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【現代文】空の青 海のあをにも 染まりたし

 「白鳥(しらとり)は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」と、鬼は黒板に書くと「これが大正四年四月発表のやつ。」と紹介する。続いて「白鳥(はくてふ)は 哀しからずや 海の青 空のあをにも 染まずたゞよふ」と書き「これが明治四十年十二月発表のやつ。ちょっと違うだろ、フィーリングが。この他にも3つばかりある。つまり、5つの中から吟選したのが大正四年のやつというわけだな。ここまで推敲に拘るのが『歌人』という生き物なんだ。」と紹介する。
 「野口英世は医学に貢献した。平塚らいてうは政治に貢献した。小林一三は財界に貢献した。松井須磨子は芸能に貢献した。こういう同じ大正期に活躍した偉人と比べても判然としているが、歌人なんていうのは、あまり直接的な形では世の中の役に立っていない。もちろん誰かに読んでもらいたいから歌を発表するし、社会に評価されたいとも思っている。けどな、究極的には自分のために彼は歌を詠んでいるんだ。するとだな、やがて自分と同じように不器用で役立たずの人間が彼の歌に出会って『あっ、オレ、コイツの気持ち、少し分かるかも』と共鳴する。この瞬間、歌人が、医者や政治家や経済人や芸能人と同じくらい世の中に必要な存在であることが証明されるというわけだな。ヒトはモノとカネだけじゃ暮らしていけないココロを持ってしまった生き物なんだと『歌人』は折に触れて我々に気付かせてくれるんだな。」・・・鬼は斯く諭す。
 貧乏家庭に育った私は、カネとモノが欲しくて必死に勉強していたが故、実学を重視するようなところがあった。が、中年の今となって、30年前に経験した執拗なまでの和歌の解釈が、人生の迷い路に寄り添う「実学以上の実学」だったのかもしれないと反芻できるようになった。それに尤も、エンジニアでも何でも無い平凡な文系サラリーマンの身を助けてくれた唯一といっても過言でない術は、あの頃徹底的に叩き込まれた国語力だった。国語力さえあればプレゼン資料や報告書の体裁は何とか整うし、国語力さえあれば商談や会議が難航する可能性をかなり排除できる。これは紛れも無いこの30年の実感であり、30年前の鬼教師と私自身の向学心には感謝しか無い。とはいえ、鬼は頗る手を抜かなかったものから、当時の私は授業の濃度に疲れ果てていた。これとて紛れも無い実相だ。
 「明治から大正初期の短歌は、作者と切り離して考えることが出来ない。作者がどんな人間かを観ることによって短歌も鑑賞できる。明治四十一年、彼が鹿児島の友人に送った書簡が残っている。手紙まで『全集』として後世に遺されるのだから、歌人もここまで至れば立派なもんだな。当時の彼は二十代前半の大学生。大学生は一度くらい気が狂ったように煩悶するものだけど、彼の狂い方は半端じゃねえぜ。『アー、ウルサイ、こんなまはりくどい筆つきはもう止めだ、要するに君、バカに今夜は淋しい晩だ、僕は君或る一人の女を有って居る、その女をいま自由にして居る、また、されて居る、戀といふものださうだ、こんな状態にある兩個男女間の関係を、なんといふ寂しいものだらう(中略)あゝ現實の痛苦、詩人はこれを生存の悲哀とも叫んで居る、僕は甘んじてその底に沈んで行く、消ゆることなく永久石の如くにしてその悲哀の底に横はることは寧ろ僕のよろこびである、希望である』――これ、手紙だぜ。男の友達に恋愛の悩みを打ち明けている。片想いでも無い。失恋しているわけでも無い。でも兎に角かなしい。ちょっと気持ち悪いけど、これが男子大学生という動物だ。それに、本人自らが認めているけど『まはりくどい』思考回路に苛まれる。男だけじゃないぞ。人というのは、誰しもそういう生き物なんだ。」と言って、手紙以外にも日記だの回想録だの大量のプリントを配りまくる鬼。一方、勝手に恋して勝手にかなしくなっているだけの此奴の人生や心境をどうして私が辿っていって分析せねばならぬのか、その勝手ぶりに、こちらまで些かかなしくなってくる。そのかなしみのあまりこちらの意識が朦朧としてきた頃、再び鬼は彼の歌そのものに話題を戻す。
 
