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【課外授業】組合の 存在意義を 浴びる風呂

 ハチマキして、拳を振り上げて、ガンバローとか叫んでいるあの雰囲気が薄気味悪かったのである。まあ、政治家も殆ど同じことをしているが、確かに政治家も薄気味悪い。
 私は中高生の頃、労働組合というものが好きでなかった。自分たちの権利主張ばかりして、四六時中会社の経営を邪魔している組織だと本当に思い込んでいたのである。だって「春闘」って・・・この平和な世の中に「闘争」という文字を毎年使って団結しているなんて気が狂っているに違いないと本当に思い込んでいたのである。もちろん、その団結が憲法によって保障されたものであることは中高生でも勉強しているし、ニュースでも春闘の様子を当たり前のように報じていることを理解している。それでもなお、私は労働組合というものを「社会的に容認された反社会的勢力」くらいの存在だと本当に思い込んでいたのだった。貧乏だったくせに、モノの見方が労働者よりも経営者目線だったのである。いや、本当の貧乏人というのは、藁に縋っても仕事とカネが欲しい事情から経営者に従順なのである。従順なフリさえしていれば仕事とカネをくれるというのに、下手に対立してほしくない。労働者に労働者の邪魔をされたくないという屈折した根性が何処かにあったことは否定できない。
 しかし、オトナになり、自分自身が労働者になると、実は労働組合が存在しない世の中のほうがよほど戦争状態であり反社会的であることを経験的に知ることとなる。ユニオンショップなどという奇妙な協定によって、組合への加入が入社の条件になっている、即ち、管理職以外の全社員がイコール組合員となっている状態が、日本の大企業ではスタンダードであり、会社内の平和維持につながっている。そういうことは、自分自身がサラリーマンになってみてから、ようやく分かるようになってくるのだ。
 
 中学校の「公民」の教科書には、いわゆる「労働三法」とともに「労働組合の組織率の低さ」と「その原因が若者の組合離れにあること」が書かれていた。また「連合」が「形成された世論を国会や政府等へ陳情する圧力団体」として紹介されていた。「経団連」その他も同じく圧力団体として並べられていたので、ここでは「労使とも似た者同士」という理解だったが、とにかく「圧力」という言葉の響きが中学生には強烈だった。
 高校の「政治・経済」の教科書にもなると、資本主義の先進国で労働運動が治安を乱すものとして弾圧されてきた歴史からILOの設立趣旨に至るまでそれなりのことが解説され、弱い立場が団体交渉によって地位を守ることの重要性も示されていた。ところが、そのページに掲載されていた「○○総連の集団交渉」の写真が、高校生の私にとっては物騒な臭いを漂わせるものだった。奥行きのある木目調のテーブルを2つ挟んで相対するスーツ姿の脂ぎった中年男たち。「婦人や児童にまで劣悪な条件で長時間労働をさせた過去も労働者を団結させる一因となった」という文章とは裏腹に、この写真には労使双方とも女性や若者が一人もいない。落ち着きを払っているものの、明らかに眼光鋭く睨み合う両陣営。資本家と労働者って、ここまでケンカしないといけない運命にあるのか、という素朴な疑問だけが残った。
 これら中高生の時分の浅い知識が私の先入観を助長したということはないが、労働組合とはどうやら如何わしくて煙たい団体だというイメージだけは私の「心柱」にすっかり塗り込まれていた。これはもう仕方ないというか、だいたい労働組合について授業で丁寧に触れた先生は一人もいなかったし、いくら教科書を読んでみたところで中高生の限界なのだと思う。日本では、普通の大企業には普通の労働組合が大抵ある。そして普通の労働組合には、どんなに仕事で不本意なことがあっても家へ帰れば常に心身をほぐしてくれる風呂のような癒しの効能が必ず備わっている。だが、まず中高生のレベルで風呂の効能を知ろうとしても、足湯にもならないほど知識の水が浅すぎて冷たすぎるのだ。実際に大企業に入社し、知識という水を経験という火で湯に変えつつ徐々に浴槽を満たしていかなければ、中高生の頃に抱いていた労働組合への印象が余りにも酷い勘違いだったことにはなかなか気付けないものである。
 
