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【地学】男でも 海の底では 役に立つ

 二日酔いで仕事をするのが、この歳になると徐々にしんどくなり、アルコール依存症気味の私でも平日はそれなりに節制するようになった。だが、その反動とやらなのか、とりわけ土日と祝日を含む三連休前の金曜あたり、箍の外れ方が寧ろ以前より荒くなっている気もする。酔い潰れて何処ぞの誰かに迷惑の及ぶような失態は演じないまでも、適量というか、限界というか、「今日の楽しさ」という売上が「明日の苦しさ」という費用を下回り始める“飲酒の損益分岐点”が未だに分からない。自分の躰にも拘らず、否、自分の躰であるが故、何十年呑んでも、何リットル呑んでも、酒と上手に付き合う基準や法則を見つけられないのである。
 
 起きたら玄関だった。時折このパターンがある。無事に帰宅した安心感から、人目も憚らずに倒れ込んでしまうのだろう。不思議なもので、靴と靴下を脱ぎ捨てた後、外したネクタイと腕時計を鞄と共にそれぞれ所定の場所に仕舞い、ご丁寧にスーツとワイシャツをハンガーに掛けている。覚えは無いが、おそらくここまでのルーティンを無意識に完了させ、インナーシャツ1枚とパンツ一丁というラクな格好となったところ、靴磨きをしようと再び玄関に戻ったあたりで力尽きたのだろう。昨日は有難くも会社の後輩達が、私の誕生日なんかを“酒の肴”にして集まり、仰々しくも“前夜祭”と称し、午前0時のカウントダウンをしてくれた。その3時間後には「酩酊の天使」と「泥酔の悪魔」が結託し、私にテンカウントを告げる中、ノックダウンしてしまったという始末である。「正月でも無く、生まれた時刻が午前0時というわけでも無いのに、あのカウントダウンには果たして意味があったのだろうか」などと考えながら、脂汗で汚れた玄関を雑巾で拭き始めると、ふとドアの鍵が開けっ放しになっている事に気付く。焦って鍵の在り処を捜索すれば、こちらは聢り小銭入れに収納している。小銭入れのすぐ傍に置いた携帯電話の画面を覗くと、祝宴を催してくれた若い連中から「お疲れ様でした」といった類のメッセージが届いている。ズボンに穴を空けてしまったり、財布を公衆便所に落としてしまったり、奥さんに詰られたり、と散々だった模様であるから、まだ私の迎えた朝のほうがマシということか。いやいや、肝心な戸締りが抜けているではないか。オートロック式のマンションで助かった。警備システムも24時間作動しているそうだが、そのうち私が捕まるのではないか。
 紛失した物が何も無くても、記憶が部分的にハッキリしない。隣で呑んでいたスポーツジム通いが趣味だという老人が「口癖みたいに『今の若い連中は』と云うとる老人は、その『今』を正しく見とらん。昔から礼儀正しい若者もおったし、礼儀知らずの大人も仰山おった。当たり前の事を当たり前のように出来ひんのは年齢と関係あらへん。育ちの問題や。」と説いていて、これを勝手に盗み聞きしては深く頷いていたのが最後の記憶。いやいや、カウンターの奥の土建屋が「ほれ、国内の労働力不足、えげつないやろ。ほんで、ベトナムに働き手を探しに行くやんか。そや、ビザ10万もかかんねんで。まあ、向こうから来日するには20万かかんねんけどな。でな、繁華街行くと、しこたまスナックゆうかキャバレーがあってなあ、気に入った娘をお持ち帰り出来るんや。コイツ可愛いやろ。200人おるホステスん中のナンバーワンやで。そら、店にごっつう交渉したがな。従業員と違うて愛人見つけて帰国してもうたわ、ハハハ。」と、芋焼酎のソーダ割りを差し出すマスターに自慢しつつ、「カワイイは『デップ』やったな。おやすみは『チュッ・クゥ・ヌゥ~ン』か。まだまだ寝かせへんで。」とその下品な手を横に据わる彼女の腰に回していた。この広い世の中、こういう遊び方をしている奴が未だ現実に存在したのか。振り向いた彼女は慥かに別嬪で、派手なネックレスに負けない煌びやかさを放っていた。このあたりが最後の記憶かな。意外と細かい台詞や表情まで覚えているものだな。
 
