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働く事と流行歌 ー中森明菜と竹内まりの『駅』を聴くー

僕が最初に竹内まりやが歌う『駅』をYouTubeで聴いたのは多分15、6年前だと思います。いい歌だけれど、竹内まりやにしては随分と歌謡曲に寄せているなあ、というのが第一印象でした。

最近ずっと中森明菜の曲をYouTubeで聴いていて、この『駅』という曲は中森明菜が竹内まりやに依頼して自身の5枚目のアルバム『CRIMSON』に収録されているのがオリジナルだという事を初めて知りました。竹内まりや版は提供曲のセルフカバーなんですね。

で中森明菜のオリジナル『駅』と竹内まりや版では同じ曲なのに全く違った印象を受けます。その理由は二人の歌い方もそうですが、編曲にもあると思いました。まりや版はマイナーの曲調をシンプルに押し出していますが、『CRIMSON』の明菜版はマイナー調を少し控えた上品な仕上がりになっています。
まりや版は盛り場の有線放送からガンガン流れて来る感じで、まさに流行歌のイメージです。一方明菜版はアルバム全体の印象からみてもニューミュージックとかポップスに近い印象です。僕的には明菜さんに竹内版のアレンジでもう一回歌って欲しいですね。

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竹内まりやは中森明菜から曲の依頼を受けて、中森の写真をテーブルに並べて曲のイメージを作り込んで行ったという事です。マイナー調の歌謡曲、これこそ中森明菜であり流行歌としての歌謡曲の王道です。

僕が20代から30代にかけて過ごした1970年から80年代の東京(日本)は様々な音楽ジャンルが混在していました。その中で、演歌、アイドルソング、歌謡曲などのいわゆる流行歌はラジオ、テレビ、レコードやCDの普及と共に人々の生活の一部になっていました。
言うまでもなく、その象徴が『スター誕生』とか『夜のヒットスタジオ』とかTBSの『ザ・ベストテン』というテレビの歌番組ですね。

じゃあどうして単なる歌があれほど日本の一般社会に浸透したかというと、それは僕を含めたくさんの、本当にたくさんの日本人が皆んな働いていたからです。流行歌は労働歌です。働く事と流行歌はコインの裏表です、僕の考えでは。中学生も高校生も未来の労働者です。

当時流行っていた歌をYouTubeで聴いていると、その頃僕が働いていた東京神田の看板屋の仕事場や出来上がった看板を取り付けるために武道館沿いの靖国通りをトヨタのトラックで走っていた光景が目に浮かんで来ます。ただその頃の僕はジャズとかテクノとかを好んで聴いていて、流行歌は過ぎて行く日常の背景のような音楽でした。けれど今思えばそれはボディブローのようにゆっくりと、でも確実に効いていたのでした。


当たり前ですが、音楽は商品です。そしてアイドルソングという流行歌はそれをより前面に打ち出しています。僕的には大変興味がある<握手券>というトンデモは音楽を大きくはみ出していますが、好き嫌いも全部含めてこれがアイドルのリアリティーだと思います。
だから、文化庁の芸能助成金からは遥か彼方にある音楽ジャンルです。歌番組のベストテンは売り上げのベストテンです。久米宏が「今週の第一位、中森明菜『飾りじゃないのよ涙は』、9637点!」は、「このレコード/CDは9637万円稼いで今週のトップです!」と叫んでいるのです、冗談ではなく。

流行とは売れているということ、お金がたくさん動いている事です。流行歌は音楽を使ってお金儲けをする事なのです。もっと言えば、お金が一番大事で歌という音楽はそのお金儲けの手段なのです。
伝統芸能である民謡には文化庁から補助金が出るかも知れませんが、アイドルソングに補助金が出たなんて聞いた事がありません。

でも流行歌はそれでいいんです。と言うか、そうでなければならないのです。実際に補助金なんかなくてもガンガン稼げるし、もっと大事なのは、お金儲けという超俗っぽい営みが流行歌のエネルギーの秘密でもある。言ってしまえば、聖なるスターは拝金という不浄な行為の中からしか生まれない。
スターの歌は、お金の性質を俗から聖へ変えてしまう。だから、流行歌に補助金が出ないのは逆に勲章です。

その歌手がお金儲けには全然興味はなくてただ音楽が好きで歌っているという場合でも同じだと僕は思います。もしその人がスターになったら、嫌でもお金が追って来るのです。世紀をまたいだ小室哲哉の一連の騒動はその極でした。
歌手が慈善事業だったら絶対にスターは生まれません。お金は不思議です。お金が聖と俗を繋ぐのだから。そして稼ぐ額は多ければ多いほどいい。みんな何気なく流行歌を聴いていますが、実は歌は恐ろしいんです。まだまだ語られていない事が山程あるのです。だからこそ、皆んな引き寄せられのですが。

