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アイドルライジング。

最近は「推し文化」についての批評や批判を目にする。自分は乃木坂(特に1期生全盛期の2015〜2017年)のファンだった分、例えば秋元商法という言葉に複雑な感情を抱く事もある。でも、日本国内のアイドルのファンをやっている「ドルオタ」と呼ばれる人達(消費者側)や、アイドルというものを売り出している生産者側の人達はそろそろ色々と考えなきゃいけない時代に入ってきたと思う。

AKBを筆頭とした48系グループが台頭し、爆発的にCDの消費者を増やし、「アイドル戦国時代」と呼ばれた2010年代前半。当時その文化を消費者として支えていた「ドルオタ」の方々に僕は純粋に問いたい。当時「秋元商法によってCDの価値、それどころか音楽の価値すら失くしていると多方から批判されていた事。サブスクなる音楽サービスによって、現状の国内アイドルの音楽的な側面がお隣の国と比較して劣っていると批評される事。」について思うところがあるのか。
邦ロック大好きだった当時の学生時代、Dragon Ashの fantasistaのLIVE映像だったかを見ていた時に、Vo.のKJこと降谷建志がMCで「

今、アイドル全盛この時代に、、こんな事言うのも錯誤かもされませんが、、ミクスチャーロックは好きですかーーー!!

」みたいな感じで客を沸かせてるのを見かけた事がある。当時、流行のモノに対してもそこまでしっかりと考えていなかった僕はそのMCに違和感を感じなかった。でも今考えてみればおかしな話で、当時のアイドル(主に48系)が主要なターゲットとしていた層は言ってしまえば疑似恋愛を楽しむために特典付きのCDを買う層であって、恐らく純粋に音楽を楽しむファンがついているDragon Ash等のバンドの方々が「今は音楽的にアイドル主要のシーンなので、、、」と憚るのは話が違い過ぎると考える。山下達郎やミスチル桜井、サザン桑田のようなポップスの重鎮は当時のアイドルシーンに対して明確に言及してたが、Dragon Ashその他のメディア出演を敢えてあまりしていないようなフェス中心のロックミュージシャン達の間では、疑問を感じてもあまり大っぴらに言い出せない雰囲気でもあったのか。
問題なのはその当時のドルオタの方々は本気で「自分たちが推しているこのアイドルグループは音楽的にも優れている。CDが売れているから。」と思っていた節がある事。

「真」に音楽で戦っていく時代(?)

ここでSKY-HIが語っている事を真剣に考えた時、やっぱり日本のアイドルシーンの現状として、未だに「映像やステージ上でのパフォーマンススキルに関係なく、キャラクターやバラエティタレント性、愛嬌などで結果的に売れる。」という言ってしまえば芸能界(タレント業)と何故か混同される風習が根強い。

今現在、僕は世間で言うK-POPガールズグループというコンテンツを楽しんでいる。別に、例えばブルピンやルセラのようなガールズクラッシュやミンヒジンのオルタナティブなプロデュース、 XGのようなワールドクラスのパフォーマンススキルばかりを贔屓しているワケでもないし、全てのガールズグループやアイドルにそれを求めるでもない。「K-POPの方が残念ながらレベル高いよね、、!」みたいな意見もちょくちょく見かけるが、これも必ずしも合っているとは自分は思わず、単純にプロデュースアプローチの違いが明確に出ているだけである。


特典の恐ろしさ


以前、 X(旧Twitter)で「CDに特典を付けるという商法は何も秋元プロデュースだけがやっているわけではなく、他のボーイズグループだってしている。何なら十数年前のアイドルブームの時にも特典がついていた。」とのポストを見かけた事があるが、これは論点がズレていると個人的に思っていて、例えば放火殺人で罪に問われた人間の裁判で「1番最初に火を使って人に危害を加える犯罪を犯した人は○十年前のあの事件でもいて〜」と弁護するようなものであると思う(例えが極端かもしれない)。
また、ブロマイドやチェキなどの写真と握手券を比較した時に、疑似恋愛を楽しむために満たせる快楽というか欲求のレベルは明らかに後者の方が上である。それが「主に音楽を聴くための媒体として売られている」CDに付いているのである。
恐ろしい。

各グループの持つ特性


例えば乃木坂の話でいうと、シングルが発売される度に(今はファンじゃないのでやってるのかは知りませんが)、そのシングルの各選抜メンバーに、そのメンバーの個性が出るような個人PVを作っていた事は個人的にパフォーマンスというか企画としては面白かったと思う。

↑この2つに限った話ではないが、絶妙なあるあるネタをテーマにしたり当時注目の映像監督を抜擢したりと、それはそれで面白い事をやってた。
捻くれた見解をするとこーゆーのも含めて運営側の「サブカルオタクが食いつきそうなお笑いやファッションや映像表現をエサにしよう。」という魂胆が透けて見えてしまうような気がしないでもないですが。
欅についても然り、社会批判性を帯びたパフォーマンスや歌詞を最初に売り出して来た時は音楽界隈でもある程度は衝撃が走ったんじゃないだろうか。僕が言いたいのは、そういったそれぞれのグループの持つ特色を「アイドルはアーティスト」という大前提をもとに、それのみを売りにしてもいいんじゃないかということ。
だが結局はいつネタ切れになっても大丈夫なように、「オタクの疑似恋愛感情を満たすコンテンツ」であるところの握手会やキャラクター性、処女性に甘んじて依存しているのが現状である。



現行の日本アイドルシーンは形骸化してしまっ
ていると思う。いつか、誰かが。何かが。コレを完全にぶち壊すような決定的な出来事を起こしてくれないかと期待するところである。






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