 「いいですか。地学は図と絵で理解してしまうのです。落語と同じ。長い人情噺や歴史ネタを台本だけで覚えてしまえるのは名人の領域です。素人は絵と図が一番。貧乏長屋の何戸目が私の部屋なのか、そこから井戸は遠いのか、厠は近いのか、この辺までは図にしちゃいます。そして花見に出掛けた先の桜の枝振りはどうなのか、玉子焼きに見立てて食す沢庵の色や厚みはどうなのか、この辺は絵にしちゃいます。これにて『長屋の花見』は、ほぼ完成です。落語とは、お客さんの想像力を拝借しながら寄席を笑いの渦に巻き込むという、それなりにテクニックを要する芸能です。物語の中心人物が暮らす市井の様子をノートに描いておけば、多少途中で台詞が飛んでしまったとしても、自らノートに描いた場景を思い浮かべて、次の展開へとリカバリー出来るのであります。」――私の脳裡に久々に登壇されたのは、落語部の顧問でもあり、生徒達を屡々「お客さん」と呼んでいた地学の先生であった。
 このような“主義”の先生だったものだから、学期末になるとテストとは別途ノートの提出が求められ、その書きっぷりを採点されることがあったけれど、私は図と絵が得意だという、こればかりは努力というより生来の素質に助けられて高評価だった。もちろん成績面での加点措置は嬉しかったが、先生の仰せの通り「地学を図と絵で理解してしまえた」のだから、まさに「芸は身を助く」を実体験したのも悦びだった。今にして思えば、生物の「顕微鏡による葉の表皮細胞の観察」や「マウスの解剖実験」や「川から採取した泥水によるプランクトンの調査」も、技術や悟性よりスケッチの巧みさで凌ぐことが出来たようなものである。たとえ泥酔しようとも、酒と一緒に残った部分的な記憶が妙に正確で描写的なのは、この地学や生物のおかげで身に付けた性癖の所以かもしれない。
 私の性癖は兎も角、先生の口癖は「ロマンティックですねえ。恋も海洋プレートも止められない。海洋プレートという男は、絶えず大陸プレートという女に近づいては、自分の思いが重いことに気付いて、軽い女に屈するように、地球の深層に潜り込むのです。」といったものだった。比喩が強烈な故、即座には授業の内容が頭に入ってこないのだが、“落語”を聴きながら実際に世界地図に似て非なるものを描いているうち、地球の表面に見られる大地形の特徴が掴めてくる。
 「地球の全表面積を100とすると、海と陸の割合は70対30です。お客さんにも私にも誕生日がありますけど、皆、お母さんから産まれます。生命の誕生を遡ると海に辿り着きます。『母なる海』というやつですね。『母なる大地』は合唱コンクールの定番『大地讃頌』を引用すれば、態々申すまでもありません。あれれ?100%が女性ですねえ。お父さんは何処に居るんでしょう。あれれ?もうお忘れかな?枕で伝えましたでしょ、『女に屈するように、地球の深層に潜り込む』って。そう、男は海の底に沈んでいます。
 まずはオンナの噺から。陸地の形は基本的に三角形で南側に凸となっています。ホラ、筆を止めない。南側に凸の逆三角形をノートに描いてみましょうよ、今すぐ、ハイ!北アメリカ――パナマ運河に向けて南側に凸ですねえ。南アメリカ――フエゴ島に向けて分かりやすい鋭角です。アフリカ大陸も喜望峰に向けて、ユーラシア大陸もインド半島に向けて、綺麗なビキニのボトムのように逆三角形ですねえ。おやおや、何ですか、その失笑は?エッチな事を想像していませんか?陸は女性ですから『南の水際でハイレグ水着を着用』ってね、とりあえず何でもかんでも頭から離れないようなイメージで暗記したらいいんです。ああ、でも、ビキニ環礁は太平洋の中央部だから却って混乱するか。まあ、どの位置に在ろうとて、結局は海も陸も女性なんですけどね。
