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【音楽】金よりも 品格持てと 示す犬

 「クラシックが好きなタイプのオンナを取り扱うには、解説書を持たないと痛い目に遭うわよ。そうよ、私がそうよ。あれもね、曲の背景に流れてる作曲家の愛憎や苦楽をたっぷり含んだストーリーまで一緒に聴くと、素人でも楽しめたりするの。文楽とか歌舞伎とかもイヤホンガイドがあるだけで魅力が倍増するでしょ。
 教養の高い女は確かに美しいけどね、その美しさに疲れないだけの共感や共鳴をする技能が男には大切なの。でもね、教養の低い女はただ疲れるだけよ。解説書とか技能とか関係なく、男を疲れさせるだけの美しさなの。だから、同じ疲れるなら、教養の高いほうの女を選びなさい。何も背伸びなんかしなくていいわ。自分に丁度良いゾーンを見つけるの。そうねえ、例えば、寄席とかって気軽そうだけど、いざ通い始めてみると、膝代わりかトリに出てくる古典落語の細やかな情緒なんか味わうにはそれなりの造詣が必要だって段々と分かってくるでしょ。そうやってゾーンを探っていく感じね。『背伸び』じゃなくて『ちょっと遠くまで見える位置に立ってみる』感じ。
 教養って言ってもね、単純に知識や趣味の話じゃなくて、まして高学歴である必要なんか無くて、裕福じゃなくても良くて、そういうことじゃないの。日常を上品に生きていられるかってこと。ブランドのバッグを持ってても、すれ違う人々にぶつけながら歩いているような女って、そこら中に居るでしょ。いくらお嬢様でも、いくら美人でも、立ち振舞いや身のこなしで化けの皮が剝がれちゃう。冷蔵庫のドアを足で閉めるような女、人前で口も塞がずに欠伸するような女、エレベーターで背後に降りる人が居るのに出口近くに突っ立ったまま何食わぬ顔をしてる女、電車ん中でお年寄りに席も譲らず化粧に夢中の女、トイレットペーパーを使い終わっても新しいロールに交換しない女、アラっ、いくらでも出てくるわね。そういう下品な連中のことを“教養が無い”って言うの。だって、電車ん中で髭を剃っている男なんて極めて稀でしょ。私、店のトイレ掃除、男のほうも女のほうも両方するでしょ。あっ、アナタもするわね。思わない?ハッキリ言って女子トイレのほうが汚いでしょ。男にもガサツな人は多いけど、男が想像している以上に女にもガサツな人が多いから注意しなさいよ。でも、男の前では猫を被る女がよ、ガサツかどうかなんて、普通に接しているだけじゃあ見抜けないものだから、分かりやすい物差しになるのが、その女の教養ってわけ。コレ、意外と面白いほど比例するんだから。教養の高さって品の高さにも通じるの。」・・・バイト先の休憩時間中にも譜面を眺めては運指を軽快に楽しむ美春さん。まるで彼女の前に漆黒のグランドピアノが見えるかのようだが、ここは喫煙所だ。カッコいい銜えタバコの先から立ち上る紫煙がメロディのように揺れ動く。
 先輩の奏でるようなご高説を拝聴しながら、私は、逆に教養の高さと品の高さが比例しないパターンを想像していた。つまりは見かけの教養が高くとも、言動のガサツさが折角の教養を台無しにするようなパターンだ。考えてみると、このパターンは男のほうが多く当てはまるような印象がある。どんなに立派なことを言う人でも、どんなに立派なことをやる人でも、その人が部屋の中で帽子を被った儘だったり、賓客と会う時も無精髭を生やした儘だったりすると、そっちの非常識で我儘な自己主張のほうがどうも気になって、立派な男も普通以下の男へと格を下げてしまう。金持ちがコートも脱がずにレストランへ入るような光景を目にする度に「持つべきものはカネよりマナー」「高級でなくても上品であれ」という美春さんの格言をつい復唱してしまう。あの頃の先輩に今の私も全く同感である。古い人間と呼ばれようと、この程度の誰もが頷くレベルの品くらいは日常に保っていたいものだ。礼儀作法も時代の流れと共に変遷していくことは百も承知だけれど、そうは云ったところで、挨拶1つが人間関係を円滑にするのも事実なわけだし、やはり私は場の空気感のようなものを不必要に乱す下品な人が苦手だ。
 
