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私にとっての松本零士〜「戦場まんがシリーズ」とアニメ・ブーム

先月、マンガ家の松本零士が死去した際の、報道の大きさに私は少し驚いた。確かに、一時代を築いた作家であるが、私個人の中の大きさと取り上げられ方を比較するとギャップがあったからだ。

マンガ家、松本零士をはっきりと認識したのは、1971年から少年マガジンに連載された「男おいどん」である。当時の少年マガジンは、半年ほど前に「巨人の星」は終了していたが、「あしたのジョー」がいよいよ佳境、ついに最後の敵、ホセ・メンドーサが矢吹ジョーの視界に入ってくる頃である。また、「男おいどん」の連載開始間もなく、「空手バカ一代」「タイガーマスク」(他誌から移籍)の連載が開始、「天才バカボン」も再開されるという状況である。

エキサイティングな連載が多い中、四畳半の下宿における大山昇太(のぼった)らの青春を描いた作品は、小学生の私にとっては異質でよく分からない存在だった。ただ、押入れでキノコが生育するというエピソードが妙に頭に残っている。(不潔にしていると、衣類や寝具にキノコが生えるという恐怖観念を、子供心に植え付けた)

中学から高校にかけては、「宇宙戦艦ヤマト」である。再放送で火がつき、“ワープ“とか“波動砲“は、日上生活の中でも使われた。1977年に劇場版が公開され私も友人と観に行った。しかしながら、「ヤマト」は、私の中で、アニメより紙のマンガを好むということを、はっきり認識させるきっかけとなった。

したがって、「ハーロック」、「銀河鉄道999」もなんとなく横目で見ていた。ブームの真っ只中にいたが、いやブームになっていたこともあり、私にとっては遠い存在だった。

その頃、紙のマンガファンの中で松本零士と言えば、「戦場まんがシリーズ」だったと思う。 私の手元にあるのは、少年サンデーコミックス版全9巻。主として1970年代に書かれた、戦争を舞台にした読切短編集である。

掲載誌は、少年サンデーや青年誌のプレイコミック、ビッグコミックオリジナル。いかにも松本零士的な、戦闘機や兵器などメカニックの緻密な書き込み、絵画的な戦場シーンが堪能できる。ただし、そこに登場する人間は、機械とはほど遠い存在である。あるエピソードでは、誇り高き戦士が登場し、別の話では人間臭く弱い兵士が現れる。中には、幻想的な物語もあり、彼のSF的作品にも通じる。

しかし、すべての底流に流れるのは、戦争の虚しさ、悲しさである。それも、日本人の視点だけではなく、戦争に参加せざるを得なかった、他国の兵士の感情の反映される。

松本零士の訃報と共に、「ヤマト」や「999」は大きく取り上げられていたが、「戦争まんがシリーズ」はさほど話題には上らなかった。松本作品のすべてにおいて流れる、重要な要素を含んだ、重要な作品なのに。

と書いていたところ、3月14日の毎日新聞に“追悼 松本零士さん 戦争漫画に込めた「反戦」〜“と題する特集記事が掲載された。この記事の中で松本零士は、精密機械である兵器は、<「機能美がある」>としながらも、兵器の現実として<「鋼鉄のよろいは敵弾をはじき飛ばすかもしれませんが、生身の肉体はそうはいかない」>と語っている。記事の筆者は、松本が兵器を精緻に描いたことについて、<物語にリアリティーを持たせる>とともに、<兵器を知ることで、戦争の悲惨な本質を知ることができる>と書いている。

「戦争まんがシリーズ」は、私の持っている少年サンデーコミックス版の刊行が終了した後も、様々な雑誌上で不定期に掲載された。

旧版に収録された作品およびその後の作品を含めると、100話を優に超える。これらを再編集されたものが「ザ・コクピット」(小学館文庫版)(全11巻)と、「コクピット・レジェンド」でいずれも電子書籍化もされている。

ご冥福をお祈りします



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