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「男女の相棒(バディ)もの」が好きなわけ~僕の前から親友が去った話

つい最近日本でもファイナル・シーズンが放送されて最終回を迎えたアメリカの推理ドラマ「The Mentalist メンタリスト」は、元いかさまサイキックで捜査コンサルタントのパトリック・ジェーンとCBI捜査官テレサ・リズボンのコンビを主人公とした、いわば「男女の相棒もの」だ。

幼少の頃サーカスで培った、ジェーンの人の表情を読む技術が大活躍する推理の部分もさることながら、彼のソシオパスが多分に入った人でなしな言動と、それに振り回されてカリカリするリズボンの関係性も面白くて、ずっとハマってた。

ただ、ファイナルシーズンで彼と彼女は結局夫婦になってしまう。その結末にはとてもガッカリした。二人は「仕事を通した上」での良いコンビだと思っていたからだ。

お話で、ある男女が仕事を通してお互いを尊敬し合うというシチュエーションの時、どうして最終的に恋愛関係に落ち着いてしまうのか。せっかく彼と彼女の信頼の機微を描いていたのに、なぜそんな大ざっぱな関係性に二人を放り込んでしまうのか。

ジェーンとリズボンが男と女ではなく、ひとりの人間として、職業人として向かい合っていると思っていたからこそハマったメンタリストですら、その轍を踏む。上質な男女の相棒ものの少なさに、僕はいつも嘆いている。最近は、だったら自分が書くしかないのだなとも思っている。

しかしなぜそんなに僕は男女の相棒ものが好きなのだろう。それは、実際に自分に仕事を通して尊敬し合える異性の友達がいるからだ。いや、いたからだと言うべきか。彼女は僕の前から去ってしまったから。

元・編集者のアイさん(仮名)は、僕が8年とちょっとの間働いた公共図書館で、僕の数ヵ月後輩として入ってきた。歳は僕のひとつだか二つだか下。最初は特に親しくなかったが、あることをきっかけに仲良くなった。

ねぶたの時期の仕事帰りに、たまたま乗るバスが同じになって「祭りは嫌いですなー」みたいな話からはじまり、なぜか僕が突然ジェンダーについて話を振ったのだ。こうやって文章にすると僕は相当ヤバい奴っぽいが、実際そうだったから仕方ない(笑)。でも、きっとその時の僕には、そういう話題をアイさんに振っても大丈夫だとぴぴっと来るものがあったのだろう。

バスの中でアイさんが「東京にいた頃、日比谷公園で突然若い女の子に将来の目標は何ですか?って取材を受けて、私は『独りで生きて行くことです』って答えたんですよ」と話してくれた時、こういう女性、周りにいないな、カッコいいなと素直に感じたのを今でもおぼえている。

自分の両足だけで人生という大地に立つ。その決意に恋愛や結婚という杖が含まれない。そういう女性に会ったのは、僕の彼女を除くとはじめてだった。

それをきっかけに、僕らはよく話すようにもなったし、時々サシで飲む友達にもなった。いま思えばその頃、弘前大学時代の先輩や後輩はちらほら住んでいるものの、いったんその人たちとのネットワークも切れた状態で引っ越して来た青森市で、よそ者の僕に自分の内面を打ち明ける友達はひとりもいなかったのだ。僕は友情面ではかなり孤独感を抱えていた。

アイさんは「シラオさんは男ではない」とよく言う。これほど僕を的確に表現した言葉はない。そして、これほど僕を安心させる言葉もなかった。彼女は僕の中ではただただ、心から信頼できる親友だったし、仕事ができる大切な同僚でもあったから。恋愛関係に発展しそうな糸口は、一本でもない方が良かったのだ。彼女が僕を男として見ていないという揺るがない事実は、この貴重な友情がこのまま続いて行くだろうことを思わせた。

その安心感は、きっと彼女のものでもあっただろう。アイさんは、同僚たちによるととても美人らしいし、実際は人付き合いが苦手なのに職場では「適度にサバサバしたお姉さんキャラ」で定着していたから、ひそかに好意を寄せている男性は周りに多かったのだと思う。彼女は、周囲の男性と僕との関係のような距離感を保てないことに、淡々と絶望していた。男性という存在にこれほど絶望している人に、僕は会ったことがない。

だから、男として見なくていい、男の部分を見せてこない僕の存在に、救われた部分がきっとあったはずだ。

これまでnoteにもちらほら書いてきたけれど、僕の中には男性的な思考回路はほとんどない。かと言って女性になりたいと思っているわけでもないし、実際に女性ではないのだから女性の味方でもない。性別の話をする時、自分がどこに立っているのかよくわからない状態で、ずっと生きてきた。と言って、いわゆるLGBTでもない。

僕はただ「男ではない男」なのだ。どこから見ても隙間に属する自分のこの微妙な立ち位置をわかる人が自分の彼女以外にいるとは思っていなかった。僕の孤独感は、アイさんによってかなり癒された。僕たちの関係を繋ぎとめていたもののひとつが、ジェンダー(とりわけ男性)に対するある種の絶望感だったことは確かだ。

一方で、彼女は僕の背中を叩き続ける人でもあった。知り合って何年か経ってから「自分は実はずっとポーランドのジャズを紹介するブログをやっていて、ジャズの雑誌にも連載をしているんだ」と打ち明けた。

うすうす「書くことを仕事にしたい」と思いはじめていて、でも仕事が何もない現状が歯がゆくて、焦っていたと言うか、かなりくさっていた頃だった。元・編集者のアイさんは早速いろいろ読んでくれて、その後言われた言葉がこうだ。