 「たかが盲腸くらいでお見舞いに来るなんて、アナタもよっぽど常識破りの暇人ね」と吐き捨てつつも美春さんは歓びを隠さなかった。私の見舞いには、彼女が寝間着でベッドに横たわる姿を一度でも拝みたかったという下心もあったのだが、この卑猥な気持ちは隠し通した。それにしても、さすが妖艶という言葉を天才画家が絵にしてみせたような美春さんだ。彼女が身に纏えば、院内の売店で手に入るパジャマも、子供の頃に絵本で見た天女の羽衣のように映った。「若いナースの白衣より眩しいでしょ。これがオトナの色気よ。しっかりと目に焼き付けときなさい、坊や」・・・下心は見事にバレていた。
 「駐車場にシベリアンハスキーが行儀良くお座りしてたでしょ。ヤダ、私のベッドに来る前に気高いペットもご覧なさいよ。そこの窓から見えるわよ。」と促され、二階の病室から外を見下ろすと、確かに巷の犬とは明らかに異彩を放つ佇まい。視線を微塵も逸らさず、しっかと前だけを向いて、おそらく主人の戻りを待っている。流水紋の如く整った毛並みと凛とした眼光。全身から血統書付きのオーラが湧き出ている。「アナタ、良い家柄の血統らしいわね。少し私に献血してくれない?」気付けば美春さんも私の横で窓枠に身を乗り出していた。その勢いでレースカーテンがふわりと私の頬を撫でる。「さっきねえ、あのハスキーちゃんに通りすがりの若いオンナが近づいたのよ。髪型やら化粧からヒールの先に至るまで、メディアの影響を120%受けてるような女。犬に話かければ話かけるほど、その口振りから知性の欠片も無い様子がここからでも窺えるの。きっと甘やかしの達人みたいな父親から高い学費と小遣いを貰って、短大か専門学校に腰掛けで通って、それでも飽き足らずにキャバクラでバイトしてみて、意外と稼げることに味を占めちゃって、その稼ぎをホストクラブと旅行とファッションにぜ~んぶ費やして、チャンスがあればモデルなんかもやってみたいなあ、なんて謂い出しかねないような下品なオーラが全身から湧き出ているの。もうね、笑っちゃったわよ。高そうな犬と安っぽい女の織り成すコントラスト、というよりもコント。高い犬は安い女にいくら撫でられてもピクリとも動かない。尻尾を振ったり、表情を緩めたりもせず、視線すら変わらない。あの高い犬を手に入れようと思ったら、そのお金であの安い女と何十回も寝ることが出来るに違いないわ。それはね、あの犬がカネだけでは動かない証なの。久々にいいものを見させてもらったわ。犬から教養を感じるなんて滅多に無いことよ。生まれたときから甘やかしじゃない本物の愛情を注がれて『魂を売るな』って調教を受けているのね。アナタもねえ、私のパジャマに興奮してる暇があったら、ああいう品格のあるオスになりなさい!しっかりしなさいよ、高校生!オトナになってからじゃ手遅れなのよ。歳とってから急に上品になろうたって土台無理なの。いいわね。ガサツな人を見抜く物差しも教養なら、動じない自分を形作るのも教養なの。」「あちゃ~、べっ、勉強になります!」・・・この微風吹く窓際で二人きりカーテンの中、私も天女様から愛のある調教を受けていた。年上の女性に憧れを抱いてからというもの、日本語に敬語という美しい文化があることを少々恨んだ。こんなにも近くで微笑む人が、丁寧語を崩せないばかりに、こんなにも遠い存在に感じるとは。でも、憧れの対象が、多少は自分の手に負える、自分の手に届くような人物でなければ、そもそも“憧れる”という発想にすら及ばないのだから、やっぱり美春さんはそう遠くない距離に居る。否、今まさに甘い匂いに包まれるほど彼女は傍に居るではないか。私はシベリアンハスキーでなくてもいいから犬になりたかった。犬の嗅覚を持てば、この甘い匂いの誘惑にもっと気絶することが出来る。そして、こんな私に品格のあるオスの資格など無いことを存分に自覚したのだった。
 
 「盲腸なんてすぐに退院できると思ってた。体が鈍って仕方ないわ。元気になったら、って今も元気なんだけど、外に出たら、アナタと映画でも行っちゃおうかしら。」・・・その科白だけで私は“美春様”に尻尾を振っていた。が、彼女とのデートは何だかんだと結局実現することの無きまま、いつの間にか35歳となった私は独り映画館に足を運んでいたのだった・・・つづく

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