 「なっ、かなしんでばっかりだろ。これ程までに人生をかなしめるってのも大したもんだよな。今、諸君に追加で配ったプリントも全部、明治四十一年の歌だ。『われ歌を うたへり今日も 故わかぬ かなしみどもに うち追われつつ』これは何となく解るな。今日も訳の分からないかなしみに追われながら歌を詠むオレ、って意味な。『酔ひはてぬ われと若さに わが心 戀になにぞも 然かは悲しむ』これはどうだ。オレは自分の若さと恋に酔い果ててしまった、って感じだな。実際、彼は無類の酒好きでもある。女が好きで酒が好きで歌が好きって、最高の人生じゃねえかって思うけど、本人は悲しくて堪らないというのだから、人生は一筋縄ではいかない。『眞晝日の ひかりのなかに 燃えさかる 炎か哀し わが若さ燃ゆ』ここらあたりになると奥深いぞ。オレの若さが燃えているけど、それは真昼日の光の中に燃え盛る炎なのか、って自問している。明るい中で光っても見えない、即ち、オレの若さの炎には何の意味も無いって嘆いているんだな。
 それとな、こうして幾つも眺めていると、『悲し』と『哀し』を使い分けているようにも見えるだろ。そもそも『かなし』とは、『感情が痛切に迫って、激しく心が揺さぶられるさま』を表現するものだ。これを『悲し』と記せば『いたむ』『うれへる』といった色合いが濃くなる。これを『哀し』と記せば『あはれむ』『いつくしむ』といった色合いが濃くなる。でもな、彼の伝えたかった本当の『かなし』は『若さに対するかなしみ』『若さゆえのかなしみ』、辞書だけでは解説できない広がりのある『かなしみ』『青春の悲壮感』なんだな。この頃の彼は、『恋愛の悩み』に加えて『将来の悩み』も抱えている。自分は文学者になりたいのだが、家族からは医者になれだの自立しろだの言われている。」・・・鬼がここまで喋り終えた時、私はややこの歌人のかなしみとやらを不可思議に受け止めた。
 風光明媚な日向の郷に、医師の長男として生まれ、中学で始めた短歌を愛し、早稲田大学を卒業後は、一度勤めた新聞社をさっさと辞めて、結局自分の欲するまま詩歌の道へと進む。手紙に書いていた彼女とは結ばれなかったものの、何だかんだと妻と三人の子を授かり、酒に溺れて43歳で亡くなる。こんなにもやりたい放題の人生があるだろうか。一体何が不満だと云うのか。心の底から求める方法で生き抜けたのだ。或る意味その才能を遺憾なく発揮したわけだ。悩みどころなんか微塵も無いと嘘でも言わねば罰当たりではないか。
 「それでも悩んじゃうのが人間なのよ。オトナになってから冷静に振り返ってみると、『私って、何であんな人に夢中になってたんだろう』って相手でも、若い学生はそんな目を持てないわ。盲目的に死ぬほど惚れ込んで、でも失恋したところで死ぬわけでもないし、死ぬほど悩んでいた頃の手紙や短歌だけが彼女との想い出として生き続けるってとこなんじゃないの。」と、成績トップの千春さんが、とても的を射た解釈を披露してくれた。事実、私は大学生になると、死ぬほど惚れ込んだ千春さんが「想い出」に変わり、春代を死ぬほど惚れ込むようになった。その春代も端無く「たいてい大学生の悩みって、恋愛の事と将来の事に尽きるんじゃないの。」と呟いていた。そして卒業後、医師の長男でも何でも無かった私は、しがない会社員になり、不甲斐なく独身中年となり、若山牧水と似ているのは、情けなくも酒に溺れているところくらいのものである。三十路で患った癌が早期発見で無かったら、彼と同じ43歳くらいで亡くなっていたかもしれない。
 牧水から、さらにまた春代から学習した結果、私は次の2つの“たいていの法則”を加えて人生に見出した。「たいてい学生時分に恋焦がれた相手とは結婚にまで至らない」と「たいていカネにならない職業のほうが面白い」の2つである。安定した生活を手に入れた今にして思うと、癒される妻子にも充たされる仕事にも恵まれず、謂わば「空の青」にも「海のあを」にも「染まずただよふ」自分の現在の姿を後悔しては居ない。しかも私は「白鳥」のやうに美しくもない。それでもさほど後悔しては居ない。が、二十代前半だった当時はこの2つが人生最大の悩みだった。「婚姻の自由と云うけれど、相手の合意があってのことだよな」「職業選択の自由と云うけれど、求人の需要があってのことだよな」これは確かに手紙や短歌にしてみたくなるほどの悩みだった。憲法で須らく国民全員に自由が認められたところで、実情は意外にも不自由だということ。文学なんかが決して嫌いではないタイプの大学生がこの不自由に直面すると、一旦は大袈裟気味に感傷の泥沼に浸かるものなのである。図らずも鬼は私にそんな「かなし」を教えてくれたということだろう。
 