 楯状地は先カンブリア代の片麻岩・結晶片岩で構成され、火山や地震の全く無い安定地塊。バルト・アンガラ・カナダ・コンドワナと、現在の大陸の核を成しています。楯状地を取り囲むように、カレドニア・バリスカンの古期造山帯があり、ここも火山や地震はありません。そして最後に環太平洋・アルプス=ヒマラヤの新期造山帯が、水着のトップからボトムを繋ぐようにして大陸の水際周辺を弓なりに巡っています。急峻な高山と長い山脈が特徴で、ここが火山帯・地震帯と一致します。日本は真上に位置していますね。元来『かかあ天下』なのです。」――私が高校生の時分にもなればセクハラの概念は社会に定着していたが、この先生のキャラクターはお構いなしで突き抜けていたため、恥ずかしく無かった。また、事実、世界地図らしき図をノートいっぱいに描き終える頃には、台本つまり教科書そのままでは覚えきれない質と量の知識を習得してしまえたものだから、生徒一同、文句も出ない。
 
 つい先程まで私自身が伏していた玄関の拭き掃除を終え、ついでの酔い覚ましにその周辺にも掃除機を掛け始める。“玄関大陸”から“廊下山脈”へと吸込口を走らせ、ふと壁側に目線を上げると、インターホンのモニターが「宅配ボックスに荷物が届いています」と一晩跨いで告げ続けていた事に気付く。ネット通販で発注したアダルトDVDが到着していたのだった。直ぐさま取りに行き、今度は扉の施錠を忘れずに、ドキドキしつつ部屋でセロファンを剥がす。こういう生活を堂々と送れる事が、花の独身最大の魅力のひとつだ。その代わり、玄関で孤独に眠ろうと、妻も、子供も、誰も、私を起こしてくれる愛情深い人は居ない。
 心を落ち着けて、まずは4倍速程度の早送りで一通り再生し、見どころを下調べする。その間に風呂を焚いておき、2時間のDVDを約30分でチェックする作業を終えると、約5分間やや熱めのシャワーで躰を清め、約5分間やや温めの浴槽に浸かり、精神統一を図る。そして濡れた肌を乾かせば、その全裸のまま自慰をスタートさせるのだ。最初の盛り上がりは23分35秒から。画面の向こう側では、インテリ女教師が、まるで春代を想わせる黒縁の丸メガネを半ば曇らせたまま、恥じらう教え子の青いバナナに上目遣いでしゃぶりつく。かつての恋人に似た雰囲気の女優を肴に選ぶ程、男というのはとことん落ちぶれることが可能な生き物なのだ。
 常にオンナが上から調教を施し、性の虜たるオトコは下敷きになってベッドに沈んでいく。やがて最高潮に紅潮したオトコが身を捩る時、それに連れられてオンナのほうも制御が効かなくなるくらい震動する。目の前の先生と生徒の躰も、この地球上の自然法則に従って激しく上下し、これに合わせて私もいよいよ噴火しようかという数秒前で、本当の地震が発生した。天井から吊り下げた照明がゆっくりと左右に揺れて、それに伴い、テレビに映る“春代”の艶やかな肢体も明るくなったり暗くなったりする。・・・驚いたことに、それでも私は姿勢を崩さず“勃ち”続け、行為の指先を決して止めようとはしなかったのだ。脳が陶酔の中断を拒絶するのである。一体どこまで阿呆なのだろう。愚か極まりなき我が本能もここまで至れば、悲しみを突破し誇らしくすらある。天然記念物級の大馬鹿者だ。
 情けない下半身を露わにしたまま、唯一の火の元である仏壇の線香が消えていることを指差確認した瞬間、両親の遺影と目が合って萎えた。揺れが収まり、興奮直後の冷静の中、私は先夜一緒に深酒に興じた後輩の一人を思い出していた。彼の逸話もなかなかのものだ。ホテルの一室でヘルス嬢のサービスを受けている最中に地震が起きたのだが、さっと服を纏いスマートフォンで安全を確かめようとしたお相手さんに土下座をし、咄嗟に「目的を果たすまで、あとほんの少しじゃないか。これくらいの震度なら大丈夫。君を指名するために何万円も注ぎ込んでるんだ。頼むから約束の時間までは続けてくれ。」