橋本治も登場人物も羽ばたき始める〜「その後の仁義なき桃尻娘」
1977年「桃尻娘」で、華々しく世に出た橋本治さん。その後は、私を少女マンガの海へといざなったマンガ評論など、活動の幅を広げていきます。
そして私の大学生生活最後の年となる1983年、続編「その後の仁義なき桃尻娘」(講談社)が上梓されます。私の微かな記憶は、「前作より面白くなった」です。
再読してみました。
自分の高校生時代を思い返すと、それは閉じられた世界でした。楽しいことも沢山ありましたが、目の前に大学受験があり、日々学校に通う。色々考えながらも、学校を中心とした狭い宇宙での生活がほとんどでした。
そうした日常が大学に入学し、学校というしばりが緩いものになり、行動範囲が広くなり解放されたわけです。
“桃尻娘“こと榊原玲奈は、<あたしは浪人です。予備校はまだ始まってません。だもんだから、あたしは今ンところ、まだなんにもすることがありません>(「その後の仁義なき桃尻娘」より、以下同)。卒業式前の玲奈ちゃんは、<最後の悪あがきで、学校制度のアラさがしを一生懸命やってんです>。
橋本さん自身も浪人生活を経て、東京大学に入学します。玲奈ちゃんは、最初の受験で不合格だった橋本さんの気持ちを代弁しているのでしょう。
高校3年生というのは、現役組・浪人組に分かれ、同級生とも一時的に距離ができるタイミングです。小説の中の“彼ら“も同様です。
一方で、高校時代に1年先輩だった人と、大学で同級になるというケースも出てきます。滝上圭介は、一年浪人の後、法政大学に入学しています。大学生になったものの、第一志望ではなかったので、ウジウジ考えています。
醒井凉子は現役で上智大学に入学、自由の身になりました。木川田源一は浪人、磯村薫は中央大学、それでも二人は友達です。
立場は色々だけれど、高校を卒業し、それぞれが動き回ります。グジグジ考えながらだけれど。それが、「その後の仁義なき桃尻娘」です。
醒井さんは、榊原玲奈のことを<素晴らしい方なんです、ちゃんとした主張をお持ちになっていて>と尊敬し、<ですから私、あの、それで小説を書いているんです。私も主張を持ちたいと思って。あの、木川田さんも皆さんも、書いてらっしゃるからー多分そうだと思うんですけれどもーだから私も書こうと思って、書かなくといけないと思って>。
高校という世界を飛び出して、登場人物は“小説“を書き始めました。橋本さんが書いている小説なんですが、“彼ら“が書いているのです。“彼ら“は自由に羽ばたき始めたのです。もしかしたら、本作で橋本さんも同様なのかも、だから処女作「桃尻娘」よりも、読みやすくなり、より面白くなっているのでは。
個人的な備忘録。玲奈ちゃんの<ナニであったりはした>松村クンが関わっているミニコミ誌、その<編集室っていうのは新宿の大ガードの向こう側、『ロフト』のもうちょっと先のビルの二階にあるの>。このモデルは雑誌「ぱふ」の編集部だと思います。一度、遊びにいったことがあるので。
巻末の「連載年譜 第二回」によると、1981年「桃尻娘」の文庫版が刊行。橋本さんは、それを<ペラペラとめくっていて愕然ー「磯村くん、エライ!」と一声叫んで、続編の執筆を決意>と書かれています。磯村くんの、何が偉かったのでしょうか?
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