がりのかっこいいバランス。
思えば僕にとって、絵だとかデザインだとか、形の再現性や造形的なバランスに執拗にこだわるのはここからきているかもしれない。
よく線が綺麗だ、と言ってもらえるのだけど、母の字が綺麗だったから、綺麗な線への追求心がある気がしている。ちなみに自分では自分の線はまだ綺麗だと思っていない。。。
とにかく僕は母のような字を書きたかったのだ。ついでに、「雪どけ」もお手本を書いてもらって、めちゃくちゃ真似したら「雪どけ」は、コンクールに選出され、銀賞をもらった。
興奮した。母の真似をした自分の字が評価されることは、僕自身の字のうまさを誉められただけでなく、母がデザインした文字への評価でもあった。
習字習ってるの?と聞かれて、「お母さんに」と答えるのが誇らしかった。
どうだ、お母さんの字はかっこいいだろう。と自慢したかった。
翌年、小4で書いたのは何て文字だったかな。なんて書いたか忘れたけど、今度こそ名前は「髙堀健太」で書きたかった。ここでマスターすれば、一生カッコよく書ける。
堀の字が今度は難しくて毎日描き続けた。
なんて書いたかメインの書き初めの文字は忘れたが、「髙堀健太」練習の末うまく書けて、4年生は金賞をもらえた。
かっこいい名前の書き方がなんとなく掴めたところで、僕の書き初めへの興味は一気になくなった。なんせ、自分の名前を筆でカッコよく書きたかっただけなのだから。
クラスで書き初めのコンクールに選ばれるのは毎年2人で、選ばれたのは光栄なのだけど、放課後に教室に残って書き初めをやらなければならず、バスケができないのが嫌だった。
小5でもクラス代表に選ばれたのだが、その時はバスケにハマっていて、辞退した。放課後はバスケの練習の方が大事だった。
(思えば、バスケも母から教わったのだった。全中のシューティングガードで、超上手い。武石中の三井寿かよ)
久しぶりに観た母の字。思えばここに僕のデザインとか線画へのこだわりの原点があるような気がする。憧れや理想を徹底的に再現したい。という欲求がこの筆跡には宿っているような気がした。
サポートして頂いたらいい絵が描けそうな予感…