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価値観の違い⑦

育ってきた環境が違うから価値観も違って当然だと以前『価値観の違い①』で書いた。
ただ、親子でも価値観は違うとも書いた。

環境が同じでも見え方、感じ方、受け取り方が違う。

うちはめちゃくちゃ貧乏だった。
そんな貧乏で育った妹は、お金に対する執着が強いということをつい先日知った。

『お金がない』『お金がなくなる』
という恐怖心がついて回るという。

一方、同じく貧乏で育った私は「お金なんてなんとかなるっしょ」という楽観的な考え。

というか、妹の方が高給取りなので、不安になることないのに…と思うんだけどね。

現実の「今」よりも幼い頃の記憶の「過去」からの恐怖が勝ってるのかな…。

今、妹はワークなどを受け、少しづつその恐怖心や執着を手放して前に進んでるようだけど。

あと、私と同じような環境で育った友達。

私は小学生の頃母親がギャンブルにハマり、家にほとんど帰って来なくなっていた。
父親は遅くまで仕事をしていた。
なので、遊びに行って家に帰る時間なんて、適当だった。
暗くなったら家に帰る。
帰りたくなったら帰る。

勉強もしなくても誰にも注意されない。
ご飯も用意されてない。
お腹すいても何もないことも多々あった。

父親からお金をもらえた日はパンやお菓子を買って食べていたし、アイスでお腹を満たしていたこともあった。
お金がない日は塩を舐めたり。

友達の家はギャンブルをする母親ではなかったらしいんだけど、共働きだったこともあり、遅くまで両親が家にいなかったらしい。
夕方になると周りのお友達は母親が迎えにきて帰って行くのに、自分は迎えが来なかったことを寂しく思っていたと言っていた。
その時の夕焼けの綺麗さも寂しさを増していたと詩人のようなことも言っていた。

家に帰ってお腹空いておかずは何もなく、炊飯器に入ってるご飯だけ食べてしまったこともあるという。夜ご飯用のご飯を食べてしまったので怒られたらしい。
それでもお腹が空いて仕方なかったと。
なので、今でもお腹が空くという感覚が苦手なんだとか。

そうか。
親が迎えに来るのが普通と思っていると、来ない自分は寂しいと思うのか。
お腹が空く感覚が嫌なんだと思うのか。

私は迎えがないのが普通だし、なんなら自由だから、迎えに来られた友達たちはかわいそうにと思っていたくらいだったので、寂しいという感覚がなかった。
ご飯もそこまで執着心がなかったので大した問題ではなかった。…いや、あるんだけど…。そのせいでいろいろ不調にはなってたのでね…。

暗くなるまで遊んでいたのが楽しかったし、夕焼けの色がどうとか情緒あふれる子にはならずに過ごした。

その友達は、お風呂にもなかなか入れなかったようで、クラスの何人かに「くせぇ」とか言われていたのがトラウマになり、自分の子供にはそんなこと言われたくない思いが強くなったという。
どんなに子供が疲れていて寝てしまってもお風呂には必ず入れたり、服の着替えもしょっちゅうしていたらしい。

私もガス屋さんや水道屋さんにお金が払えなくなって止められてしまった時お風呂に入らなくなったりしてもへっちゃらだった。

周りは臭くてへっちゃらじゃなかったかもしれないけどね。

自分の子供が疲れてお風呂に入らず寝てしまっても一回は声かけるけどムリそうなら朝入ればいいかと思うし、朝も寝坊したなら仕方ないと思う。
それでくせぇって言ってくるやつは、そういうやつだとわかったんだから、付き合いを考えればいいんだし。
そんな適当さがあった。

私には子供頃、絶対的な親友の幼馴染がいた。
なので、へっちゃらだったのかもしれない。

ずっとその親友といたわけではない。
それぞれ違う友達とも遊んでいたし。

なんだけど、兄弟のような、家族のような、絶対的な存在の友達だった。
今思うと、そこに私の自己肯定感があったのかもしれない。

同じような環境にいた友達にも味方になってくれている友達はいたらしい。
クラスに「くせぇ」と言われていようとそばにいてくれた友達が。
「大丈夫だよ。あっちに行こう」と言ってくれた友達が。
なのに、私の友達は、そのそばにいてくれている友達を見ないで遠くにいる「くせぇ」と言ってくる人たちを見ていた。

これは、私が鈍感ってことかもしれないんだけど…。

どっちが良くてどっちが悪いってことでもなくてね。

ただ、同じ景色を見てもどこを拾うかはやっぱりその人次第なんだなぁと思っただけ。

同じ公園を歩いていても
Aさんは「自然がいっぱいで散歩するのにリフレッシュ出来て、すごく素敵な公園だったよ」と言うのに対して
Bさんは「そこら中、犬のフンや鳥のフンが落ちていておちおち歩いてられない。最悪な公園だったよ」と言ったりする。

どちらもそのように感じたのだから、どっちが良くてどっちが悪いってことではない。

Aさんの方が前向きで素敵に思えるけど、Bさんの危険回避能力も大切だと思うし。
実際、上ばかり見てたらフンを踏んづけてしまうことになるしね。
下ばかり見てたら虹が出ていても気づけないままかもしれないし。

どちらにも意味はあるし。

ただ、ずっとその幼い頃の記憶に縛られているのはもったいないと思う。

だって、過去は過去だもの

お腹が空いていたのは過去。
今は自分で働いて食べられるお金はもらっている。
屋根付きのお風呂付きのお家にも住めている。

それでもそこにこだわってしまう自分がいるなら優しく抱きしめてあげてほしいなと思う。

ムリに手放さなきゃないわけでもないし。

人それぞれのタイミングで。

今を生きていけたらなと思う。

短めの投稿を目指していたけど、今回はちょっと長くなってしまいました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



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