 入社式を終えると直ちに会議室に閉じ込められ、テスト用紙が配られた。「先ほど皆さんが聞いたばかりの社長挨拶の全文です。20ヶ所の空欄を埋めなさい。」というものだった。半分も埋められなかった。真剣に聞いていなかったわけではない。難しいのだ。いや、それは言い訳で、半分以上分からないのでは、聞いていなかったも同然だ。そういったことを全員このテストをもって自覚したところで、学生気分の残存を払い落し、知識不足の穴を埋めるため、3週間の新入社員研修に入る。
 昼食以外は殆ど休憩時間のない過密スケジュールで、社員として必要な基礎を叩き込まれる。何も不思議なことではないが、これが意外と疲れた。朝の礼儀作法とビジネスマナーの講習に始まり、日中は次々と各部門の事業内容や市場特性に関する講義を受け、夕刻に感想レポートを書き上げて宿舎へ戻る。入浴と夕食の後も宿題が待っている。「本日の講義の中で印象に残った部門を選んでください。その上で、あなたが当該部門に配属となった場合を想定し、今後手掛けるべきミッションを考えなさい。」という問題を出され、1日の最後に白紙が配られるのである。そこには文章に限らず、図表やグラフで書き示しても良い。翌日の朝食前には提出というルールなので、夜のうちに済ませたいところだが、同部屋の同期と酒を飲み始めてしまう。すぐさま隣の部屋の連中も合流する。就職氷河期の少人数採用である。毎晩こんな生活を繰り返しているうちに、たった3週間でも全員が仲良くなる。結局、宿題のほうは早起きして取り組むことになり、物足りない完成度のまま出さざるを得なかった日も10回のうち3回くらいはあったが、人事部はこの10枚の宿題から本人の希望や適性を見極め、配属を決めていた。とにかく気の抜けない研修だったが、部活の合宿に比べればマシだったし、学費を払って勉強していた学生生活とは違い、研修中も給料が貰える労働日数にカウントされると思えば、この会社員生活は一切苦にならなかった。
 研修も最終週に入ると、評価や賃金、福利厚生などの社内制度を学ぶプログラムが増える。そして、この中に「労働組合とは」という講義の時間が設けられているのだった。講師は組合の書記長だ。「皆さん、書記長って、ゴルバチョフしかイメージが湧かないでしょうね。でも、時折いかつい用語が出てくるだけで、私たちは良好な労使協調関係を築いてきた伝統ある労働組合です。」それは、こうして会社の研修の中に人事部が講義の時間を組み込んでいるという事実のみによっても理解できる。労働組合という存在について、中高生の頃は教科書でしか知る機会のなかった私たちは、さらにまた大学で法学部に進んだ者であっても労働法の講義の一部でしか学ぶ機会のなかった私たちは、新入社員研修という場において、初めて「日本の大企業の労働組合に関するそれなりに正しい知識」を「体得」することになるのである。そして、この講義の最後に全員が「ユニオンショップ協定」に基づき「組合加入届」にサインをするのである。
 
 研修が終わったら、荷物をまとめて配属された部門へ赴く。ただでさえ新入社員の緊張感があった上、良く言えば「本人の自由を尊重し、責任のある仕事を任せる」、悪く言えば「やり方もロクに教えず、放置したまま重たい仕事をさせる」という部門だったこともあり、初年度は戸惑うことが多々あった。しかし、仕事以上に戸惑ったのは、ここでも労働組合の存在だった。春の配属から間もない日、「この日は出張等の予定を入れず、全員が会議室に集合して話を聞くこと」と上司から命じられた。組合が春闘の交渉経過と妥結結果について、2時間も説明するというのだ。組合員ではない管理職から「きちんと組合の話を聞きなさい」と命じられるような職場の雰囲気もそうだが、この2時間の説明が業務時間中になされることを平然と会社側も認めていることにまず驚いた。当然、労働協約を読めば分かることなのだが、知識は後からの話であり「習うより慣れよ」みたいなところがあった。しかも、このためにウチの部門に来訪した中央執行部の説明が、会社の業容を中心とするものであり、あたかも株主総会で社長が「当社を取り巻く情勢と対処すべき課題」について語るかのような中身であったため、これには些か拍子抜けした。当社に限らず日本の大企業では、経営者と労使協議をしている労働者の代表が、その経営者の代弁機能を果たすことによって現場の労働者たちをまとめ、社業発展に必要な結束力を維持強化している。このことを、身をもって知る春だった。
