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監督…リュック・ベッソン『フィフス・エレメント』

 「コーベ〜〜ンダラ〜〜〜ス!!」

 と、ルビーが華麗に参上!

 子どもの頃、金曜ロードショーで初めてこの映画を観た時は「なんかヘチマみたいな頭の人が来たぞ」とびっくりしたのですが、観れば観るほどルビーのハチャメチャな魅力に病みつき。

 わたしもルビーのラジオ番組のリスナーになりたい!

※注
 結末までは明かしませんが、ここから先はネタバレがあります!



 他にも大好きなシーンが沢山あります。


 科学技術が羨ましい

 まずは、遺体の一部から人体を再生するシーン。
 手首から先くらいしか無かった遺体の細胞をもとに、骨、筋肉、皮膚がみるみる出来上がって、リー・ルーが完璧に蘇生するのを観て以来、近しい人たちの葬儀の度、「現実にもあの技術があれば良いのに…」と何度も願いました。
 今も願っています。

 リー・ルーが西暦2263年のニューヨークの街に圧倒されるシーンも好き。
 超高層ビルの間を空飛ぶ車がせわしなく行き交い、大都市の下にはまるで雲海のようにスモッグが浮遊…。
 本当にこんな未来がきそうですよね。

 リー・ルーがコーベン・ダラスのタクシーに落っこちてくるシーンも好き。
 「親方! 空から女の子が! いや、空から美女が!」と、この作品には居もしない親方に向かって叫びたくなります。
 美少女も、美女も、空から降ってくるものなのかもしれませんね?
 そして人は恋に落ちる。

 初めて出会った時、お互い言葉は全く通じていないのに、コーベンとリー・ルーが優しく見つめ合っているのも素敵。
 過去も現在も未来も一目惚れって変わらず存在するんだろうな…と観ていてついニヤニヤしちゃいます。

 ベッドから離れたら自動的にベッドが片付く。
 「ハシゴを」と言ったらハシゴが出てくる。
 何かの粒?をレンジに入れてチンしたら瞬時にごちそうが出来上がる。
 サングラスみたいなものを顔に当てたら一瞬でアイメイクが完成する。
 スイッチをポチッとなと押すだけですぐ眠れて、またポチッとなと押すとすぐ起きられる睡眠装置がある。
 お客がスタッフに手をあげそうになると「警察だ。これは訓練ではない」とすぐ機械が対処してくれてスタッフの安全が守られる。

  …といった夢のような世界なのに、コーベンのママからの嫌がらせの電話をブロックすることは誰にも出来ないというのも妙にリアル…。


 未来の毒親は地球の外まで追ってくる?

 「嫌がらせの電話」と表現すると、コーベンのママが「心外だわ!わたしはいつだって息子のためを思って言っているのに!」と憤慨するかもしれませんが。   

 いや、誰がどう聞いても過干渉ですよ、ママン!
 コーベンがなぜ元妻に逃げられたのかは謎なのですが、嫁姑問題は少なからずあっただろうなと思います。
 ママンが強烈すぎるから。

 なんたって、「陣痛で苦しみながらもあなたを産んであげたのに恩知らず」とか「もうママ、自殺しちゃいたい!」とかネチネチ言ってくるママンなのです。
 いや、それ、子どもが何歳だとしても絶対言っちゃダメな言葉では?

 コーベンが地球に居る時だけでなく地球の外に出てもなお追いかけてくるママンからの電話!
 恐怖!

 「いやもうそれYOUブロックしちゃいなよ」とわたしはジャニー喜多川さんみたいな口調でコーベンに余計な口を挟みたくなりますが、そんな母親であっても、話を聞くだけ聞いてあげるのがコーベンの優しさなのでしょうね、きっと。

 歌姫

 歌姫プラバ・ラグナさんについても作中で詳しくは語られませんが、リー・ルーが「信用できる者に石を預けた」と神父に語ったり、プラバ・ラグナがコーベンに「彼女は案外か弱いの」とリー・ルーの性格を教えたりしたので、もしかしたらリー・ルーとプラバ・ラグナは友達だったのかもしれませんね…。

 プラバ・ラグナが殺されて、リー・ルーが嗚咽したのは、人の命が失われたからなのか、それとも友達が死んだからなのか、どちらなのでしょうか?

