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「乳と卵」と「夏物語」(その1)〜芥川賞受賞作は川上未映子の予告編だった

川上未映子著「すべて真夜中の恋人たち」について書いた時、芥川賞受賞作「乳と卵(らん)」を読んだ時には、<あまりピンと来なかった>と書いた。

そう書いてから、少し気になって再読しようかと思っていたら、Audibleに「乳と卵」があったので、聴いてみた。

「乳と卵」は、小説の大層が一人称、それも大阪弁が相当混じる。これをオーディオブックの読み手は、大阪弁のイントネーションで語るため、一瞬“コント“のように感じる。これは、決して侮辱しているわけではない。良質のコントは、文学的でもあるのだ。

その後、少し考えてみると、それは文体のリズム感にあるように思った。川上未映子の小説は、私の中にスッと入ってくるものが多い。それは、彼女の文章のリズム感が心地よいからであり、それが私の好みに合っているのだ。

彼女は作家としてデビューする前、歌手を目指しており、2002年“川上三枝子“名義でデビューしEPを、その後、“未映子“名義で作品を発表している。こうした、ミュージシャンとしての経験が、文体にも現れているのだろうか。

「乳と卵」について、<ピンと来なかった>と感じた理由を、再度考えてみた。この小説の主たる登場人物は、姉の巻子と、メインの語り手である妹、名前は登場しない。そして、巻子の娘、緑子である。大阪出身で東京で一人暮らしする妹のもとに、巻子と緑子が訪ねてくる。上京の目的は、巻子が検討している豊胸手術である。また、緑子は母親に対して言葉を発することをやめ、筆談で自分の意思を伝える。

描かれている世界は、極めて“女性的“であり、男の入りこむ余地がほとんどない。魅力的な小説ではあるが、どのように吸収すればよいのか戸惑う。それが、“ピンと来ない“という感想になったのだと思う。

芥川賞の選評サイトによると、本作について石原慎太郎は、<「私はまったく認めなかった」>、<「一人勝手な調子〜(中略)〜不快でただ聞き苦しい」>と評したらしい。 石原さんならそういう反応だろうと妙に納得するところがある。ただ、私の感性とは違う。

なお、「乳と卵」の翌期、第139回は楊逸の「時が滲む朝」が受賞する。これについても石原さんは評価せず、同回をもって選考委員から退く。

<ピンと来ない>状態のまま、それでも展開が気になる状態で進んでいく「乳と卵」だが、東京で3人が過ごす3日間が終わると、後日譚のように、新宿の街のスケッチが小説を締めくくる。繁華街を歩く一人の女性、彼女と遭遇する男性。「乳と卵」で、男性が実体ある存在として初めて登場する箇所のようにも思える。彼女は誰なのか? 男はなにものなのか?

これがまるで、川上未映子がこれから書いていく小説の予告編のようであり、「乳と卵」すべてが彼女が小説家として離陸するための発射台だったように感じた。

「乳と卵」をリリースしてから、約10年が経過し、川上未映子は“本編“とも言える「夏物語」を世界に放つ

彼女のミュージシャン時代の作品は、Apple Musicで配信されている。



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