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勝手に春馬くんを想う曲~『Documentary film』Mr.Children

Mr.Childrenといえば、テレビドラマ『14才の母』の「しるし」、映画『恋空』の「旅立ちの唄」、そしてテレビドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり』の「turn over?」など、春馬くん出演作品に幾度も主題歌を提供しており、春馬くんに所縁ゆかり の深いミュージシャンとして思い浮かべる春馬くんファンも多いかと思う。
私も、それらの歌を聞くと、いつもそれぞれの役の春馬くんが頭の中に自動的に再生される。

昨年末の紅白歌合戦に、Mr.Childrenが12年ぶりに出演したのを見た。
その時に、歌ったのは「Documentary film」という曲だった。

歌う前にボーカルの桜井さんは、真剣な表情で、

今年はいつもと違う年だったが、
だからこそ、あたりまえにあった日常を、
近くにあったものを人を、
いま生きているということを慈しみながら歌おうと思う、

というようなことをコメントされていたと記憶している。

桜井さんが誰を思い、どんなことを思い出してこのようなお話をしたのかはわからない。
だけど、私はこの歌を聞いてつい春馬くんを想ってしまった。

今日は何も無かった 特別なことは何も
いつもと同じ道を通って 同じドアを開けて

昨日は少し笑った その後で寂しくなった
君の笑顔にあと幾つ逢えるだろう そんなこと ふと思って

誰の目にも触れないドキュメンタリーフィルムを
今日も独り回し続ける そこにある光のまま
きっと隠し切れない 僕の心を映すだろう
君が笑うと 泣きそうな僕を

希望や夢を歌った BGMなんてなくても
幸せがかすかに聞こえてくるから そっと耳をすましてみる
ある時は悲しみが 多くのものを奪い去っても
次のシーンを笑って迎えるための演出だって思えばいい

枯れた花びらがテーブルを汚して
あらゆるものに「終わり」があることを
リアルに切り取ってしまうけれど
そこに紛れもない命が宿ってるから
君と見ていた 愛おしい命が

~「Documentary film」by Mr.Children

この歌の”僕”を私自身としてそして”君”を春馬くんとして聴き入ってしまうときもあれば、またある時には、”僕”を春馬くんとして、そして”君”をおそらくいたであろう春馬くんの愛するひととしていろんな想像を巡らせながら聴いてしまう。

ある時は悲しみが 多くのものを奪い去っても
次のシーンを笑って迎えるための演出だって思えばいい

この歌詞のところで私はいつも、ついつい立ち止まって思考の旅に出てしまう。だから、その後に続くパートをあまり聴けていないのだ。

次のシーンを笑って迎えるための演出・・・この歌詞、桜井さんはどんな種類の悲しみを想定して書いているのだろうか。失恋?受験の失敗?そういう類なら、そう思えるかもしれない。

もしかして大切な人の死ですらそうだと?

なかなか私にはまだそういう悟りの境地には達せられそうにないのだけれど。

思考の旅のせいでつい聞き逃してしまう続くパートは、こんな歌詞が続いていた。

枯れた花びらがテーブルを汚して
あらゆるものに「終わり」があることを
リアルに切り取ってしまうけれど
そこに紛れもない命が宿ってるから
君と見ていた 愛おしい命が

私は、思考の旅からこの「愛おしい命」というフレーズを耳にして、ふと歌に戻ってくる。そして、いつも涙腺を刺激されてしまうのだ。

そうなんだよ、数々の作品の中には紛れもない春馬くんの命が宿っていて、私達はその「愛おしい命」を見ているんだな、なんて考えたりして。

あらゆるものには終わりがあるから、だからこそその一瞬一瞬の愛おしい命をちゃんと見つめよう、と。

おざなりにせず。

できているかな。

春馬くんを想いながらこの曲を聴き、ふと自分を省みる。



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