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芥川賞にもバリエーション・ルートあり〜松永K三蔵「バリ山行」

文藝春秋9月号は、芥川賞受賞作二作品が掲載されている。前回受賞作はパスして読んでいなかったのだが、今回は読んでみたい作品があった。松永K三蔵の「バリ山行」(講談社)である。

受賞会見で、著者が「純文学になじみのない方でも読みやすいものを目指した」と話していたのが印象に残っていたからだ。

タイトルの「バリ山行」、最初はインドネシアのバリで山に行くのかと思った(笑)。読み始めて違うことが分かる。六甲山登山の話が始まるのだ。社内の有志をつのっての、ビギナー向けの登山。主人公の波多は、それに参加する。

まるで、サラリーマン小説のような出だしである。しかし、これは芥川賞受賞作である。“リーダブル“、読みやすい。小説とともに掲載されている「著者インタビュー」によると、松永氏は「オモロイ純文学」を推進し、<純文学ってオモロイやん>と思ってもらえるきっかけになりたいと語る。確かに、“純文学“アレルギーのある人でも自然に入っていける小説ではある。

物語が進むにつれ、主人公と同じ会社に所属する妻鹿(めが)の登場とともに、“バリ山行“の意味が明らかになる。登山グループのリーダー格、松永が妻鹿について、<「バリやっとんや、あいつ」>、<「な、アカンやろ」>と評す。波多はは意味もわからず、相槌を打つ。

波多は会社で聞く。<「バリっていうのは、バリエーションルートの略ですよ」>と。

一風変わった妻鹿は、会社では独自の仕事のスタイルを貫いている。そんな彼は、登山においても一人で登山道を逸れたバリエーションルートでの山行を行う。

この妻鹿の存在が前面に出てくることによって、小説は“純文学“的な様相を呈してくる。波多は妻鹿と共に“バリ山行“に挑むことになるのだが、山行における妻鹿は、異世界の存在のように見えてくる(私はなぜか村上春樹の羊男を想起した)。波多は、妻鹿によって非日常の世界へと誘われ、“リダーブル“な小説はそのスタイルは維持しながらも、別次元の作品へと展開していく。

芥川賞受賞にも“バリエーションルート“が存在する。読者を、「これ、結構読みやすいやん」と引きつけて、「“純文学“もオモロイなぁ」と思わせる。そして、人にとって“本物の危機“とはなにかを問われることになる。

さりげなく散りばめられた、ちょっと読みづらい漢字の数々も含めて、著者の企みが見事に機能している。

そんな風に感じさせる受賞作だった


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