 夏になると、当社では、部門や世代の垣根を超え、同じビル内で働く社員の大半が一堂に会する「夏祭り」が開催される。円卓の並んだホテルの宴会場に行くと、クジ引きで席が決まる。普段の業務ではあまり関わることのない様々な部署の方々と美味しい料理を楽しみながら会話することができた。ステージ上では「1本のスタンドマイクを争うイントロクイズ」や「制限時間内に空き缶を積み上げるゲーム」といったテーブル対抗の色々な余興が繰り広げられる。その中に「お絵描き選手権」なるコーナーがあった。周囲に担ぎ上げられて私がテーブルの代表として出場する。威勢のいい司会者が「今から1分以内で東京タワーと京都タワーをフリップにお描きください!はい!スタート!」と発するや否や、必死でサインペンを走らせる。実は絵は得意なほうだった。1分後、客席がどよめき、ウチのテーブルが金メダルを勝ち取る結果となった。驚いたのは、祭りの終盤に人事部長から「キミ、絵が上手なんやねえ」と声を掛けられたことだった。人事部長なんて、このような会社のイベントでは必ずといっていいほど檀上で挨拶をする立場だというのに、そういえばこの祭りで冒頭に登壇したのは労働組合の委員長だった。会場を見渡せば、もちろん人事部長のみならず各部署の管理職がたくさん集まり、私たち平社員と一緒に盛り上がっていたが、この夏祭りの主催者は組合だったのである。よく見ると司会者はじめスタッフはみんな組合の執行部である。当社に限らず日本の大企業では、職制を通じたタテの繋がりは会社側が、職制以外でのコミュニケーションを通じたヨコの繋がりは組合側が受け持つという「役割分担」によって、社業発展に必要な結束力を維持強化している。このことを、身をもって知る夏だった。
 秋になると、同じ部署の先輩がいきなり私に近づいてくる。「ホレ、今、ウチら壁新聞を作ってるやんか。ここに挿絵を描いてほしいんやわ。」東京人にとっては「○○だよね」という同意に聞こえてしまう「○○やんか」は、壁新聞を作っている事実を会話の相手が知らなくても普通に使われる。関西に本社を持つ当社には関西出身者が多かったが、秋にもなれば、このような関西独特の言い回しにもすっかり慣れていた。「夏祭りのあのフリップを見た瞬間、絵は君に任せると決めたんや。これからは君が組合の美術担当や。」組合ではどこの支部でも独自の機関紙を年に何回か発行していたが、特に秋は活動の様子を壁新聞で伝え、この出来栄えを全国の各支部がコンクールで争うのだった。また、秋には、社員だけでなく、そのご家族も招いて、大々的に「バーベキュー」や「ボウリング大会」が実施されたが、その度に私は「食欲の秋、スポーツの秋」と題したポスターに挿絵を描いた。これらの行事は全て労働組合の取り仕切りによるものだった。
 冬になっても、相変わらず仕事はしんどかったが、20代の頃の私はとにかく貧乏から抜け出すためにカネを稼ぎたかったので、会社から無理難題を押し付けられても盲目的に働いていたし、自分さえ頑張って何とか成果を上げれば、成績考課の点数とともに給料も上がるわけだから、組合による集団的労使交渉というものを当てにしていなかった。それでも、客が要らないと断っている商品まで諦めずにしつこく売り込むのが民間企業というものである。利益を追求するばかりの毎日がもともと肌に合わないことを知りつつも、安定的な収入を得る道が他に残されていなかったから、仕方なくサラリーマンになった私が、カネだけのために、がむしゃらに働く「フリ」を続けるのは決して楽ではなかった。そういう自分の置かれた環境が冬の冷え込みを厳しくしたが、だからこそ風呂のように心身を温めてくれる労働組合は私にとってますます存在感を増していった。授業を受けて勉強してテストに臨むという毎日ばかりではなく、そこに部活があって文化祭や体育祭があって遠足や修学旅行があってこそ学校生活が充実するように、経営方針を受けて仕事して考課に臨むという毎日ばかりではなく、そこに業務外のイベントが加わってこそ会社生活が充実するのである。労働組合っていうのは、当時の私にとっては「課外活動」に近い感覚であり、退屈な毎日に多少の気晴らしや刺激を与えてくれたという程度の意識だった。それこそ私はシビアな労使交渉なんかとは無関係な立ち位置で「お気楽な組合員」として調子に乗っていたわけだが、組合はこんな低次元の参画意識でも無いよりマシだと受け入れてくれていた。いつの間にか私はイベントへの参加や機関紙への挿絵描き以外の組合活動にも興味を抱くようになり、執行委員会の議事録や中央委員会の議案書にも目を通すようになっていた。すると結果的に集団的労使交渉の重要性も理解するようになった。また、つい何かにつけて「組合が○○と言っている」と口に出してしまう癖を止めた。私も組合の構成員なのであって、組合が言っていることは私の言っていることでもあるのだ。そして、少しずつ当事者意識を持ち「きちんとした組合員」になることで、それと同時に「きちんとした会社員」にもなれた気がした。組合という風呂に入らなければ、社員として体の垢も溜まってくるし、仕事の疲れも取れないことに気付いたのである。
