北方文化博物館

北方文化博物館

最近の記事

4.インタビュー内容(4)

大玄関 伊藤家の一番位が高い玄関。主に、冠婚葬祭のときにしか使われなかった特別な玄関。 たとえば、 ・当主のお嫁さんになる方をお迎えするとき ・当主がなくなったとき ・宗教関係の方・お坊さんなどをお迎えするとき ・皇室のかたがたをお迎えするとき などである。 気を発する石 不思議なエネルギーを発する石といわれている。 大広間 来客に一枚の絵のように感じていただけるように、柱をあまり使っていない。庭は、新潟県出身田中泰阿弥という銀閣寺にもゆかりがある庭師が、5年間回遊式

    • 4.インタビュー内容(3)

      中央のモノクロ写真 左:ライト中尉、右:8代目当主 アメリカの同じ大学の卒業生。 当時、伊藤家は壊すか集合住宅に作り変えるかという計画であったが、ライト中尉が伊藤家は残すべきだと進言してくださったため取り壊さずにすんだ。 当主が接客、来客、商談で使っていた。ついたての奥には内玄関がある。伊藤家には5箇所玄関があるが地位や位によって、使う玄関が違う。内玄関は当主の大切な方が使う玄関。 控えの間として使われていた。テーブルは栃ノ木の一枚板で作られている。 「丸桁」 30

      • 4.インタビュー内容(2)

        二階は女性の奉公人が縫い物をしたり、乳母が子供を遊ばせたりしていた所。現在は、伊藤家の家計図、昔の帳簿類、道具類などが展示されている。

        • 4.インタビュー内容(1)

          伊藤家の見所 観光ガイド・鈴木さん 台所の一角となっており、70坪。 ある。配膳の間といわれており、食べたり、休んだりするところ。 真上の電気は大正の初期に伊藤家は電気を通しており、日本でもかなり先取りして取り入れた。 伊藤家の家族十数名。奉公人60名。そのうち住み込みが40名。 たくさん人を雇っていた為、毎朝60キロのお米を炊いていた。

        4.インタビュー内容(4)

          北方文化博物館

           新潟市江南区沢海にある、北方文化博物館。この建物は、八代にわたる伊藤家の遺構である。邸内を飾る佳品は、歴代当主のコレクションをはじめ、戦後の私立博物館第一号となることを契機に七代・八代当主が高い志を持って蒐集してきたもの。日本を中心に、中国・韓国の美術品など資料総数は約六千点にも及び、一部が展示されている。この「豪農の館」は何なのか、現地を訪ねて話しを伺ってきた。 1.戦後の農地改革を契機に、博物館に  地主が小作人を雇って田んぼを耕させていたが、昭和20年に終戦を迎えて

          北方文化博物館