と涙を浮かべて懇願したというのである。帰する所、避難を優先したものの、返金は無かったという。一般的な取引における契約書には、大抵「不可抗力条項」則ち「天変地異、戦争、暴動、内乱、反乱、革命、テロ、疫病、ストライキ、法令の制定・改廃、その他当事者の合理的支配を超えた事由」に起因する場合、債務不履行責任を免れる取り決めが設けられているものだが、風俗店にそんな契約書が用意されている例を見たことは無い。地震というのは、私の想像を絶するほど広範囲に亘って、あらゆる人々の暮らしから元気と快楽を奪い、萎えさせるものだと思い知った。
 無論、命を守る行動を軽視しているし、災害の犠牲となった数多の先人達に不謹慎だとも承知している。然様な事は私とて弁えているが、されど人間は――少なくとも私は――そんなに理性的で殊勝な生き物には成り切れない。分かっちゃいる。分かっちゃいるけど、揺れが大きくなっていき、「命の躰」に危機が伝わるまでは、「性の躰」が言うことを聞かないのである。「今日の楽しさ」という売上が「明日の苦しさ」という費用を下回り始める“行為の損益分岐点”が未だに分からない。理性などという危うきもの、説明が必要な時点で正解は無い。説明の不要なところに理屈抜きの真実が有る。「地震」から救われたいのも本能、「自身」が満たされたいのも本能、どちらも本能なればこそ、どちらかに立合い前から軍配が上がるものでもなかろう。
 が、それはそれとして、「天変地異、戦争、暴動、内乱、反乱、革命、テロ、疫病、ストライキ、法令の制定・改廃、その他当事者の合理的支配を超えた事由」に起因し、大切な家族や財産やライフワークを失った世界中の人々を報道で目にする度、私は真底同情を寄せ涙すると同時に、己の馬鹿さ加減にも胸が張り裂けそうになる。世間の緊急事態に七面倒と不愉快しか与えかねない糞野郎が居るとしたら、それは私のような輩のことなのだと思い知った。
 
 「さて、ようやく男性側、則ち海に沈んでいるオトコ達の噺です。海底の地形は、陸地の地形に勝るとも劣らない複雑さです。人間が潜り込んで観測するには限界がありますから、大部分は音響測深に頼ります。水中の音速は1,500m/sです。
 まずは中央海嶺。長さ65,000km、幅2,000~3,000km、高さ2,000~3,000m、普段から陸地で生活しているお客さんの目では、ビーチの先にある遥か深遠の世界をご覧いただけませんが、長大な海底山脈は見事なものです。位置は先程のビキニの地図に描き足すのが判り易い。こんな感じかな。ビキニのトップの途中つまりバージスラインから先を、或いはボトムの切れ目つまり鼠径部から先を、水着になぞるようにして水面下へ走っていますね。」――この先生、人体の語彙も豊富だった。もう表現もここまで来ると、世界地図が、恰も真夏の生ビールのポスターかの如く、ビーチで微笑むキャンペーンガールの水着姿にしか捉えられなくなってくる。が、着実に頭には入る。
 「山頂付近は『リフト』と呼ばれる裂け目で、その部分だけでも幅200~300km、深さ1.5~2kmにも達します。凄いスケールで、両側から引き合う伸長力による『正断層』、さらには海嶺をほぼ直角に切る横ずれによる『トランスフォーム断層』が連なっています。因みに両側から押し合う圧縮力によるものは『逆断層』ね。ホラ、筆を止めない。雛祭りの菱餅をノートに描いてみましょうよ、今すぐ、ハイ!これを途中で斜めにカット。ほらほら、餅の切り口をずらすイメージを絵に描けば、自ずと上盤と下盤の動きが判るでしょう。ああ、でも、オトコの海底の解説に桃の節句を用いるのも却って混乱するか。とは申せ、柏餅では説明できません。悪しからず。