 その両方かもしれませんが…。

『トロッコ問題』について考えさせられる

 そもそもこの映画って、「大切なのは命だ」というメッセージを作品全体を通して訴えているのですが、冒頭からけっこうな人数の死者が出ますよね…。

 ジャン=ポール・ゴルチエの手がけた衣装や、奇抜なヘアメイク、そして何と言ってもプラバ・ラグナによる超ハイトーンボイスオペラ、恋愛ストーリーといった数々の要素に魅せられるおかげで、シリアスさはうまく影を潜めがちではあるけれども…。

 たとえば、遺跡の謎を解き明かしそうになった教授の命を奪っているし、その遺跡で閉じ込められた宇宙人に構わず宇宙船は飛び去ってしまうし…。

 他にも銃撃戦等で命を落とす人多数。

 監督が本当にそう意図したかは不明ですが、「多数の命を救うためなら少数の犠牲はやむを得ないのか?」という問いを汲みながら観ると、この映画の違う横顔が見えてきます。

 わたしはこの映画を観る度に哲学者フィリッパ・ルース・フットが提唱した『トロッコ問題』のことを思い出します。

 これは要約すると「5人の命を救って1人の命を見殺しにするか?」「1人の命を救って5人の命を見殺しにするか?」という問題。

 出来れば「誰も死なせない」という第3の答えを選べるのが一番ですが、なかなか綺麗事ばかりでは済まされませんよね。

 どちらかを選択しなければならない瞬間はやってくるかもしれません。

 この映画には、地球全体を統べる大統領が「2000億の同胞の命を救う」と言うシーンもあります。

 もしその2000億の命が全滅するよりは、恐らく数百単位以下の命を犠牲にするのは正し…い?のか? と考えさせられます。

1 対 5 なら迷うけれど、

2000億 対 数百なら迷わないものなのか? と。

 わたしだって、2000億 対 数百のどちらかしか選べないと言われたら、2000億の方を選ぶと思います。

 でも、その数百の中に家族や友達が含まれていたらどうするかは分かりません。

 それに、その数百の痛みを無視して「2000億が助かって良かった」と大喜びは出来ないと思います。

 この映画には大統領と軍人たちが祝杯をあげるシーンもありますが、その笑顔とリー・ルーの涙との対比が印象的。

 もしかしたらこの映画でリー・ルーは、その切り捨てられる少数のことを思って泣いたのかもしれませんね…。

 全ての命を救うことまでは出来ない自分の無力さや、自分が皆の命を救ったとしても結局また皆で殺し合うという残酷さ、そういった様々なもので葛藤していると思いますし、泣いたからって何かが変わるわけではないけれど…、それでもリー・ルーは涙を流します。

 愛に溢れる人だから。

 きっと決して忘れないのでしょうね…。

 リー・ルーの優しさも好きなので、わたしはこれからもこの映画を観続けます。

 地球の人と宇宙人の戦いを描いた映画であるように見せかけて、実際には地球の武器商人が宇宙人をけしかけていたり、その武器商人もまた得体の知れない悪意に操られていたりもするので、戦争や平和について改めて考えさせられる今だからこそ、また観返したい映画のひとつです。

 ルビーのセクシーシーンさえ無ければ幅広い年齢層の方にもっとおすすめ出来るのに、ルビーが色々やらかしちゃってるから残念です、ルビー大好きだけど。

 つい『トロッコ問題』を思い起こすことによって生じてしまうそんな悲壮感をも華麗に吹っ飛ばしてくれるルビーの存在にやっぱり救われます。

 「コーベ〜〜ンダラ〜〜〜ス!!」

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