 執行部の夏川さんなんかは「正確に言うと、風呂というよりも、風呂のフタかもしれないな」と言っていた。「労働組合と掛けまして、お風呂のフタと解きます。その心は、どちらも入っているときは要らないと思っていても、出てみてからその必要性に気付くでしょう。」夏川さんは数年後、組合の結成50周年記念パーティーのときに落語を一席披露することとなる。私は風呂掃除の度に、夏川さんのモノマネをしながら、浴槽と同じくらい丁寧にフタも洗うようになった。
 
 「NHKみたいなもんでさ、組合は」・・・入社3年目に周囲の先輩からの誘いでごく自然に執行部となった私は、夏川さんと会社の近所の安い居酒屋であれこれ話をするのが次第に習慣化していた。もちろん民主的な組織として選挙を行うわけだが、大昔の血気盛んだった時代とは異なり、今はどの会社のどんな組合も定数通りの立候補者を信任投票するだけの手続きである。むしろ常に成り手不足に頭を悩ませている執行部は、少しでも能力や人望に見込みのある人材がいると先輩社員から声を掛けて「一本釣り」するのが通例だった。有難いことに私もその一人に選ばれるという光栄に恵まれたわけである。組合の役員に就任すると、社内の人脈が一気に広範囲に及び、単純に多種多様な人間を知るチャンスが増えるという面白さもあったが、ひいては会社から与えられた担当業務を進める上でも好都合だった。事実、管理職への昇格等によって組合を卒業後も、執行部の経験者は社内の彼方此方で目立つ活躍をされていたし、当社の場合は社長もかつては執行部として功績の高い人だった。
 「視聴してもしなくても、受信料は必ず取られるんだから、視たほうが得なんだよ。組合費も必ず取られるんだから、参画したほうが得なんだよ。組合って大衆運動だから民放のイメージかもしれないけど、実はその逆。営利団体じゃないからな。民放の精神は忘れずに持ちながらも、公共放送としての安定感や安心感が命綱なんじゃないかな。スポンサーのしがらみが無いかわりに、ちゃんとした番組を制作しなきゃならない。『紅白』とか『大河』とか『朝ドラ』とか、多少やり方は変わっても『続けるべき意義』『残すべき歴史』というものを守る活動の中から真のファンが生まれる。視聴率が落ちたからといって簡単に放送終了を決めてはならない長寿番組ってあるんだよ。目の前の数字では測れない伝統を大事にすれば、記録映像としての価値が出たり、その番組が局の看板になったりもするんだからな。世の中の価値が多様化したからといって、目先の視聴率を追うばかりに番組をコロコロ改廃するのは本当に悲しいことであって、組合員を欺く行為じゃないのかなあ。執行部はそこを間違っちゃいけない。改廃を繰り返してしまうと、そのうちに自分の作りたい番組の方向性が分からなくなってきて、自分が楽しいと思わない番組まで組合員に見せようとしてしまう一種の裏切りにも発展しかねないんだよ。でもさ、みんなが他にやることもないから何となくテレビをボーっと視ているような感じで視聴率を稼いでも意味がないわけだし、とにかく局のカラーをしっかりと組合員に説明できて、それがしっかりと理解されることが肝心なんだよな。
 まだまだあるぜ。労働組合と掛けまして、NHKと解きます。その心は、どちらも思春期には一度遠ざかるでしょう。分かりますか、お客さん。まあ、オマエは20代なのに元々NHK好きの変わり者だからポカーンとしちゃうのかもしれないけどな、NHKっていうのは、まず幼稚園か保育園・小学生までは、誰もが必ず教育テレビで世話になって、それが大人になってからも思い出に残ったりするくらい夢中になるんだけど、10代から20代くらいの間は、バラエティーに富んだ民放のほうに気移りして、視なくなってしまうんだよな。