日記 20220426

日記を書くのはむずかしい、そんな話を、店にいらしてくださった友田とんさんとしていた。いわく、長文になってしまうから、らしい。確かに、日々起こる出来事というのは小さなものまで拾い集めれば膨大な量だし、「そういえば」なんて思い出したり思いついたりして書き足していったらそれはもう書き終えられないことだろう。むしろ創作では幸せな状況と言えるのかもしれないが、日々適切な時間・量で書き終えることや、欠かさず書くことをその性質として宿命づけられている「日記」という媒体ではあまり好ましくない事態なのかもしれない。

ほら、考察を始めちゃうでしょ?

だめなんだよなあ、どんどん日記ではなくなっていく。でもそれは多分日記の書き方を心得ていないからなのかもしれない。日記に余計な脱線を書きたくなったら別の媒体に書き残しておく、とか?でもそれも日々継続する体力を削いでしまうかもしれない。事実を淡々を書けば良いのか?あれ、そもそも日記ってなんのために書いているのだっけ。記憶の補助?外部化?でもそれだとしたら見返すのに一年分ですら手間がかかるし検索性が皆無だ。やはり1日単位で書いているということは、その日1日を振り返って整理する、ということが主な役割なのかもしれない。

と、独自解釈を並べ立ててもしょうがないので人の日記を参考にしようではないか。手元には幸いなことに古賀及子『ごめん、あれやっぱパンだった』と武塙麻衣子『驟雨とビール』がある。明日からちょっと読んでみようか。

でもさらっと読んでなんとなく分かった気がするから一応日記らしいことを以下に書いておこう。

4月26日

寒い。天気予報を見ると午後には気温が上がるらしい。上着を着ずに電車で本屋へ向かう。
霞ケ関駅で降りる。早めに行って友田とんさんの著作を読んでおくつもりだったが、朝マックの誘惑に勝てず立ち寄る。ソーセージマフィン三つ。「少々お時間をいただきますが」と言われて内心焦るもお首にも出さず「お願いします」と答える。オープン前の掃除や均一本を出すのをさっさとやれば10時に間に合うか、と急いで勘定する。紙袋を掴んで歩く。
案の定オープンには間に合う。急いだ甲斐なく午前中は暇。おかげで読書が捗る。コーヒーを飲みながら『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する1 まだ歩き出さない』がいかに面白いかamistさんにプレゼンする。
三人連れがいらっしゃる。珍しいなと思ったら共同運営者の知り合いだった。貸し本棚にお客さんの持ってきた石田衣良『波の上の魔術師』を見つけるなり「懐かしい!」とおっしゃるので読んだのかと思いきや装画を担当していたらしい。縦にラインの入った変わった紙と、レイヤーの違う人物絵。
煎餅を食べていたら久々に近所のご婦人にお弁当をもらった。夜食べた。
友田とんさん来る。常連のお客さんのおかげで本作りの楽しみやお金の話など聞くことができた。私一人では聞けなかったであろう話も。昨日に続いてトークイベントに居合わせたかのようだった(昨日は冷蔵文庫さんとにちようだなさんがZINE制作について話していた)。とても楽しみな話を頂いたりして頂いたりしてわくわくしている。早く人に話したい。ますます後藤明生を読みたくなった(『挟み撃ち』をのんびり読み進めている)。

お!日記書けるじゃん!やった〜!

あれだね、事実を淡々と書くのが大事だね。しかもさ、私の場合よその人が日記本を書いているのに影響されて書いているところがあるから、変に他人の視点を意識して説明的になるのが長文になったり書くのが面倒になったりする要因だったのかもしれない。もっと気軽でいいのだ。そもそも日記は人に読ませるためではない。谷崎潤一郎『鍵』くらいいかがわしいことを書けるくらいプライベートで、公開を前提としないものであるのが望ましい。だからこそ人に読んでもらったときに面白味がある読み物になるのではないか。私生活を書くというのはつまり、相手の理解の範囲で書いたって面白くないわけだ。人の生活というのは公共空間で人と人がお互いに観察し合っている裏(物理的に見えない家の中や頭の中)が描かれるからこそ面白いのだと思う。その人独自の環世界を覗けた方が「ああ読んでよかった」という感じが得られるに違いない。

さ、帰ろう。明日は鏑木清方展とブックマンションに行く。早起きしなくては。

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