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否定・拒絶・批判

似てるようで、違う。

たとえば、昨夜自分が吐き捨てて寝たこの話。

重たい荷物を抱えて動く空港、そこでの列の並び方や、baggage claimでの人混み。
我先に行きたい気持ちは誰にもあって、抜き抜かれ、荷物同士が当たってしまうこともある。

コンベアに載った自分の荷物を見つけ、前方で待ちぼうけする人を掻き分ける。
そのときに「すみません」が言えない人が多いなあと。実感だ。
(その翌日、地元のスーパーでも感じたから旅行ならではの特殊なものではないようだ)

これに関して私の考えはこうだ。

前に通して欲しいなら一声かければ場所を開けてもらえるだろうし、ぶつかったら一言謝ればいい。なのにそれをしない人たちが多くて、なんかやだなあ。

これをどんなスタンスで見るかで、結構物事は変わってくる。


奴らのような連中が跋扈するから日本はダメになったんだ。民度が下がっている。あんな奴らは外に行くな見せるのも恥ずかしい(あるいは「見たくもない、日本から出て行って帰ってこなくて結構」)

これは否定だ。

ああいう人たちにはなりたくないよねー、バカみたいだよねー。あーばかばかばかばっか。どっかに優しい人達だけの世界はないかなー

これは拒絶だ。

あれはトラブルを招く。意思の疎通をシャットアウトしているからだ。一声掛ければそれで事態は円滑に進むだろうに

これは批判だ。

立場は同じだ。
「声かけりゃいいのに、なんなん?」

ただ違うのは、拒絶や否定は分断を生むばかりだ。
一方で批判はその先に改善を求めている。それは相手に態度を改めさせようという強いるものではなく、自分の考えの発露や取組み、努力で変えていこうというもの。

Critisizeは相手を打ち負かす事じゃない。事象や仮説に対する問題点をあげて、より良い仮説を立てて実証し、実践を促していくことだ。

ハワイではイライラする場面もあった。楽園だけど、それはなにも困らない世界ってわけではない。
東海岸から連れ込まれたホームレスの数々。溢れる日本人を狙うぼったくり連中。アジア系を蔑む声。駐在すら円滑に交代できないトランプの移民政策。なんとかすりゃ日本語が通じるから焦る必要ないのにどこか必死な日本人。

私は凡人なので拒絶も否定もする。イライラしがちな人間だ。
だけど批判的検証で学位を取った身として(笑)、出来るだけ嫌なことも批判のスタンスで見たいなと思う。
まあ、理屈っぽさが増すし、政治家でも官僚でも、起業家でもないから無駄骨かもしれないけど。


(追記)最近、同じタイミングで似た言葉やトピックで書いたら呟いてる人が続いていて、「うぉーい、またかーい」ってなる。

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