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The Daps Famous Hood Joint.-店ができるまで-

Dapsができるまでの前に改めて自己の紹介をしていきたい。

こんにちは。ありがたい事に皆さんのお陰で知名度も上がってきて大きな仕事も舞い込んで来るようになりました。まだ街を歩いててもうちのシャツ着たDapsファミリーはまだ目撃してないけど皆さん大切に着ててくれてるんじゃないかなと嬉しく思ってます。

ここらで前からやりたかったDaps創設裏話(既に色々話してるけど)改めて見返せる様にnoteを使って見やすくまとめてみたいと思ってました。1番の目的はあの頃の気持ちを忘れたくないと言うか何時でも思い出せる様にしたいと思ってるからです。

どこから話そうか。後から思い出した事は付け足していけると思うから気楽に、まずはちゃんと続くようやって行かなきゃね。


まずは俺の生い立ちからなんですが長崎県の超田舎の出身で長崎出身のお父さんと横浜出身のお母さんの間に生まれてそれはそれは可愛がって育ててくれました。

お父さんもアメリカが好きな人で田舎なのにフォードのトーラスみたいな車乗って実家もアメリカを意識したインテリアで地元の人からはちょっと浮いた家族だったんじゃないかな。

両親は良く、遠慮はするな!二度と会うわけじゃないんだからと色んな人にガンガン絡みに行く様な人で外国人にも初対面の人にもお構い無しに家建てる時なんか知らない人んちのインターフォン鳴らして家見せてもらってたりしてたな笑


そもそも僕がアメリカが好きになったのは小さい頃両親の学生時代の友達がロサンゼルスに移住してその人んちに遊びに行った事から始まってると思います。

オレンジカウンティの家に遊びに行った時に交通事故にあってそれ以来誕生日プレゼントに毎年小包みが来てその時アメリカで流行ってる物が貰えてそこから好きになってったんだろうな。幼稚園のマラソン大会ではair max95とか履いてたし。

1990年生まれの俺は都会でair max刈りとかあってたのをお構い無しに田舎で全身ホリスターで靴はジョーダンとかそんな感じ。

小学生の頃は全然音楽とか興味無くて親が聴いてたラジオから流れる音楽が僕の守備範囲でした。1番覚えてるのはshineheadのtry my love!俺の小さい頃の思い出で1番頭に流れるのはコレ。コレが車のラジオから流れて両親と海に行くシーンがずっと忘れられない。

音楽が好きで乗りも良すぎる俺のお父さんとお母さん。

18年しか一緒にいれなかったしコレまで5回くらいしか地元に帰ってないのも高校卒業してフリーターでおばあちゃんちに下宿する事を決めて出発する前日にお母さんから「お父さんから話があるって」と言われて呼び出された時に言われた言葉があったからなんですけどコレが出てくるのはまだずっと先の話し。

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