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“芸“も好きだが“芸人“も好きだ〜「漫才協会THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々」

“芸“が好きである。その基本は舞台、一過性のものであり、同じものを再現することができない。その儚さ、それを共有する劇場の空気を知ってしまうと、定期的にその場に身を置きたくなる。

“芸人“も好きである。演者として、“芸“を愛し舞台を愛する人々。彼らがいないと、私が身を置きたい場所は成立しない。

“芸“と“芸人“をもっと知ろうと、小林信彦に始まり、安藤鶴夫、結城昌治、吉川潮ら、そして芸人自身が書いた本も読んできた。

落語家が高座に座ると、正面に扇子を横置きし、お辞儀をする。この扇子は結界である。客席側という一般人の世界と、芸人の領域を区切る線であり、結界の中にとどまり続けることができる人は芸人を続ける。あるいは、客席側に戻れない人は死ぬまで芸人である。

ナイツの塙宣之が初監督したドキュメンタリー映画「漫才協会THE MOVIE 舞台の上の凝りない面々」は、結界の内側の人々、芸人の姿を映し出す。

漫才協会の七代目会長である塙宣之は、協会とそのホームグラウンド「東洋館」(毎月1日〜19日が漫才協会定席)を盛り上げる活動の一環としてこの映画を作成している。知らない人向けの、一種のショーケースになっている。

同時に、塙は「こんな面白い芸人がいるんですよ」と宣伝しつつ、彼らの生きざまを紹介している。なぜなら、芸人の面白さのバックボーンは生きざまだからである。

もう一つのキーワードは“継承“である。松竹・吉本興業という大資本をバックにした、関西中心の上方漫才の世界に対して、東京漫才は寄席の添え物として生きてきた。添え物“色物“ではあるものの、その中にも名人・上手と言われた人が存在し、この流れは継承していかなければならない。この映画は、そうしたメッセージも伝えている。

ナイツを始め、ロケット団、宮田陽・昇など、落語中心の寄席に出ている芸人は知っているが、こんなにも知らない人がいるのかとも思った。大空遊平・かほりという夫婦漫才、割と好きだったのだが、解散したことをこの映画で知った。離婚・事故に見舞われても、遊平さんは舞台芸人であろうとする。ホームランの勘太郎が亡くなったことも思い出した。ナイツの師匠、内海桂子を含む、舞台を継承してきた芸人へのオマージュでもある。

実は「東洋館」は行ったことがない。今度、行ってみよう。この映画に登場する芸人の引力により、そう思った観客は少なくないだろう。

ポール牧の句、「ドーランの 下に涙の 喜劇人」が紹介されていた。

喜劇人たちを、観に行こう


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