 「明日は釈迢空な。『白鳥(しらとり)は かなしからずや』の9年後、大正十三年の『島山』から二首を明日までに完全に覚えろ。ホントは冒頭五首全部を覚えておきたいが、1日しか無いからな。『え~っ!』じゃない。たったの二首だぞ。10回ずつ噛み締めるように声に出して詠んでみろ。8回目あたりからは暗記どころか場景まで目に浮かんでくるようになるから。合計20回、1回あたり30秒でかなりゆっくり唱えても10分で終わるんだぞ。昼休みでも出来ちゃうじゃないか。他の先生、10分で終わるような宿題を出してくれるか?どうだ、俺が“鬼”どころか“仏”に見えてくるだろうが。」・・・釈迢空は中学の国語にも登場した。中学の先生といえば、林間学校で河口湖へ出掛けた折、「君達が生まれた年のヒット曲だ」と言って森田公一とトップギャランの「青春時代」を歌ってくれたのだが、あれは衝撃的だった。「青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの 青春時代の真ん中は 胸にとげさすことばかり」という詞を耳にすると共に、阿久悠という人の天才ぶりに度肝を抜かれたのだ。お見事過ぎる七五調で「青春の悲壮感」なるものを全国民に理解させてしまう。これが高校へ進学すると、取り扱う材料が若山牧水の歌へと変わるだけのこと。根底に流れているテーマは変わらない。
 中高生にとっては、釈迢空という漢字もなかなか読めなかったが、本名の折口信夫も読めなかった。民俗学者であり大学の教授や宮中歌会始の選者まで務めた人だから、嘸かし順風満帆な人生だったことだろうと思いきや、鬼曰く「諸君と同じ年齢の頃に二度の自殺未遂をしている」とのことであり、難しいのは名前のみならず、気難しい人だったのかもしれないと想像したものだった。「1つ目な。『山の際(マ)の空ひた曇る さびしさよ。四方の木(コ)むらは 音たえにけり』これは解るな。意味は何となく解るけど、歌の途中で句点のマルが入ってくるのが斬新だろ。これな、単に奇を衒った技巧なんかじゃねえんだ。2つ目な。『この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ』と今度は読点も付いている。『あらず』の後にマルを打つことで『いない』という事がしっかりと伝わってくる。『あゆみの』と『さびしさ』との間を一文字空ける、則ち結句の途中を区切ることで『さびしさ』が際立つ。では、本日の授業は終了。明日この二首を覚えてこいよ。」・・・牧水が「かなし、かなし」と繰り返せば、迢空は「さびし、さびし」と繰り返す。舞台が「白鳥舞う海」から「樹木茂る山」へと移されただけで、開放的な自然界の中に孤独感が垣間見える点では両者等しい。
 
 「ああ、それと静かな森に覆われた『この島』が何処の島なのかはイメージできたほうがいいから、先に伝えておく。壱岐だ。博多港から高速船で1時間くらいだな。誰だ?福岡県なんて言ってる奴は!長崎県壱岐市だ。地理の先生にチクって追試を依頼するぞ。えっ?どんな島かって?あのなあ、民俗学者が二度も訪れて民間伝承の調査をしているんだぞ。昔から神話的な世界として名高いことくらいは古文の業平先生から教わっておけ。広さは東京都の島で比べたら、そうだなあ、八丈島の倍あるぞ。結構広いだろ。高さは一番高い所でも200メーターちょっとの山なんだけど、もともと火山だったから奇岩が目立つ。ああ、ちょうど次の授業は地学だったな。『火山の仕組みをもっと詳しく知りたいです。バカなんで教えて下さい。』って、先生にお願いしてみろ。いいか、しっかり勉強したまえよ、諸君!折口信夫の自殺未遂の原因は成績不振にあったとも謂われているんだぜ。」・・・つづく

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