日本人は皆んなお金を稼ぐために働いている、そのお金でアイドルやスターのレコードやCDを買います。すべてがデジタル化された今でもそれは同じです。稼いだお金で買うものは、レコードやCDだけではありません。一番の使い道は当然、家賃や食費などです。
だから働いてお金を稼ぐのは生きて行くのにどうしても必要なのです、当たり前ですが。でも働く事は簡単ではないし、出来れば働かないで一生楽に生きて行きたいと思う事は誰にでもあると思います。そういう時に歌は娯楽として疲れた心と体を癒してくれます。

残業や休日出勤は断りにくいし、職場には嫌な上司や気の合わない同僚もいて大変です。でも働く事は自分の人生を<作る>ためのものでもあります。何かを作る事はしんどいけれど楽しい。だから歌は癒しだけでなく喜びでもある。

夜のヒットスタジオ

芳村真理と井上順の『夜のヒットスタジオ』は1968年から1990年までの22年、黒柳徹子と久米宏(85年降板)の『ザ・ベストテン』は1978年から1989年まで11年間の放送でした。89、90年というバブルの失速期に時を同じくして昭和の二大歌謡番組が終了しました。この事は流行歌にとってかなり大きな出来事だと思います。だとしたら、コインのもう一方の働く事にも根本的な変化があったのではないでしょうか? それもあまり良くない変化が。

1986年に僕がニューヨークに移住した後、たまに耳にする日本の歌(Jポップ)で気になった事が一つありました。それは「頑張ろう」という歌が多いなあという事でした。僕にとって歌は虚構の魅力、作り物の魅力なのですが、どう見ても「頑張ろう」というのは現実世界の中の出来事です。
でより困った事に、「頑張ろう」と歌っているのが「我慢する事を頑張ろう」に聞こえてしまうのでした。

僕はニューヨークのジャパニーズ・レストランで長くマネージャーをやっています。それは対オーナー、対従業員、対お客さんとの我慢の連続でそれが店を回すというマネージャーの仕事だとも思っています。
どんな仕事も我慢は付きものですが、僕がJポップから感じた我慢は、何か理不尽な事に耐える我慢です。残業してるのにその分払ってもらえないとか、自分の仕事じゃないのにやらなければいけないとか、大した事ないと言えばそうなんですけど、理不尽な事の我慢が何年も続くと知らない内にだんだん生きる元気を奪われてしまいます。

Jポップからこんな事を考えるのは、たまたネットで見た「サービス残業」という言葉からの連想だったり、単に日本を長く離れている僕の思い過ごしかも知れないですが、とにかくそれらの歌からは音楽の生命力が感じられないのでした。そこには流行歌のハッタリやいかがわしい生命力が全然ないのです。

竹内まりやの旦那さんである山下達郎が、中森明菜が歌う『駅』に批判的だったという話は有名ですが、彼がアレンジした竹内版の『駅』は、その類い稀な音楽スキルで歌謡曲の魅力の一つの下品さ(?!)に見事に生命力を吹き込んで名曲に昇華させました。だから僕的には、明菜さんが歌う山下版のアレンジの『駅』を聴いてみたいのです。
で、残念ながら僕には、Jポップの頑張ろうソングにはこの下品な色気という生命力が殺菌されて見えないのです。色気といえば、82年組の中森明菜のデビュー時のキャチフレーズは、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」でした。流行歌を象徴していますね!

昭和の時代、働く事はキツかったというか、働く事はいつでもどこでもキツイものです。でもまがりなりにも、そこには自分の生活や人生を<作る>という楽しさもあるはずです。
流行歌はそれと一緒に並走して来た。『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』が終了して、そういう働く事の側面も段々失われてしまったのでしょうか?
これを一言で言えば、働く事で自分の人生を作る事が段々難しくなってしまったという事ではないでしょうか? 絶対に誰かが悪いし何かが原因なはずなのに全て掴みどころがなくあやふやなうちに、自分の人生を作るはずの富や恵みがどこか別の所にどんどん集中してしまっている。もうこれは流行歌では癒せない、そして歌を喜べない。近頃の有名人の不倫叩きに象徴される<呪いの行為>は、大きくなり過ぎた行き場のない何かの現れのような気がします。

とにかくどんな時代になっても歌は作られ聴き続けられるでしょう。で、明菜さんの妄想のラテンカバー第二弾は『Havana* ft. Jesse Cook』です。詞がついてないので売野雅勇さんに頼んでみます、笑。

今年は明菜さんのデビュー40周年のビッグイヤーですね、よい知らせがあるようにみんなで祈りましょう!

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