一度は離れるんだけど、やがてだな、会社でもキャリアを積んで30代の半ばくらいになると、どういうわけだか今度はNHKの『味わい深さ』や『落ち着き』みたいなのが分かるようになってきてさ、再び番組を視はじめたりするのよ、これが。でもよ、その間もずーっとNHKは『紅白』も『大河』も『朝ドラ』も変わらずに続けているわけ。変化しているのは俺たちのほうなのよ。何を言われても動じずに、批判も称賛も全て噛んで含んで飲み込んで、首尾一貫して『自分の在り方』を示し続けることが組合執行部の使命なんだよ。」まさか私が夏川さんに「変わり者」扱いされるとは・・・夏川さんも十分に変わり者だ。変人同士がお互いを変人呼ばわりしながら酒を飲む。これがとりわけ若手社員の私には痛快で病みつきになっていたのだった。
 なるほど、伝統か・・・伝統というと「古臭い」「時代に合わない」といった悪いイメージも付き纏うけれど、「本当に意味のないもの」「誰も望んでいないもの」であるとすれば、それが還暦以上もの長きに亘って継続するはずがない。労働組合の伝統というのは、例えば「老舗の商売」や「職人の技」に何処か似ていて、いつの時代にも不変の看板を掲げ続けた過去からの活動が未来に通ずる光となっているようなところがある。何でも変化や改革を重宝したがる民間企業の中に「古さこそが少しずつ新しい歴史を築く」という価値観を堂々と持った集団が存在することは、きっと経営のバランス感覚を保つ上でも役立っているである。一見、矛盾する「伝統こそが未来志向」という構えがあるから、組合という風呂の湯の温度も気持ち良い状態に保たれるのではなかろうか。
 
 黙っていても利益も給料も上がり、黙っていても休暇が取りやすく、黙っていても福利厚生が充実するような素晴らしい会社なら「労働組合は要らない」という仮説も成立しそうなものだが、これは「参議院不要論」や「野党不要論」に似ていて、本当に要らないと結論づけるには相当な無理が伴う。考えてみれば、組合の存在は対義語の関係に似ていると解釈できよう。例えば、太陽が昇ったり沈んだりしなければ「今日」という概念も生まれてこなかった。今日であることが当たり前という状態を私たちはわざわざ「今日は今日ですね」とは表現しない。一晩経って「昨日」の存在を知ることになってから初めて「今日」が存在するのであって「明日」もまた然りである。やや大袈裟かもしれないが、これは結構、世界の姿を言い表していて、北極があって南極がある、東洋があって西洋がある、逆もまた然り。蓋し両者は対立の定義でありながら実は物凄く共存関係にある。どちらかの言葉が消滅するときは両方とも消滅するからである。同様に「労」と「使」が揃ってこそ企業組織たるや秩序あるものと受け止めるべきなのである。サラリーマンにとって1日の大半、睡眠時間を含めても24時間のうちの最低3分の1を過ごす「会社」という時空間が居心地の悪い環境だとしたら、労使お互いに不幸なことである。だから、ほんの少しでも職業人生に糧を与え、社員生活に華を添えたい。そんな鋭意を確立した「組合」という時空間が「経営」と協調しつつ別の軸で備わっているだけでも意義ある姿だと受け止めるべきなのである。ついでに言えば、当社は製造業であったが、現代日本はモノがなかなか売れない時代に突入した。消費社会(顧客)が物質的な豊かさ(モノ)から精神的な豊かさ(ココロ)へと微動を起こす一方で、生産社会(メーカー)はモノの付加価値性による経済成長を志向せざるを得ない。この「歪み」にモノが売れない一因があると捉えるのが妥当だ。道を切り開くにはモノをココロに近づける作業を要するはずであり、その点、生産者側にいる社員のココロの充足に着目する労働組合の役割は、ただそれだけで胸に刻むべき大切なものと言えるのだ。労働組合は「必要」なのだから、「不要と思われないような存在感」を示し続けなければならないのである。風呂の湯を冷ましてはならないのである。
 
 さて、私の労働組合に関する誤ったイメージを植え付ける一因ともなった中学校の頃の「公民」の教科書にはこんなことも書かれていた。「数万にも及ぶ職業から短期間のうちにたった1つを選択する。職業選択の自由というのは、奇跡的に緻密な計算を要する過酷なものである。」・・・ふと思い出した。大学の労働法の教授だけが、就職するまでの私の人生において唯一「労働組合」たるものを具体的に解説してくれた存在だったのである・・・つづく

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