「こんなに自分にしかないものを持っていて、文章の才能もある人が、自分から打って出ないことの意味がわからない」

この言葉がどれほどその時の僕を勇気づけてくれたか、アイさんにはきっとわからないだろう。元来が臆病者の僕は、自分が「次の一歩を踏み出してもいい奴」なのかどうかはっきりわからず、不安を抱えていたから。プロの目が見て「いける」のなら、きっと僕はやっていけるはずだ。

社交が得意ではなく、閉じた性格の僕だったが、その頃から当たって砕けろの気持ちで積極的に営業や人との関係作りに踏み出すようになった。その活動の原動力のほとんどは、アイさんの激励なのだ。そうした努力が実を結び、今では何とかフリーランスのライターをやっている。

アイさんは同時に、図書館の仕事における良き相棒だった。特に、僕が現場主任に就いていた3年間はとても助けてもらった。最初の1年は、いろいろ会社の方針もあって彼女には副主任みたいな役職をやってもらった。任命したのは僕ではないのだけど紆余曲折あってそうなってしまい、ヒラでやっていたかった彼女は突然のことに強いショックを受け、正直この時は「この友情もここで終わりかな。傷つけてしまった」と思った。

でも落ち込む彼女をどやしつけたのはお母さまらしい。「友達のあんたがシラオさんを支えてあげなくてどうするのだ」とか言って下さったとのこと。その話を後で聞いて、内心ありがたくて涙を流した。友達の親御さんにも信頼されているというのは、本当に貴重なことだと思う。お母さまは、アイさんが「シラオさんと飲んでるから」と連絡すると安心するそうだ(笑)

何十人ものスタッフを束ねる図書館の現場主任の仕事は、とても難しいものでもあったし、何よりある種の「酷薄さ」が必要な仕事でもあった。そして、その酷薄さをカヴァーするために、本来の性格以上に優しい部分、社交的な部分も見せなくてはいけなかった。とにかくバランス感覚が必要な仕事で、一日も気が抜けなかった。

アイさんは僕のその内面の葛藤をよく理解してくれたし、実際に仕事でも助言したりしてくれた。もちろん、ダメなところもちゃんと指摘してくれた。

はじめてやった仕事ではあるし、何しろ自分だけちゃんとできていればいいという世界ではないので、僕には何か精神的な後ろ盾が必要だったけれど、アイさんはその役目を十二分に果たしてくれたと思う。

「信頼できるこの友達が認めてくれるから、僕は自分を信じてやっていける」

僕がきつい仕事を3年間放り出さないで続けられたのは、アイさんがそういう気持ちにさせてくれたからだ。僕が自分の仕事に自信を持っていられる根拠は、僕自身の中にはなかった。

ただ親友というだけでなく、アイさんは仕事面でも最高の相棒だったのだ。僕の彼女も「仕事のグチは、私は完全にわかってあげられないから、アイさんに言った方がいいのでは」と言うくらいだ。実際に、僕の彼女を除いてここまで自分をさらけ出せた友達は男女問わず、アイさん以外にいない。

僕の契約更新がないと知った時、アイさんは「シラオさんのいない図書館なんて、何の意味もない」と言って、実際に僕と同じ日に辞めてしまった。自分の仕事に対する、こんな賛辞を受けられて職業人として幸せ者だと思う。一体どうやったらアイさんに僕の感謝を伝えきれるんだろう。たぶん無理だ。

しかし、長年僕を支えてくれたアイさんも、ひとりの「自分の人生を生きる主人公」だ。いろいろ事情があって故郷の青森市に帰って来ていたものの、やはり昔働いていた東京に戻りたくなったらしい。そして、最近東京に無事職を見つけ、東京人に返り咲いた。

そう、僕たちが気が合ったのは、青森以外の土地に長い間住んだことがあるという共通点もあるからだろう。まあ、僕はけっこう青森市が好きで、アイさんは半ば憎んでいるのは決定的な違いだけれど。

心から彼女のこれからを応援したい。でも、気軽に「数日後、飲もうよ」と言って、この二人でしか出来ない話を肴に盛り上がる日常は、もう僕の前から消えた。正直とても寂しい。実際に近くに住んでいて、誘ってすぐ面と向かって話せるという物理的な距離感は、やっぱり大切なものだとひしひしと感じる。

僕らがあまりに仲良くサシでひんぱんに飲むので、男女の関係を誤解する人も周りにいないでもなかったが、二人が長い時間かけて積み上げてきた信頼と友情を、そんなに雑に扱わないでくれと正直思う。アイさんを恋愛対象として見たことは一度もない。

この複雑な世の中には、そうじゃない男と女の相棒関係が存在するんだ。

メンタリストを観る時、僕はどこかで自分とアイさんの関係を重ねていたのかもしれない。人でなしで観察力に優れたジェーンと、ちょっと弱いところもありつつも颯爽と男に寄りかからない自分のキャリアを歩んでいるリズボンは、そのまま僕とアイさんに当てはまるような気もしていた。だからこそ、彼らにはくっついて欲しくなかった。それぞれの人生を歩んで欲しかった。

一方で僕の良き相棒アイさんは、かつて取材に答えたように、今度こそ「独りで生きて行く」夢の実現に再び乗り出した。やっぱり相棒はそうでなきゃな。自分の人生を歩むのだ。

彼女がいない日常の寂しさを噛みしめつつ、僕も頑張ろう。アイさんがこれまでかけてくれた言葉の数々は、今も背中を押し続けている。最高の相棒であり、親友であり、恩人だ。彼女が相棒として僕にしてくれたことに応えるには、僕が自分の仕事を懸命にやって結果を出して行くしかないと思う。言葉では無理。

今度また、イベント出演で上京する時に一緒に飲むのが楽しみだ。お互いの人生を一生懸命生きましょう。いつも本当にありがとう。

(*ちなみに事前に書くことを本人に了解とってます。念のため)

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