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備忘録:アムステルダム国立美術館

夏季休暇に欧州旅行としけこんだ。
なんて言えば聞こえは良いが、所詮は会社員。4泊6日でうち機内一泊の弾丸旅行だ。機内で尻の肉が痛いこと痛いこと。

行き先はオランダの首都アムステルダム。
オランダといえばオレンジ色、柑橘だの橘だのと名乗る自分にとっては因果ある国…なんてことはなく、ただ「数ある未踏の国で渡航滞在費が比較的安くてなんとなく目的もあるところ」だったに過ぎない。

行った感想は楽しかったに尽きる。
自身の海外渡航は昨年のNY以来だが、久々の夫婦での海外旅行だった。妻の英語の出来ないっぷりに久々に驚いた。

空港にある例のアレ。行きに気づかず帰りに撮った

感じたことも色々あったけど、今回は美術館でのことを。

アムステルダムには国立美術館や現代美術館、ファン・ゴッホ美術館などがある。絵画などは好きだが美術館巡りをするほどの余裕もないので、国立美術館だけ行った。

アムステルダム国立美術館

チケット予約やアプリのことは置いといて、とにかく思ったことがある。まとまりはついてないのだが。

この美術館は館内での撮影がOKで、それは著名作品も例外ではない。代表的な収蔵作品に、レンブラントの夜警や、フェルメールの牛乳を注ぐ女、手紙を読む女、そしてフィンセント・ファン・ゴッホの自画像などがある。これらも撮影可能だ。

有名作品をその目で見られるのだ。記念にパシャリと撮ることも、許されているなら問題はない。だが、目の前の作品について一瞥するかしないかで、ひたすらスマホで撮っていく人がいた。

そういう極端なのは少数だったが、有名作品についてはそうでもなかった。「夜警」は巨大な絵画だ。だがフェルメールの「牛乳を〜」や「手紙を〜」、ファン・ゴッホの「自画像」などは割に小さい作品だ。当然人だかりができる。
一目見ようとする人が多数なのだが、その中で絵画をバックに自撮り、それも動画で撮る人、美術館の記録員かのように一眼カメラで正面から連写して、終われば立ち去るといった人が、結構いたことに驚いた。

何をしに美術館に来たのだろう、と思った。フェルメール作品と映れば自分の価値は上がるのだろうか。正面から撮った写真はなにの意味があるのだろうか。いや、来た記念に入口で撮る記念写真と似たような意味なのかもしれない。彼らの行動は、居合わせただけの私にはわからない。

私だって、アムステルダム国立美術館の館内で、写真を撮った。作品も撮ったし、美術館内部の壁や天井の写真も撮った。
これは面白いなといったものや、印象に残ったものを記録したような意味合いだ。そう言ったところで、これと彼らに何の違いがあるだろうか。
私は作品と向き合い、彼らはそうではなかった、などとはとても言えない。私は見ただけでちょっと撮った人。それに楽しみ方は人それぞれ。ただペンキかける類はNo。

私は自撮りが嫌いだ。色んな理由があるが、こういう場面を見るたび、ますます自撮りが嫌いになっていく。

美術館は楽しかったからそれでいいんだけど。

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