 リフトの底において火山活動と地震活動が活発であることは、深海潜水艦や地震計によって証明済みです。則ち、中央海嶺は地球内部の熱を放出する地球の割れ目という事らしいのです。でも、私達の経験する地震はもっと近くの海が震源地です。お客さんのよく耳にする『トラフ』、舟状海盆ですね。深さ6,000~10,000mの海溝が太平洋に多く、新期造山帯の外側に平行に分布。要するに、火山と地震はトラフの内陸側に集中的に分布しているという訳です。」――ノートに様々な色のラインを加えながら納得した。そうか。まさに男性は絶えずマグマの熱を帯び、女性の水着に隠された秘密の陸へ入り込みたくて堪らない。従って、水着と肌の境界スレスレの水中を常に追いかけているのだが、その結果、オトコとオンナ其々のプレートが交接する時に激しく揺れるのが地震、激しく噴くのが火山という次第。地球の根本には斯様な物語が介在しているのである。
 それこそ、例えば『古事記』は男女の神で日本の始まりを創造したと語る。こうした神話の数々は、ただの空想や伝説に非ず、私たちの手の届かない未知なる動きが万物を支配しているのだという感性を、実は宗教的・哲学的にではなく、あくまでも科学的に伝承しようと意図されたものかもしれない。本気でそんな風に思えてくるのだ。私たちも“地球の一部”である以上、地球の宿命的な仕組みには抗えない。男女の営みは言わずもがな、地震の真っ只中に行われたオナニーでさえ、地球の大きな法則性に基づいた行為なのだから、そもそも人間のケチ臭い理性なんかでは止められる筈も無いのだ。
 
 地学の授業には、科学と非科学が結ばれるようなストーリー性と発見があった。“マグマ大使”の渾名を持つ先生の口癖はもう1つ。「だって、今からたった450年くらい遡れば、コペルニクスが死んだ年。それまでの人間は地球が動いているなんてウソだと思っていたんですよ。人間の足りない頭で信じられることってね、そんな低レベルなんです。一瞬にして燃え上がる恋の炎のように信憑性のないものに満ちているのですなあ、この世の中は。ちっともロマンティックじゃありませんなあ。」――これ程きっぱり断言されてしまうと、確かに恋のマグマなんて熱しやすく冷めやすいもの。海陸を揺さぶる恋も刹那の偶発。
 マグマ大使は「男女のプレートの別れ際に蟠りがあると悪い地震になる」と仰せだったが「地震にもメリットがある」とも仰せだった。我が国での生活が何だかんだと便利なのは、平野の形成、温泉や湧き水といった自然の恩恵によるところが大きいのだ。然り乍ら、すっかり中年独身が板に付いた現在の私は、男だてらに安定地塊の“楯状地”――恋愛を演じるための扇子も手拭も座布団も、みんな“先カンブリア代”に捨ててしまった。これからの人生で女と地震を引き起こす自信は皆無だから、せいぜい画面の向こう側に映る他人様からの恩恵に感謝することとしよう。
 ところが、である。やっと酒も抜け、お陰様で“彼方”のほうも抜き、地震も火照りも静まった土曜の“申の刻下がり”、早めの晩酌を企てようとした際、舌を翻す出来事があった。玄関の床を拭いていた辰の刻下がりには「暫く酒は見たくない」とまで呟いた舌の根も乾かぬうち、また何かの気違水を舌の上で転がしたいと欲するのだから、まったく私の酒に対する狂熱は中央海嶺級だと自失する。酒疲れの躰ゆえ「たまには食前の梅酒から始めてみようか」と、滅多に開けない戸棚の奥から自家製の広口瓶を取り出そうと試みるも、中途半端にでかい錻力の箱が手前で邪魔をするものだから、ついでにコイツの蓋も開けてみる。すると…何だ…この中に入っていたのか…高校1年時の残りの読書感想文は…。三十代半ばの引越の荷造りでは9作分の感想文をタンスの奥から発掘したが、あの鬼教師が年間9作で許す訳が無いと疑っていた。その予感は的中していたのだった。しかし、本当に舌を翻すのはこの後のこと。どうやら私は、高校1年生の青いバナナだった時点においては、まだ「将来は結婚する」つもりだったらしい・・・つづく

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