「○○してくれる」に、最近やたらとグッとくる
まだ冬の装いは手放せない、雪混じりの雨が降る今朝の札幌。
どんよりとした鉛色の曇り空の下に、鮮やかな黄色の手旗と、走り回る子供たちの元気な声。
全国的には大変な騒動の最中ですが、今日から札幌の学校が始業を迎え、少しずつ日常を取り戻している実感も芽生えてきます。
もう少しです。頑張りましょう。
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「ほめ達になると、人やモノ、出来事の価値を発見できるようになって、その価値の尊さによく泣いてしまう」ということを、先輩講師の皆さんから耳にします。
僕はほめ達と出会って約3年半、認定講師の資格をいただいてからまだ3ヶ月ほどですが、特にこの3ヶ月で「講師として人に伝える」という意識が芽生えたからか、かなりその感覚が強くなっていると自分で認識しています。
「〇〇してくれる」に、グッとくる
ちょっと抽象的なので、例を出しますが、
お母さんがおにぎりを作って持たせてくれた
忙しい自分のために、部下が仕事をやっておいてくれた
体調が悪いときに、周りの人が気遣ってくれた
直接的に自分のプラスにはならないけど、そんなことはどうでもよくて、相手のために気持ちを込めてやってあげる。
こういうのって、掛け値なしのものすごい愛だと思います。無償の愛。本当にありがたいことです。
……と言うことに最近気づいて、それ以降自分がしてもらった事はもちろん、他人と他人の間に発生しているそのやりとりでさえも、なんだか感動してしまいます。笑
最近も、元職場が用意してくれた退職後に必要になる書類がとても丁寧で、「ありがてーな」と感動しました。笑
「当たり前」の先にある感謝すべきこと
今、この一連の騒動で、それまで「当たり前」だと思っていたことが実はそうではないということが、次々と明らかになっています。
もしかしたら今は、当たり前だと思っていたことを見直して、改めて感謝し直すチャンスなのかもしれません。
そのために、今この状況だからこそ、身の回りの人やモノ、出来事の価値を発見する力を磨いて、それを言葉で伝えていくべきなのではないかなと思います。
そのためのお手伝いができないか、探ります。
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