ただ食べているところを見る
不思議な空間だった。
子どもの給食参観というものに行った。
以前は親と一緒に給食を食べるとかそういうものだった気がするが、今はただ給食時間の子どもを廊下からじっくり見るという謎の行事になっている。
娘が忘れた水筒を届けるというミッションをついでに遂行し、彼らの食事をただ観察するため教室へ行く。
親たちがいるからか、皆一様にそわそわしていて可愛らしい。
低学年の給食着の着こなしは、どこか一部が引っ張られていたり、どこか一部が要らぬ重なり方をしていたりして、つい他所の子だろうが手を出してやりたくなる。
しかし彼らも日本の集団教育を受けた人間。感心してしまったが、短時間で粛々と配食を終えた。言い方が悪いかもしれないが、まるで軍隊のように決められた位置で決められた行動をしている。
多分自分たちが行う配食なんかより随分スムーズだろうと思う。誰一人として騒がず、役割を全うしている。大人の顔だ。
悪い方に取る人間もいるだろうが、私は素晴らしいと感じた。統制の取れた美しい配食で、感動すら覚えた。
食事の時間には、子どもらしくランチ放送に耳を傾け、クイズに大声で答えている。そこにまた、安心感を得た。
給食時間はおよそ二十五分だった。あっという間に食べ終わり、息子は見せびらかすように白米をおかわりした。普段はそんなことしないのに。
家では十分すぎるほどにだらけていて、あの統制の取れた配食を担ったうちの一人とは到底思えない。参観という魔力がそうさせるのだろうか。
ロボットのように美しい動線、可愛らしく頬を膨らませた食事、友人たちと教室の本を読みつつ談笑する姿…それら見ることができて、良い時間だった。
ところで君、歯磨きをしていないな。
うちに帰ったら、問いただそう。
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