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旅の記憶39〜1986年レストラン「ギー・サヴォア」での食体験

いよいよパリ五輪が開幕する。パリには何度も旅行・出張したので、なにか記録しておこうと考えてみた。

最初にパリを訪れたのは、新婚旅行の際。過去の記事を見ると、レストラン「ランブロワジー」「ツール・ダルジャン」について書いていた。今日は、その際に訪れたもう一軒のレストラン、「ギー・サヴォア(Guy Savoy)」について。

シェフのギー・サヴォアは、「トロアグロ」で修行の後、1980年にパリでレストランを開店する。1981年にはミシュラン一つ星、1985年二つ星昇格した。1953年生まれで、我々が訪れた1986年は33歳にな若きシェフ。まさしく、飛ぶ鳥を落とす勢いの料理人の一人だった。

現在の「ギー・サヴォア」とは別の場所にあったレストラン、クラシックでいて、あまり堅苦しくない、居心地の良い空間だった。

アペリティフにグラスのシャンパンを注文し、メニューを眺める。他店ではアラカルトから選んでいたのだが(そのために、フランス語のメニューを読めるように勉強していた)、季節のムニュ・デギュスタシオンに惹かれた。

今では、日本でも少量多皿のテイスティング・コースは一般的になっているが、当時はそういうコースがあると物の本で知っていた程度である。

なお、当時はパリの星付きレストランのコースと言っても、24歳のサラリーマンが少し背伸びすれば注文できる値段だった。今や様変わりだが。ただし、ワインは一番安い赤ワインを頼んだ。

アミューズ、冷たい前菜、温かい前菜。日本のコースとは違い、“少量“といっても普通のポーションである。魚のメイン、野菜の皿と来て、お肉のメインは今でも鮮明に覚えている。ロニョン・ド・ヴォー(仔牛の腎臓)のソテー。

日本のレストランで、リー・ド・ヴォー(仔牛の胸腺)を出す店はあったが、ロニョンは食べたことがなく、一度口にしてみたい食材だった。中がピンクの絶妙の焼き具合、内臓肉のかもし出す、複雑な味わいと食感。決してクセはなく、洗練されていた。

料理と共に、頭に残っているのは、レストランの中の空気。夜8時半前後から客が集まりだし、皆真剣な眼差しでメニューを読みとき注文、食事を開始する。徐々に、各テーブルのお皿のタイミングが調和されてきて、ワインと食事とおしゃべりが店の中に充満する。ほぼ同じタイミングで、メイン・ディッシュが終了する。

そしてワゴンで運ばれてくるのは、膨大な種類のチーズとその香り。全てのテーブルがチーズに取りかかる。私は、折角だからと、白カビ系、青カビ系、ウォッシュ・タイプ、シェーブルと4種を選ぶ。妻は、さすがにこの頃には満腹近くなっており、2種類程度にすると、黒服は「それだけでいいの?」。

アヴァン・デセールは、クレーム・ブリュレ。私の胃袋もかなり限界、それでもゴールが見えてきた。そして、グラン・デセールがナポレオン(苺のミルフィーユ)。

なんとかクリアして、ようやくディナーも終わり。多分、夜11時を回っていたと思う。解放されたと思っていたが、次に登場したのがデザート・ワゴン。好きなだけ選べと言う。

もう限界である。なんとか1種類指さすと、またも「それだけでいいのか?」と、体調でも悪いのかと問われている感じである。

周囲のフランス人は、満腹など知らないかの如く食べている。各テーブルを回るシェフ・ギー・サヴォア、レストランと客が一体となった空気、あの時の食事も一生忘れられない体験である。

その後、「ギー・サヴォア」は移転、グラン・メゾンの貫禄を有したレストランとなり、2002年に三つ星に昇格する。

なお、20年以上維持してきた三つ星だが、昨年二つ星に降格となった


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