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高校生が出会った“樹村みのり“の世界(その2)〜「カッコーの娘たち」

(承前)

樹村みのりが「菜の花」から始まる“菜の花畑シリーズ“の連作を発表したのが、1975〜1977年。発表誌は小学館の「別冊少女コミック」でした。

本シリーズの最終作の発表時から、樹村みのりは講談社の雑誌「mimi」上に作品を発表します。これらを中心に編まれたのが作品集「カッコーの娘たち」(電子書籍版)です。講談社版単行本は、こちらの単行本リストによると、1979年3月の発行、高校2年生の頃に読んだと思います。

私は「mimi」は購読していなかったので、Wikipediaで当時の連載作品を見たところ、1977年に里中満智子の「あすなろ坂」、1979年終わりから大和和紀の「あさきゆめみし」の連載が開始されています。そういえば、お二人とも大学祭にお招きしたので、お会いしたことありますね。

さて、表題作「カッコーの娘たち」は「mimi」の1978年4月・6月号に掲載されました。(こちらのリストを参考にさせて頂きました) カッコーの習性に、“托卵“というものがあります。卵を別の種類の鳥の巣に産み、育ててもらうというものです。

母親が病気で長期入院することになり、ジョーン、ビリー、ビッキーの三姉妹は、それぞれ別の親類の家に預けられることになります。“托卵“のように、実親から離れて成長していく三人三様の物語です。名前で分かる通り、舞台は日本ではなく、アメリカ。大きな邸宅を離れ、ジョーンとビリーは東海岸、ビッキーはロサンゼルスで暮らすことになります。

ビッキーの暮らすロサンゼルスの家は明るく賑やか、ジョーンは独身のおばさんと小さなアパートで二人暮らし、ビリーは叔父夫婦のもとに“招かれざる客“として身を寄せます。

三人それぞれの個性は、樹村みのりを分解したようにも感じるのですが、次女のビリーが一番近いのではないか、もちろんご本人のことはよく知らないのですが、そんなことも考えました。この作品を原作にして、良い映画が一本作れそうな気がします。

「海の宝石」(1977年)、早朝の海辺を散歩するアダムス夫人が遭遇したのは、ロージーという若い女性。夫人の夫、デビッド・アダムスを「殺しにやってきました わたし」と告げます。「カッコーの娘たち」に通じるテーマも持つ佳品です。

この他、本作品集にはテニスを題材にとった「40−0」(1977年)、これまた映画になりそうなお話ですが、主人公の女子高校生フェイには、ちょっと陰があります。

「ニィおじちゃんの優雅な『苦笑』」(1979年)は、樹村みのり的な“子供“の目線を扱った、ちょっといい話。
マンガが描く世界の奥深さを知ることになり、どんどん深みにハマって行った頃、樹村みのりはその先導者の一人でした。

「わたしの宇宙人」は次回に持ち越します。なぜか、それも含めてまた


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